6-3.
「このあと、主計科の倉庫で」
話しかけられたのは真紀を見送った直後だった。
カルガは肩を落とす。相手が誰なのかは見なくても分かる。
「ここで終わらせてくれないかしら。どうせ同じなんだから」
「見せたいものがある」
「私は見えないのに?」
返答も無く気配は消えた。いつものように。
カルガはため息をついて玄関を上がり、台所の冷蔵庫を開けた。健斗がフタに貼ってくれたテープのおかげで、見えなくてもボトルの種類は分かる。セロテープは水、マスキングテープはイオン水、何も無いのは詩布の酒……。
彼に頼んだことは一度も無いのに、気が付けばこういった配慮をしてくれている。
ひとりでちびちびと飲む水は、カルキの臭いが気になった。
唇から舌までねっとりと塩素の苦みが包んで、飲み込むと喉にいがらっぽい膜が張ったような気がする。呼気まで苦くなってしまって、さっさと乾燥して欲しくなるくらい。こうして家に誰もいないときは、妙に肌ばっかり敏感になる。身体まるごとぽつんと残されて、どうしようもなくすべてが無駄になってくるような――咳をしても一人。まったくナンセンス。
健斗の雰囲気も、最近になって変わった。
以前はぼうっとしている時間が多かった。話しかけるたびに『色』が変わるから、まるで何人もの男と話しているようなところがあった。
今はもっと一貫している。きっと覚悟が決まったのだろう。それがどんな覚悟か、カルガには分からないが。
じっと水を飲んでいるうちに、今度は腹が立ってきた。
この身体には価値がある。そんなことは分かっている。外見も能力も体質も、使えるものはすべて利用してきた。それらだけが唯一の資産だった。
さっきの男は、その資産を見返りも無しに使おうとしている。安売りしたらどんどん値が崩れる。そうやってカルガがどんなに説明しても無理だった。使わせろ、の一点張りだ。
もしかすると昔、相手した連中のひとりなのだろうか。そうかもしれない。勝手にこちらを所有物扱いするような男だ。いかにも馬賊らしい。
「戦争は好き嫌いで出来るものじゃないのよ……」
カルガはクシャッとペットボトルを丸めた。
扱いはどうであれこちらは所詮、兵士というちっぽけな編成単位だ。今はおまけに元が付いてる。期待しても得られるものは何もないのに。
手探りで見つけたゴミ箱に捨てたところで、玄関に人の気配を感じた。
「どなた?」
ドアを開けると、ずいぶん背の低い相手と分かった。少し足を引きずっている。怪我ではなくて、靴のサイズが合っていないらしい。
「あ……ケント、いないの?」
その幼い声でカルガも思い出した。シュイとかいう子供だ。
「ええ。私だけ」
「また今度にする。ごめん」
「待って」
カルガはサンダルをつっかけた。もしかすると、いい機会だったかもしれない。
「えっと……」
「カルガよ。このあいだ、名乗らなかったかしら」
「知ってるけど。でもその目、見えないんだろ?」
「盲人が外に出ちゃダメって法律は無いもの。それとも案内できる自信がないとか?」
腕をつかむ。シュイは一瞬逃げそうになったが、こちらが転ぶと思ったのか、動きを止めた。
「お願い。格納庫に案内して」
カルガはにっこりと笑った。
格納庫へ行くと、あの人はいつもと同じようにうたた寝をしていた。
昔からよく寝る人だった。起きていても無口で、こちらから話しかけないと決して口を開かない。
今日も戦場の夢を見ているようだ。くつくつと肌が熱を帯びている。
カルガがその足に触れると、彼が目を覚ましたのが分かった。わずかに首が軋み、三つ目がこちらを向く。
――ずいぶん重そうね。
ああ。だがじきに必要になる、と彼は言って、また眠りについた。
「珍しいな。あんたが来るのは何週間ぶりだ?」
整備員のひとりが声をかけてきた。たしか羽田とかいった。
