3:悪意の姿

 背後で、梁を支える柱が折れた。

 というより、砕かれた。

 振り返るクリーティアの口元では、はみだす海老の尻尾が愉快げに踊ってみせている。

「ふぁんふぁんふぇ!?」

「あの個性のない格好は、聖堂騎士団かな」

 前のめりに崩れた、軽食店だったものから、四人の男が飛びだした。卸したての革鎧に聖印を刻んだ無個性な風体だが、それぞれが怒りを眉間にあらわにしている。その鬼気を見たクリーティアには、皿を片手にパンをかじるカオルが言うほど、無個性とは思われなかった。

 カオルに手を引かれて入ったのが背後の店で、食事が出てきた途端に彼らが乱入、そして倒壊という有り様に。

「何事ですか! あんな乱暴な振る舞い、あの人たちは一体どんな教育を受けたのです!?」

「お前さんの教わったことと、似たようなことを教わったんだろうな」

「私はともかく先生と教会を侮辱しないでください!」

「いや、教会に関しては間違っちゃないだろ」

 少女の激昂をいなしながら、またパンを一齧り。

 とにかく、男たちが猛追してくるため、二人は群がる野次馬を掻き分けながら東へ逃げる。

 各地の正神教会には、その数に差はあれど例外なく武力組織が置かれる。布教に反感を持つ為政者との衝突に備えるための軍隊であり、教会内部における異端と背信への審問官。それが「聖堂騎士団」であり、彼らがカオルとクリーティアを追いかけているのだ。

