終-1. ヒロイン "A"
「本日はどうも、ありがとうございました」
痩せた
慣れないブラックフォーマルは拘束衣のようだった。革靴を履いたのも高校生になって以来。擦れて
長野の風は寒い。年始とあってはなおさらだった。
関東を出たのは何年ぶりだろう。
RAMの認可は書類選考で、名誉除隊証に顔写真を付けて送ったら勝手に交付された。
当時の情勢もあって、元・馬賊の肩書きはむしろ箔が付いた。結局、一番きつかったのは支度金と保証人探しだけだった。それも武器商人の親父がサインひとつで請け負ってくれて、大した苦労はなかった。
査問委員会でのヒアリングは30分もかからなかった。
終わってみると徒労感ばかりが募った。
そこいらの百円ショップで買ったコンパクトを開くと、お化けみたいに大きくなった目が見つめ返してきた。内地で流行のメイクが分からず化粧屋で店員にやってもらったが、こんなマンガみたいな顔、真紀だったら子供っぽくて嫌がりそうだ。
「ふざけんなよな……」
さっきは暴徒が死んだかどで質問されてばかりだった。非殺傷武器の選択、正当防衛の成立、警告の有無。これまで何百回と報告書に書いてきた内容の繰り返し。
「いつだって私たちは規則に従い処理してきました」
詩布はそのたび同じように答えた。
「無論、生命は
「戦闘にストレスは感じないのですか」
卵みたいにつるつるしたあごの男が言っていた。いかにも内地人らしくて、急に全部どうでもよくなったのを思い出す。
「ええ、もちろん感じます。敵もストレスを覚えています……死ぬことではなく、殺すことに対して。お互いに自分が死ぬとは
「もう少し分かりやすくお聞かせ願えますか」
「戦死とは確率の話だと割り切られる、ということです」
のれんに腕押しするような気分で詩布は言った。
「勝利するはずの兵士が死ぬのは、つまり運が悪かったのです。あの暴徒たちですら、勝ちを確信していました。それこそわずかな確率の差で、私たちの方が死んでいたかもしれない。私たちはただ、そのとき生き残る程度にラッキーだったというだけです」
RAMになって――いや、その前から、答えなんて出てない。
待合室のテレビではデモ行進の映像が流れていた。どこかの街で、数百人の人波が、難民キャンプで起こった『虐殺』に対して声を上げている。先頭は熱っぽい顔をした中年の男女だった。ナイフも握ったことがなさそうな綺麗な指でプラカードを振っていた。
言われてみれば、虐殺だったと思う。
ゴム弾は芯に金属を使った旧式で、頭に当たれば脳挫傷は間違いない代物だった。それでも足りなくて、何回か実包で威嚇射撃をやった。上に撃った弾が重力に引かれたあとどうなったかは知らない。子供をかばった母親に当たったかもしれないし、地面にめり込んだだけかもしれない。
それでも、ああするしかなかった。
テレビの向こうで義憤に燃えるあの中年も、隣で新聞を開く老人も、窓の外で笑い合ってる学生たちも、あの場に居合わせたら同じように撃つだろう。そして殺す。あるいは殺される。
それとも逆の立場なら、ああして自分もプラカードを振るだろうか。
真紀ならやってる気がする、と詩布は思う。
それが幸せなのか、詩布には分からない。でもきっと、幸せなのだろう。あそこの人たちは絶対に殺されないし、殴られることすらない。とても平和で、
「あっ……」
前に誰かが立った。詩布は慌ててコンパクトを閉じた。
「うん?」
「ああ、やっぱり!」
子供だった。ちょっぴりまぶたが薄くて、髪にもツヤがあった。10歳くらいに見える。
「……シュイ、で良かったっけ」
隣を空けてやると、シュイはぴょんと座ってきた。
最後に会ったときと比べるとしっかりした身なりになっていた。服も兵隊のお下がりじゃなくて、年齢相応のものになっている。そういえば、このあいだのニュースで日本国籍を取得したと聞いた。
「キミ。そういう服、持ってたんだ?」
「シノブもドラマの刑事さんみたい」
シュイは詩布のベストをつまんできた。糊のきいた生地が珍しそうだった。
「まあね。知り合いの真似したんだけど、冗談抜きでキツくってさ……」
「うん、いつものやつの方が似合ってる」
「あれも友達のファッションなんだけどね。ま、アタシの方が長生きしちゃったけど」
少し離れたところで男が電話をかけていた。首から放送局の社員証を下げて、胸ポケットにはレコーダが差してあった。抱えたファイルには番組の名前が書いてあるらしい。
「これから、キミも取材かな」
「え?」
シュイも詩布の視線を追って、「ああ」とうなずく。
「テレビになるんだってさ」
「馬賊の更生日記、的な?」
「そう。馬賊……」
「あちゃー。アタシ、悪者にされちゃうんだろうなあ」
「そんなこと話さないよ!」
シュイは頬をふくらませた。
「ケントのことだって、ちゃんと言う。オレが初めに撃とうとしたんだって。このあいだだって、どっちも仕方なくて戦ったんでしょ。誰も悪くないんだってしっかり言うよ」
「うんうん、頑張れ」
詩布は立ち上がって、シュイの頭を撫ぜた。
古びた義手だと力加減が上手くできなくて、髪をぼさぼさにしてしまった。
番組のシナリオはすでに決まっているのだろう。