カルガは手を離して、いつものように微笑んだ。
「サンパチはもう1輌あるって聞いたけど」
「このあいだ回収したやつか? 向こうで組み立ててる」
「案内して」
「分かった……しかし急だな」
羽田の靴音が遠ざかっていく。追いかけようとしたらシュイが手を引いてくれた。
「今、MLFVと話してた?」
よく見ている、と思う。
「あら。分かっちゃった?」
「あの灰色のやつ、カルガを見た気がしたから……」
「普通の戦車と違って、あの人たちは頭があるものね」
「人?」
「人みたいなものでしょう。少なくとも人類よ」
カルガは首をさすった。チタンの骨格が硬い。
「頭と手足があって、2本の足で歩いてるんだもの。私たちと同じで」
もうひとりはジャッキアップされているようだった。
近付くと頬が熱くなった。
「これ以上近くはヘルメットが要る。欲しいなら持ってこさせるが」
「いえ。ここで大丈夫」
やはり、こちらの躯体も周りを見ている。荒い息でじっと待っている。
「ねえ、どんな見た目?」
カルガはシュイに尋ねた。怪訝そうに見られたのが分かった。
「どうって……さっきと同じやつ」
「傷とかは?」
「えっと」
シュイの指から力が抜ける。
「胸のあたりに大きな焦げ跡がある。足も片っぽのカバーが無いかも……。肩に武器みたいな丸い筒が3本ずつくっ付いてるけど、何か分かんない」
「発射機ね。……テストで武装させてるの?」
「あの個体は武装させないと起動しないのでね」
羽田がファイルをめくる。
「OSを弄られたとき、モジュール間の接続が滅茶苦茶になったらしい。まあ、とりあえず装填したのは白燐弾だ。あれなら暴発しても皮膚が焼ける程度で済むからな」
「燃料は? どれくらい入れてるか分かる?」
「満タンだ。このあと耐用試験もすることになってる」
だからか、とカルガは呟く。まだ暴れるつもりらしい。
見学が終わって格納庫の休憩所でぶらついていると、聞き慣れた声がした。
「サーマルガンの照準が166から先でズレてる。計算式はアタシの方で出したから直しちゃって」
詩布だ。朝からやっていた兵装の評価試験が終わったらしい。
「すみません。なにぶん不慣れなもので……」
「謝る暇があったらさっさとやってくれない? 面倒くさい武器なのはアタシも分かってるからさ」
しっかりしたブーツの足音が通り過ぎていく。今日はまだ酒を空けていないようだ。
詩布たちの声が聞こえなくなると、シュイが隣の椅子で足を揺らした。
「RAMってもっと気楽かと思ってた」
腿のあたりからかすかに革がこすれる音が聞こえた。
ホルスターだろうか。銃は没収されて入っていないようだった。
「そう?」
「RAMなら金もたくさん持ってて、薬も食べ物もたっぷりだって、
「私たちは自給自足だったものね」
「うん」
基地から盗んだり、略奪したり。汚染が少ない農地で畑を作る馬賊もいるが、それだけでは養いきれないから最後はRAMや軍隊から奪いに行くしかない。
また、シュイの足から革がこすれる音が聞こえた。
この子はまだ人を殺したことがないらしい。ホルスターに入っていた銃も護身用だ。
「ちょっと主計科の倉庫に連れて行ってくれる?」
シュイがこちらを見たのが分かった。カルガは微笑んで、喉をさすった。
「風邪気味なの。お薬をもらいに行きたいのよ」
「誰かに言おうか?」
「嫌よ。心配させちゃうじゃない」
「でも……」
「ね、私の一生のお願いだから……」
そう言ってわざとらしく咳き込むと、シュイは観念して手を引いてくれた。
倉庫は行政部の裏にある。周囲の人通りは少なく、午後の備品点検が終われば利用者もいない。なるほど密会の場所にはうってつけだ。
「ありがとう。ここから先はひとりで行けるから」
ドアの前でシュイの手を離す。扉の鍵は壊されていて、簡単に開いた。
「薬、分かるの?」
「いつも触ってるもの」
