後宮の夜叉姫
仁科裕貴/メディアワークス文庫
『後宮の夜叉姫』新刊発売記念大ボリューム連載!
序章
序章(1)
《男子有徳便是才、女子無才便是徳》
男子に徳有ればすなわちこれ才であり、女子に才無ければすなわちこれ徳である。
門をくぐり抜けると、たちまち匂いが変わった。
御者台に座っていた
故郷の里を出たのは年明けすぐのこと。もう二ヶ月が経過したことになる。思えば長い
沙夜は路地裏に馬車を
「──みなさん本当に、お世話になりました!」
荷下ろしを終えて最後の礼を告げると、長らく苦楽を共にしてきた仲間たちが順番に声をかけてきた。元気でな。体に気をつけて。
「
隊長の奥さんが力一杯に沙夜を抱きすくめ、涙に
「ああもう、困ったことがあったらいつでも訪ねてくるんだよ?」
赤みがかった髪色に浅黒い肌。
「あんたは賢い子だけど、どっか抜けてるところがあるから心配だよ。悪い大人に
「はい。でも、あの……」
騙されないように、と言われて胸の奥にうずくものがあった。沙夜にも一つ隠し事があるからだ。
このまま打ち明けずに旅を終わらせていいのかと考えていると、彼女は鼻を
「元気でね。またいつか」
「……
別れに水を差すのが惜しくなり、喉まで出掛かった言葉を飲み込んで代わりにそう言った。二人の涙が入り混じった横顔が、風にさらされてすうっと冷える。
「行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます!」
わざと声を張って答え、すぐさまくるりと
足早に大通りに戻り、足元だけを見ながら人混みを抜けていく。なだらかな登り坂を上がったところで一度だけ振り返ると、馬車はもう見えなくなっていた。
沈んでいても仕方がない。袖口で乱暴に目を擦り、気持ちを切り替えようとする。
周囲を見渡せば、当てつけのように色彩は華やかだった。生鮮食材を扱う露店や、軽食の屋台が所狭しと通りを埋め尽くしていた。
──ずっと憧れていた綜の都、だけど……。
想像していたよりも雑多な街並みに、少々裏切られた気持ちになる。
皇帝陛下のお膝元という割には、あまり秩序だっていない印象だ。往来こそ網目状に整理されているが、建物は屋根の高さもまちまちで波打つように混在している。
子供たちが歓声を上げながら路地裏に走り込んでいく様を見れば、治安の良さは
たださすがに、住民の身なりはとても
いま着ている服は貧相な旅装である。袖が筒状になった深緑色の
出発前に切った髪は肩まで伸びてきていたので、首の後ろで一本に束ねて垂らしてある。外見上は貧民層の少年のように見えるに違いない。こうして道端に棒立ちになっていれば、物乞いに間違われるかもしれないとすら思う。
「……いいんだ。それでもわたしには、夢があるから」
誰に聞かせるでもなくそう
確認するまでもない。そのためにここまでやってきた。髪を切って男の振りをして、世話になった隊商のみんなにすら女であることを隠して。
十五歳になったばかりの沙夜は、体の凹凸に乏しく、顔も
だから最後まで言えなかった。でも込み上げてくるこの熱い気持ちだけは本物だ。
──ありがとうみんな。いつか必ず、恩は返すからね。
眼下に向けて感謝の念を送っていると、すぐ近くからジュワッと派手な音が聞こえてきた。通りに面した酒楼の入口で、大鍋を振り回す男の姿が目に入る。卵をまとった米が宙に躍るたび、香ばしい湯気が辺りに振りまかれていく。きっと豚の脂を使っているのだろう。くう、と腹が鳴る。
いかん。
全ては幼き日に結んだ、亡き母との約束のため。
加えて言えば、生まれつき虚弱な体質であった沙夜をここまで育ててくれた祖父母のため。笑顔で送り出してくれた里のみんなのため。隊商のみんなのため──
二ヶ月もの旅路を経て、わざわざ都にやって来た理由はただ一つ。
試験に受かって官吏になるという、その大願を
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