「このエセ魔王が! 今日こそ退治してくれる!」

「勇者様を返せ! 昼間っから連れまわして、いかがわしいんだよ!」

「許せんぞ、変態野郎! この魔王!」

 飛びかかる罵声に、カオルがいつもの半笑いを浮かべた。呆れが強そう。

「目的は俺の顔面を変形させて、お前さんを連れていくことみたいだ」

「……本当に、あの方々は教会の騎士なのですか?」

「ポールスモートの教会は、中央と違って気風が自由だからなあ」

 商業主義にまみれたこの街に開かれた教会は、飛び交う罵声が示す通り少々ながら風通しが良いようだ。

 地域ごとに特色はあるのだろうが、教区の内側に入るほど締め付けは厳しくなる風潮だ。再外縁部となるポールスモートの状況を察するに、先立っての言動は良い指針である。

 罵られた被害者は眉尻を下げるだけ下げて、

「嘘だといいよな。あいつらの発言で、ここいらの人の俺を見る目が変わっただろうから」

「は?」

「わかんねぇならいいよ。わからないほうがいいんだ」

 と、子の無知を愛でる親のような微笑みで、肩をすくめてみせる。

 不意に、光景として後ろへと流れていく野次馬の一人が手を伸ばし、カオルの皿から残っていたパンを取り上げながら、

「こいつが小さい女の子が好きな特殊性癖の持ち主だって、大発表されたんだ」

「小さい女の子って私のことですか!? 訂正を要求しますよ!」

「おい、エイブス! 誤解を招くっつーの!」

 表情を動かさないまま、議長の腹心は魔王と勇者の横を並走していた。

 鋭い赤眼にぎゅっと力を込めて抗弁するカオルの言い分に、

「俺はオールラウンダーなんだから!」

 クリーティアは口に残っていた海老の尾を吹き出した。

「小さな女の子も、結局含んでいませんか!」

「……カオル、その発言は、かなりイメージ下がらないか?」

「博愛主義者だからな」

「魔王の発言じゃあないよ」

 無愛想に言い放ち、エイブスは固いパンに口をつけた。

 ポールスモートを貫く「十二月十日通り」を東へと駆ける三人に対し、追うのは聖堂騎士団。数は、通りを抜けるたびに数が増し、今では十人をこえていた。

 騒動の中心が移動していることもあり、野次馬たちの数は減り、追っ手の姿をはっきりと確認できた。逆も然り、ではあるが。

「で、後ろの方々は、一体どういう了見なんだ? どうも、ちびっ子が目的らしいけど、だったら同じ正神教徒なんだから、穏便な手段も取れたろうに」

 エイブスの仕事を知るからこそ、カオルは彼の登場に意味を見出したようだ。クリーティアにはわからない話なので、口は出さず耳を傾ける。

「副議長の差し金だ。カチェスが官憲やら自警団やら、市の戦力動員に許可を出さなかったからな。結果、独自のパイプを持つ正神教の騎士団に頼ったんだろう」

「となりゃ、独断か」

 議長が差し止めた動員を、その補佐が実行した。そんなことになれば、あちこちに混乱が生まれることなど、簡単に察せられる。

 そのうえで、組織上の秩序が乱れることは、トップにとって好ましい状況ではない。

「ばれたら、やばいんじゃないか?」

「知ってるだろう、教会の動員特別許可権限を。そいつを盾にされたら、繋がりが表に出ない限り手も足も出せない。あとは、事態が特別でな」

「はん? 神に選ばれた勇者がいるからってか?」

 冗談を分かち合うつもりだったのか、魔王は笑う目をクリーティアへと向けて、

「それどころじゃあない。天使が来た」

「天使さまが!? きっと、私を迎えにきたのですよ!」

「大正解だ」

「……本当かよ?」

 完全に視線が合う前に、笑みが消え、逃げるように逸らされた。

 驚きに、さまざまな色合いが混ぜ合わされ、最後は個性のない無表情が浮かぶ。赤い瞳が古ぼけた指輪へと落とされる。

 エイブスが頷きを見せて、

「ああ、大マジ。勇者を引き渡すように言ってきた。それと、今朝方に突然要求が増えて、それが原因で後ろの彼らはこんな強硬手段を取ったわけだ」

「勿体つけるなよ、情報屋」

「今日の俺は議長の私設秘書だよ……ま、結論から言うとだ」

 カオルには、どうやらその先がわかっているようだった。つまらなそうに、口を曲げる。

「お前の身柄だな」

「え? 天使さまが、カオルさんの?」

 聞くだけのつもりでいたが、少女には予想外の言葉に、思わず声をあげてしまった。

「ああ。理由は簡単でしょ、クリート」

「いえ、まったく見当も……あ、お知り合いだったとか?」

「魔王を名乗っているからだよ。ま、当事者じゃない私には多分としか言えないけれど」

 言われてカオルを盗み見れば、考え込むように眉間にしわを寄せている。

「で、こっからが本題なんだけど……カオル、聞いてる?」

「……聞いているよ。カチェスは、どんな無茶を言ってきた?」

「うん、さすがに付き合いが長い。わかっているね。内容は簡単だよ」

 しかめ面に向けて、さらりと、昼食の予定でも聞かせるようにエイブスが口を動かした。

「彼女を連れて街を出るんだ」

「え? えええええええええええ!?」

 聞かされたカオルよりも早く、クリーティアが声あげた。

「私は、天使さまに会うために、ここまで来たのですよ!」

「教会が勇者を確保できないとなれば、次は天使自らが動く。そうなれば対抗できないから、教会に挽回の余地を与えるというのが、計画だね」

「面倒な計画のわりに、お前の到着はえらく遅かったんじゃねぇか? 支障が出るぞ」

「いや、その、私は……あの……!」

「それに関しては謝るよ。関係各所に、話を伝えなきゃいけなかったんだ」

「話を聞いてくだ……っ!?」

 自分の頭越しに飛び交う会話に、声を荒げかけたところで、

「がはは! 突撃だ! 敵対戦力の足止めが目的だからな!」

「殺せ! 殺せ! 殺せ!」

「潰せ! 潰せ! 潰せ!」

 低いながらよく通る声と、やけに明るい物騒な合唱がメインストリートを貫く。

 同時、三人の向う先から、エリオットを先頭とした十数人の屈強な男たちが木製の大盾を構え、列を組んで突っ込んできた。

 彼らはクリーティアのすぐ脇を駆け抜け、追いすがる聖堂騎士団へと勢い任せの肉弾を敢行していく。

「うお、派手だなあ。こんな正面切って衝突するのは、前の選挙以来じゃないか?」

「いや、あの、私……!」

「あ、ちなみに私も一緒に行くから。一度、上司に報告してからだけど」

「ちょっ……あの、話を……!」

「え? なんで?」

「監督役だよ、魔王サマ。本当に手を出されたら、シャレにならないからね」

「ですから、話を聞いて……!」

「うわ、信用ないの? 死にてぇなあ……よしまあ、とりあえず行くか!」

「どこにですか!」

「街から出るんだよ」

 先刻、人ごみから救ってくれたカオルの柔らかな手が、再び自分の腕を掴んで握った。で、力強く離さない。

「それよりも! 話を! 聞いては! もらえませんか!」

「いていていて! 後頭部を殴るな! だけど離さないぞぉ?」

「少女大好きだからな」

「だから誤解を招くっての。俺はオールラウンダーで……」

「それは二週目です!」

 どう譲歩しても昼前のような安堵は浮かばないということと、この二人の大人は自分の話を聞く気はなさそうだという正確な洞察は、クリーティアにささやかな敗北と大人の恐ろしさを切に教えてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る