2:勇者の在り方

 魔王は人間の敵である。

 なぜなら彼らは、昇華を目指す死んだ人の魂を捕えるからだ。その配下にある魔族たちも、当然人間の敵である。

 人はかつて、命を落としたなら、冷たい土の下で永遠と闇を共にしていた。しかし、五百年前に降臨なされた神により、死後に輝く高みを目指すことができるようになったのだ。

 魔は、その素晴らしき恩恵を阻害する者。

「誰がそいつを証明してるんだ?」

 正神教区での一般的な見解をまくしたてるクリーティアに、カオルは悲しい顔でそう呟いた。

 ……誰が?

「聖典にそう書いているではありませんか」

 怒りすらにじませて、少女は言い放つ。しかし、悲しげなカオルは黙して応えず。

 だから、二人きりの森に、気まずい静寂が漂ってしまった。

 巨体の魔族が逃げ去った、森を臨む街道脇。カオルの魔術が焼いた空気は、まだほんのり熱をもって頬を撫でる。夕暮れの近づく風によって、すぐに消えてしまいそうだが。

 頬をくすぐられながら、クリーティアは考える。

 魔族は悪だ。だから、討つべきである。

 そう教育されてきた彼女には、男の行動が理解できない。

 自分がおかしいのか、カオルがおかしいのか、彼が魔王であるせいなのか。

 意見の噛み合わなさに理由を求めるが、乏しい人生経験では可能性までしか辿り着けない。

 可能性の中には、彼が魔王であることを否定するものだってある

 確かに、片目ではあるが伝承の通り紅色だ。強力な魔術も振るう。

 なのに、どうして。

 ああも、威厳がないのか。

 ああも、言い草が軽薄なのか。

 ……ああも、あんなにも優しいのか。

 命を助けられたことを思い出し、その魔王の名にそぐわない振る舞いが、疑惑の霧をたちこめさせている。

「まあ」

 カオルの声に、いつの間にかうつむいていた顔をあげた。

 彼は困ったように、情けない笑顔を浮かべて、

「この先に村があるんだ。言いたいことがあるなら、歩きながら聞くからさ?」

「……魔族は滅ぼすべきです。これ以上、語る言葉はありません」

「じゃあ、なんで俺はまだ滅ぼされてないんだ?」

「私の規範です。恩を返さずに討ったなら、神の教えに背くことになるでしょう? 矛盾は、信仰ばかりでなく、私自身をも弱くするからです」

「それだけじゃ、根拠が弱くないか?」

「……正直、あなたが魔王であるということへの疑いが、強くなっています」

「おいおいおい、なんだなんだ。まだまだ、いっぱい語る言葉があったじゃないか」

「ば……馬鹿にしているでしょう! もうありません!」

「はは、怒るなよ……じゃあ、行こうぜ」

 怒り顔だが、クリーティアは従う。空が、朱に染まりはじめていたからだ。

 その後、日が沈む直前に、いつの間にか先行していたエイブスと村人らしい女性に出迎えられて、のどかな農村へと辿り着いた。

 ただ、二人はその間、言葉を交わすことはなかった。

 カオルが何を望んでいるのか、何を大切に考えているのか。多くの時間を得ながらも、クリーティアの唇は些細な怒りによって尖ってしまい、知ることはできなかった。


      ※


 森を抜けた先に現れたのは、夕日に輝く小麦畑に囲まれた、本当に小さな村だった。

 刈り入れ時のためか活気に満ちてはいるものの、ポールスモートのそれに比べれば雲泥だ。夕暮れに近づくにつれて、人の熱も戸口に隠れてしまっていくから、なおさら。

 クリーティアが育った小さな町と、この清閑さと温もりの混じる雰囲気が似ていた。

 一月ばかりの旅でもう懐かしさに囚われてしまった自分の胸に、まさか、と苦笑する。自分の意志は、崇高なものであり、成すまでは下がれないのだ。逆に、使命を果たせばいつでも帰ることができる。

 だから、不意の郷愁は、美しい風景に胸を打たれたのだと、自分に言い訳を聞かせることで整理をつけた。

 そんな勇者を尻目に、男二人は出迎えた女性と、事務的な手続きを進めていた。

 黒髪をバンダナに押し込んだ、垂れがちの目が特徴的な美人。化粧っ気もないし農作業用の恰好に野暮ったさを感じるが、それでも、人目を惹きつける。事実、黄金の麦畑を背に輝かす笑顔には、同性のクリーティアも、風景から転じた目を奪われてしまった。

 女性は見とれる彼女に、優しい声でメグと名乗り、そのまま三人を自宅へと招いた。

 こうして始まった、小さな家での賑やかな晩餐。家主とエイブスは思い出話に花を咲かせ、カオルが苦笑いで耳を傾ける。だったが、クリーティアの表情は晴れなかった。カオルとのやり取りで生まれたわだかまりが、未だ消えてしまわないでいたから。

