ep27 凍った心を溶かす暖かいもの


「入ってもいいかしら」

「——ああ」


 扉をノックすると、返って来るはずのない声が聞こえてルーサーは狼狽えた。

 そっと扉を開けると、テオは起き上がってベッドの背もたれに凭れかかっていた。


「その……シリーのところに行ってきたの。貴方が無事だと伝えたら、すごく安心していた。貴方のことが心配で夜も眠れてなかったみたいだから……」

「そうか……ありがとう」


 思わぬ返事にルーサーは息を飲んだ。

 目の前にいる男は本当に自分が知っているテオなのだろうか。

 昨晩までルーサーに敵意をむき出しにしていた瞳はとても穏やかで、その口から出てきたのは悪態ではなく感謝の言葉。

 エリューがいっていた通り、まるで魔法にかかっているかのように人が変わってしまっている。


「あ、あの……」


 自分も彼に伝えなければならないことがある。

 これからもシリーに会いに村に入ることを伝えるのだ。どんなに怒りをかったとしても、自分はこれからもシリーに会いにいくつもりだ、と。

 けれど言葉はでてこない。俯きがちに手をぎゅっと握りしめた。


「……スープ」

「…………えっ」


 先に口を開いたのはテオだった。


「スープ、俺のためにわざわざ作ってくれたんだろう。美味しかったよ」

「そ、そう……口にあったなら……その、よかった……」


 ルーサーは戸惑いを隠せず目を泳がせる。

 明らかに動揺している彼女をテオが見つめた。


「……急に態度が変わったから、戸惑ってるんだろう」


 多分心境の変化はテオ本人が一番わかっているはずだ。

 ルーサーがおずおずと頷くと、テオはそうだよな、と小さく笑った。


「あの子……エリューに怒られたんだ。師匠の好意を無下にした俺のことが大嫌いだって。自分より一回り以上も下の子に怒られた……流石に効いたよ」

「……そう、だったの」


 やはり、テオを変えたのはエリューの言葉だったらしい。


「口もつけないつもりでいたけど、あの子に嗜められてスープを飲んでみることにしたんだ。お前の作ったスープはとても優しい味がして、ひどく懐かしくて……そうしたら……色々なこと、思い出したんだ」


 ぽつりぽつりとテオは過去のことを語り出す。

 それはルーサーも記憶の奥底に蓋をしていた苦い苦い、幼い頃の記憶。


「婆さんや、あんたの居場所を失くしたのは他でもない俺のせいだった。恨まれても当然なのは俺の方だった。それなのに、それを忘れて俺は……婆さんやあんたを傷つけてた」


 悪かった、と頭をさげるテオをルーサーは複雑な表情で見下ろした。

 あの一件からルーサーは村に近づかなくなった。あの時の村人の目が怖かった。

 恐ろしいならば忘れるようにと、カラムは優しく諭してくれた。だからテオのことも忘れて、自分の苦しい記憶を思い出さないようにずっとずっと蓋をしつづけていた。


「……私も、謝らないといけないことがあるの」 


 ルーサーは拳を握って、ぽつりと言葉をこぼす。

 村を訪れるのは怖い。自分なんかが訪れていい場所ではないというのは重々承知している。だけど——。 


「貴方には村に二度と行くなっていわれたけれど……それはできない。シリーに会わないなんて、誓えない。それが彼女を苦しめることだったとしても……シリーは、私にとって……大切な人、だから」


 ルーサーは恐る恐るテオを見つめた。

 するとテオも目をそらさずにルーサーをまっすぐ見つめていた。

 サファイアとトパーズの瞳が重なり合う。


「わかってる。俺が婆さんの家を出てからずっと、あんたが婆さんの支えになってくれていたんだから」

「…………っ」

「今更なにいってんだって話だけど……俺、お前が村に来やすいように、婆さんが住みやすいように、これから頑張ろうと思うんだ。今度こそ……俺が、二人を守るから」


 照れ臭そうにはにかむテオの表情はとても頼もしくて、幼い頃ルーサーの手を引いて走り回っていた少年の顔に重なった。


「……ありが、とう」


 その笑顔にルーサーははっと息を飲んで小さく笑みを返した。


「その……こちらこそ、ここでよければいつでも来て。二人きりじゃ、寂しいから」

「ありがたいけど、難しいかもしれないな。俺はエリューに嫌われてるみたいだからな」


 テオは視線をそらし、扉の方を見た。

 それにつられるようにルーサーが振り返ると、エリューは扉の隙間から髪を逆立てながらテオを睨みつけていた。


「……師匠を泣かしたら許しませんよ」

「……無礼な態度を取って悪かったよ、エリュー」

「大丈夫よエリュー。もう、大丈夫だから……」


 ルーサーはエリューを諭すが、中々信用してくれない。


「いい弟子を持ったんだな、ルーサー」

「おかげさまで」


 くすりと肩をすくめる。


「なんだかお前、顔が明るくなったな」

「貴方こそ……人が変わったみたいでなんだかとても落ち着かない」


 少しだけ昔のように軽口をいいあう。


「でも……そっちの方がいい」

「……あなたも」


 そうして二人で微笑みあった。

 時間は戻らないけれど、わだかまりが解けたルーサーとテオはまた幼い頃のように笑顔を浮かべあった。

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