RAMが日本国民、それもこんな子供を撃った。あんなゴロツキどもに任せず、関東の緩衝地帯は国軍が管理すべきだ。ソ連の国内が不安定になったこの機に乗じて、軍備の再編成も行う。前線を上げてまずは植民。そして領土の既成事実化。国民を守れ、まだ北には取り残された子供たちが居るぞ――と。
「ま。
詩布は手をこすり合わせた。
「今のところは、無理せず肩の力抜いて頑張りなって、人生のセンパイとして言いたいわけ。あんたは実際に経験できたわけじゃん? それって、どんな嘘よりも強くなる日が来るからさ」
「じゃあシノブが言ってよ。センパイなんだろ」
「アタシはもう嫌だよ。疲れるもん」
詩布は笑って、ポケットに手を突っ込んだ。指にカサカサと触れるものがあった。
取り出してシワを伸ばす。
結局、真紀が遺してくれたのはこれだけだった。1人分のレシピ。火加減から分量まで秒やグラム単位で指定してある。
それにしても相変わらず下手くそな字をしてた。こういうところばっかり遺伝してばっかり。これからも、読み返すたびに苦笑するのだろう。
「アタシ、しばらく平塚に居るから、一段落したら遊びに来な。文字くらいなら教えてあげる」
「え……」
「美味しいチキンライスも付ける。これでどう?」
シュイは首を傾げていた。その肩をとんとんと叩いて、詩布は立ち去った。
駅への帰り道を歩いていると、古ぼけたCDショップを見つけた。
ショーウィンドウに飾っているジャケットに見覚えがあった。映画のサントラだ。長年そこに置かれているのか、すっかり白くなっていた。
「すみません、これ一枚もらえる?」
貧相な顔の店主が出てきて、820円、と告げる。
「お客さん、RAMか?」
お札を受け取り、じゃらじゃらと小銭を引き出しながら店主は言った。
「どうして?」
「みんな買っていくんだよ。半分はバカにするために」
「アタシは残りの半分かな」
「あー……ガレアスに乗ってたり?」
「これ、放映されてからRAMの応募増えたっしょ?」
「そうだったな。でも脚色がひどくてね。わざわざ変な男を出して
詩布はうんうんとうなずいて、お釣りを受け取った。
駅で新幹線に乗ってから、そっとCDを取り出してみた。
ぼんやりした黒髪の、白い顔の少女。後ろには真っ赤なガレアスが劇画調のタッチで描いてある。
本人を知っているなら、これが『ガレアスの女』だとは誰も思わないだろう。
でも詩布だけは、これが一番『赤坂 詩布』に近い顔だと知っている。
そっと、胸に抱いてみた。褪せたCDジャケットからは太陽のにおいがした。
「また、居なくなっちゃった」
ぽつりと呟く。
悲しい気持ちはあまり湧かなかった。実は安堵しているのかもしれないな、と思う。
消えた三八式はまだ見つかっていない。地面には焦げた跡が残っているばかりで、文字通り跡形もなかった。ウォーラスもどきも同様だ。
真紀たちは、まだ戦っているのだろうか。
まだ生きているのは分かる。あの人は何でも出来た。健斗もいる。
突然、カバンで携帯が鳴り、詩布は新幹線の連結部に向かった。
携帯は買ったばかりで、番号もひとりにしか教えてない。慣れない手つきで通話ボタンを押すと、案の定、女の声が聞こえた。
「あら、早いのね」
「うん。今、帰りの電車」
「どうだった?」
家を出たときより声がしっかりしている。胸の傷は塞がったらしい。
「あんまり。でもいい子に会えたから、トータルじゃ良かったかも」
「そ」
相手は全部分かってるみたいに言って、「帰りはいつになりそう?」と尋ねてきた。
「明日の昼までには帰れると思う。知り合いに
「じゃあ待ってる。それでいい子って?」
「シュイのこと。今度、テレビ番組に出るってさ」
裸の携帯も寂しくてくっ付けたストラップを、小指でつついて揺らす。
星形の飾りがきらきらと光った。好みからするとちょっと可愛すぎたかもしれない。
電話が切れてからも客席には戻らず、しばらくドアの窓に映る景色を眺めていた。
ときおりカバンを引っかきながら鹿屋 健斗という青年のことを思い出した。
いつも何かを取り戻そうとしている人だった。いつかの手紙には、真紀と出会って半分くらいは諦められたと書いてあった。残りの半分も、今ごろは片付いているだろう。
もし、何かをやり直す機会が与えられたら。
健斗は飛びついた。詩布は、まだ分からない。
詩布は自分の手を見つめる。
いっぱいに開くと指先が見えなくなって、義眼側の狭い視野が感じられた。
「
傷だらけの指を曲げて、スラックスのポケットに突っ込む。
暗くて締め付けてくるようなポケットの奥は、どこかに繋がってる気がした。遠くの世界でも、同じようにポケットに手を入れた誰かがいる。その人がそっと指を重ね、詩布も握り返す。
あと少しで手を引ける、というところで、やめた。
目を上げると時速220マイルで飛んでいく景色があった。その上に、穏やかな顔をした女がうっすらと反射している。自分という女がこんなに
「じゃあね」
詩布はその場をあとにした。
席に座ってすぐ聞いたアナウンスによると、次の駅まではまだ遠いようだった。
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