会戦の朝(2)

不敗の戦姫、かく語りき

 ――会戦の朝。


「本日、敵に攻勢の兆しがあれば、全軍を以てこれに応じ、撃滅します」


 軍議の席で、グレイスは開口一番こう言った。


「決戦、ですか」


 若い家臣が緊張に声を震わせながら言った。


「そうなるでしょうね」


 これだけ至近距離で対陣している以上、小競り合いは必ず起きる。グレイスの言は、事実上の総攻撃命令だった。


「……友軍を待たぬのですか?」


 ややあって、年配の家臣が低い声で尋ねた。


「彼らが引き返してくれば、女帝めは四方から包囲される形になります。ここはケンに回るのが上策かと」


 グレイスは目を細めて年配の家臣を見やった。今なお軽装歩兵の連隊を率いて最前線で戦い続ける男だ。戦うことが怖くて言っているのではないことは彼女もよく理解していた。


「その必要はありません。我々でけりを付けてしまいましょう」


 グレイスがそう言い切ると、何人かの家臣が意味ありげに視線を交わし合った。


 不敗の戦姫、あるいは戦女神の異名を持つグレイスだが、その名は奇策や蛮勇によるものではない。もっぱら堅忍と慎重によって必敗の戦を避け、勝てる戦を確実に拾ってきた結果による。そのグレイスが友軍を待たずに戦端を開こうとしているのだ。『女帝との決戦を前にして焦っているのではないか』と訝る者が出てくるのは必定だった。


「らしくないと思いますか? 良いでしょう。少しだけわたしの考えを話しておくことにします」


 疑念が不安に、不安が恐怖に変わらぬうちに、手を打っておかなくてはならない。グレイスはぱんと手を打って、立ち上がった。


「皆も知ってのとおり、オウルモッフへの進軍に先立って、わたしは複数の方面軍を編成し、帝国各地の戦略拠点に向かわせました。今、ここに残っている兵力はおよそ二万人です」


 円卓の上に広げられた戦場図を馬鞭ばべんで指しながら、グレイスは続ける。


「一方の帝国側も、我々の動きを阻止せんと、各戦略拠点に兵を向かわせています。ここに集結した兵は全軍の八分の一。兵力で言えばに過ぎません」


 家臣たちの表情に、また、動揺の色が浮かぶ。


「なるほど。確かに単純な戦力比なら我が軍は不利ということになるのでしょうね。しかし、女帝がこれほど寡ない兵を率いて戦場に出てきたことは今まで一度もありません。女帝にとってこの戦は未知の戦なのです」


 くすりと、グレイスは不敵な笑みを浮かべる。群臣を蠱惑し、あるいは狂奔へと駆り立てる魔性の笑みだ。


「ならば我が軍はどうか。今この場にいるのはわたしが旗揚げした頃から共に戦い続けてくれた者たちばかりです。そうです。寡兵に耐え、多勢に抗い、大きな戦を制してきた我々にとって、この戦は既知の戦なのです」


 何人か、気の早いものが勝利を予感して「おお……」と呟くのを視界に捉えて、グレイスは続ける。


「壮大な包囲殲滅作戦を想定したものもいるようですが、わたしが方面軍を帝国各地に展開させた目的は、彼我の戦力規模を小さくすること、その一点に尽きます。九万対二十四万の戦いはあまりに戦力比に差があり、何よりわたしにとって未知の戦でした。しかし、二万対三万の戦いならばどうか。わたしの答えはこうです。それならば、勝てましょう」


 そしてグレイスは再び笑う。古の魔法のように群臣を魅了する。


「わかりますね? わたしは卿らの奮戦に期待しています」


 ブルーローズの軍勢は、譜代の臣と士官学校時代の知己が率いる傭兵部隊を除けば、あとは各地の反乱軍を糾合した寄せ集めに過ぎない。今のところは士気軒昂だが、それはグレイスが勝ち続けたからで、戦いが長期化すれば、あるいは僅かでも敗北の兆しがあれば、まず間違いなく内部から瓦解する。そのことは軍議に参加する者たちも理解していた。


 その不安に対してグレイスは答えを示した。信頼できない味方を主戦場から遠ざけ、主戦場の規模を小さくする。小さくなった主戦場に、信頼できる兵のみを集めて、敵の主戦力を撃つ。唯一、それこそが勝利への道筋なのだと。


「おお、おおお……おう!」


 戦姫の不敗神話を信じる者は奮い立った。


「むむ、むむむ……うむ!」


 戦姫の不敗神話に裏書きを求める者は、彼女の軍略を理解し、心服した。


「ああ、あああ……ああ!」


 戦姫の不敗神話を盲信する者は喜びのあまりに射精した。


 初夏の栗の花のごとき異臭湧き立つ中、グレイスは号令する。


「軍神の加護、裁神さいしんの正義は我らにあり。狂乱の女帝撃つべし!」


 陣幕の内外に、ブルーローズの勝利を疑わぬ者たちの雄叫びが響き渡った。

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