 それは、用意されたベッドに入っても、漂い続ける。月明かりが眩しかったせいもあるだろう。まぶたが落ちないまま三度目の寝返りをうったところで、悩める少女は風に当ろうと体を起こした。

 思案の種である男は、今頃どうしているのだろう。メグの家では、三人を受け入れることはできず、男二人は馬小屋を借りているはずだった。

 家主に気遣って静かにドアを抜け出すと、麦が風に揺れる、せせらぎにも似た歌声が村いっぱいに満ちていた。

 風に乗る、囁くような合唱へ、

「あの子が?」

 優しげな声が混じった。

 応えて、

「困った奴だよ。素直すぎるというか、なんというか」

「なら、いい子じゃないですか。あなたよりなんか、ずっと」

「おいおいおい、死にてぇなぁ……俺はどれぐらい悪いやつだと思われてんだよ」

「あら? 魔王サマのくせに善人面する気ですか?」

「魔王サマだってソトヅラは必要なんだぞ?」

 男の、楽しげな苦笑。

 声を辿れば、母屋の裏に建てられた馬小屋の戸口からだ。

 おそるおそる顔を覗かせ、

「まだ、月を見ると、あの人のことを思い出すのですか?」

 並んで夜空を見上げている、カオルとメグの姿を見つける。

「十年前から、変わりませんね……あなたに助けられて、私はこうも変わったというのに」

「ああ、キレイになったな」

「本当、冗談が好きなのも変わりませんね」

 責めるような口振りをされ、カオルは笑う。

 二人が故知であることは、紹介の際に聞かされていた。具体的な関係は聞きそびれてしまっていたのだが、よもや、命の貸し借りがある仲だったとは。

 自分と彼との間を鑑みながら、二人の会話に耳を傾ける。

 女の声が真剣な色となり、

「……今回こそは、受け取ってくれますよね?」

 ……何を?

「だから、ありゃ俺のじゃねぇだろ。だいたい、今はどこにあるんだ?」

「村の広場にある、祠のなかに」

「おいおいおい、盗まれねぇのか?」

「カオルさんが、いつでも持ち出せるようにと思いまして」

「……もともと君の物だろう」

「権利があるのです。あなたには、私よりも明確な権利が」

 話の流れがいまいちつかめない。彼らが指すモノの想像がつかず、あげくその所有の権利を譲りあっているのだから。混乱に、強く輝く大きな瞳から、自信が薄れる。

 男は返す言葉を選びとりながら、

「だとしても、俺には必要はないのさ」

「なら、どうして教会の目を逃れて、ここへ逃げこんだんです?」

「…………」

「命に関わることになるかもしれませんよ?」

 最後には言葉を紡ぐことをやめてしまった。

 小麦の歌声が静けさに満ちていく。

 と、女のため息。二人の言葉が何を指しているのかはわからないが、メグが諦めたことだけは伝わる。

 話を変えるために、厳しい口元が和らぎ、笑みをつくる。

「十年前からポールスモートに住んでいるんですよね?」

「下宿暮らしだけどな」

「……帰りたいと思うことは、ありません?」

 と、カオルの瞳が、月から離された。宵に隠れてしまって視線も表情もわからないが、おそらくメグの顔を見つめているだろう。

「……故郷に帰りたいのか?」

 どきり、とする。

 自分の胸にかすめた思いだった、ということもあるだろう。

 しかしそれよりも、カオルの声音に、鼓動が跳ね上げられた。

 後悔、逡巡、悲哀、沈痛。いつもの半笑いからは、思いもつかない色合いだ。

 どうしたのかと伺っていたが、様子を察したメグが、優しい声で笑い、

「……大丈夫ですよ。何一つ、不自由はありません。あなたのおかげで」

「そうか?」

「ええ。それより、あなたは?」

 女の再度の問いに、男は考え込むように、目を月へと向け直した。

「未練はない。そもそも、あそこは故郷じゃないからな」

「でしたら、故郷には?」

「懐かしいとは思うさ。だけどもう、誰もいないからなあ」

 まだ、暗さが抜けきらないが、それでも声に笑みを含ませる。

 クリーティアは、思わず身をすくめた。

 自分は、いざとなれば、いつでも育った教会に帰ることができる。きっと、先生も兄弟たちも温かく出迎えてくれるはずだ。

 この安心感は、一月の旅の中で嫌というほど味あわされた。信念を着込んではいるものの、時折訪れる不安の夜は、現在進行形の思い出たちを抱きしめることで乗り越えてきた。

 だが、カオルにはそれがない。もう十年もの間。

 彼が自分とは違って平気なのは、歳が違うせいなのかもしれない。そうだとしても、クリーティアには想像もつかないことだ。

 また一つ、カオルのことを知りたいと思った。食い違う価値観の、その源流を。

 だからクリーティアも見上げる。

 彼と、彼を知るメグが見つめる、輝く月を。

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