もちろん嘘だ。それでも、シュイは黙って立ち去った。
倉庫の中には馬賊の男がいた。彼らは満足に石鹸も使えない生活をしているから、近くにいると体臭ですぐに分かる。
「来たか」
男はふらつきながら立った。
「ええ」
「
いつも、馬賊たちは戦いのことばっかりだ。
シュイが言う通り、二手三手と先のことを考える余裕がない。
「今さら私たちに何ができると言うの。証安党は無くなったのよ」
「ただ司令部が消えただけだ」
壁の棚から何かが落ちた。男がこちらに歩み寄る。
「まだ武器はある。シーフもいる。一度だけでも勝てばいいんだ。そうすれば様子見していた連中が合流して、また俺たちは戦える」
「負けが込んでる。立て直すのは無理よ」
「でもあなたが加わってくれれば、きっとみんな戻ってくる」
「『きっと』……ね」
カルガは倉庫を出ようとした。その前に男が回り込み、勢いよくドアを閉める。
「頼むよ。最後のチャンスなんだ……」
男が何かを取り出した。ぎこちない金属音が鳴ると、カルガにもそれが何か分かった。
「シュイと会っただろう。あの子はまだ文字が読めないんだよ」
銃を構えたまま、男は一歩進んだ。
「内地でも勉強はできるわ」
「馬賊なんだぞ! 子供が生きていけるわけがない!」
「だから大人になるまで、こんなところで足踏みさせるの?」
カルガは手探りで拳銃を掴んだ。
銃口を自分の胸に押し当てる。相手が息を呑む。
「私たちは早々に諦めてしまって、人生を縛りすぎたの。充分すぎるくらいに。その
「不幸だと……あの子は弟を失ったんだぞ!」
「ええ、そうね。生まれてしまったことと、死んでしまった人はどうしようもない」
トリガーにかけた指が震えていた。
ぎちぎちとグリップを握る相手のこぶしを、カルガは両手で包んだ。いざ触れてみると、お互いに傷だらけの手をしていた。やはり、自分も馬賊だった。ふっと笑う。
少し、長生きしてしまった。
「私たちは失敗したのよ。その挽回に、子供たちを付き合わせちゃダメでしょう?」
ぐっと力を込める。男の人差し指が押し込まれ、かちりと撃鉄が動いた。
耳をつんざくほどの轟音が上がり、倉庫の壁を反射していく。
すっと冷たい感触が胸を突き抜けた。それがじんわりと熱を帯びていって、耐え切れないほどの痛みに変わる。膝が折れた。コンクリートの床にごぼごぼと白い人工血液が広がっていく。
男の背後でドアが開き、RAMが顔を見せる。
「今のどうした、銃声か――」
ぜんまいの切れた人形のように男が振り向く。その手の中で、拳銃が細く煙を上げる。
中の光景を目にするなりRAMは反射的にドアを閉じた。敵襲を告げる声が遠ざかっていく。
「戦いなさいよ」
開いた口からプラスチックの血がこぼれた。全身に返り血を浴びて、男は立ちすくんだまま泣きそうな顔をしているのだろう。
「あなたの責任なのよ。ここで償いなさいよ」
ドアがまた開き、男が倉庫を出て行く。
銃声がいくつか響いた。ひとりやふたりの銃撃じゃない。
カルガは大きく息をついた。もう手の感触が無かった。死ぬ瞬間は色々と想像していたが、いざ味わうとひどく孤独な気分だった。身体を丸めて痛みに耐える。今は痛いのと同じくらい寒い。
「ごめんなさいね」
意識が遠くなっていくなか、料理好きなあの子を思い出した。
いつかウォーラスのカメラ越しに見た、あの顔。正面きって言ったことはないけれど、とても可愛かった。
また、自分のせいで苦労させてしまう。
だけどあの子の隣には彼がいる。彼も覚悟を決めている。だから、自分がいなくても安心していいのだ。
気が付けば血の流れが止まっていた。乾きゆく舌を感じながら、カルガは目を閉じた。
まぶたの裏に本当の暗闇が広がった。
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