5-4.
一週間も経つと、リハビリのメニューはだいたい覚えた。
ストレッチしてから歩き、少しずつスピードを上げて駆け足にしていく。
痛いのは初めと終わり。以前は平気だった動作が、今は途方もない重労働になってしまった。
いちど痛みが走るとなかなか引かない。来たな、と思うと背中にトゲを刺したような感覚が夜までずっと続いて、アスピリン無しでは眠れなくなってしまう。
この傷はどうしようもないし、きっと治らない。
それでも身体が動くだけマシなのだろう。夢を見ることも無くなったから、多少は寝覚めも良くなった。
「俺、たぶん……」
健斗は口を閉じ、ペンを握りなおした。
怪我のことは仕方がない。
今日こそ遺書を作ろう、と思ったのは人生の区切りのつもりだった。
ダイニングの机に置いた紙は、『俺は』と書いたところで筆が止まっていた。
詩布に尋ねたら「フツーでいいよ」と言われた。見せる相手と、伝えたい言葉さえ決めていれば、あとは勝手に向こうが解釈してくれる。何でもいいから適当に書け、と。
これまでのことを書くというのも考えた。初めに読むのは真紀になるだろうから、秘密の2、3を明かすくらいは良いかもしれない。
俺は異世界から来た孤独な男だ。初めはきみを救うために――。
乏しい文才のわりには悪くないとは思うし、実際に筆が進むところまでは書いた。
だが、そうやってしたためた遺書は今、ゴミ箱の中でばらばらになっている。死んでから読まれるもので自己紹介してどうするというのだ。
いざ考えてみると、死んだところで何ひとつ残せる物を持っていないように思えた。財産はRAM共通のプリペイドカードが1枚っきりで、講釈を垂れるほどの教養も、誇れるような地位もない。
「カッコ悪いなあ」
男は30を過ぎたらボロが出る、と言う人がいた。自分に関してはもっと早い。
ペンと紙をポケットに放り込み、台所に立つ。冷蔵庫を開けると塩漬けにした野菜と魚のパックがあったので、4人分の酒蒸しを作ることにした。
出汁は鰹でとった。真紀は昆布よりこっちの方が好きだったはず。
『何やってるんですか! 男子、台所に入るべからずって言いましたよね!』
怒鳴る彼女が目に浮かぶ。
それでもヒマだったと言えばたぶん許してくれるだろう。気をつかわれる身体というのも、たまには役に立ってもらわないと困る。
蒸気を噴く土鍋を眺めながら、健斗はまた遺書のことを考えた。
真紀はこっそり書いていたらしい。詩布も任務が終わったらすぐに新しいものを書くのだとか。
健斗だけ、自分が死ぬことは想定してこなかった。
否。
考えていたが、リアルになるとは思ってなかった。死んだらこうなるな、という想像図をぼんやりと浮かべていただけで、鹿屋健斗という存在が消えることに真面目に向き合ったわけじゃない。
楽観視、していたのだろうか。
そうかもしれない。
時計を見ると、8分ほど経っていた。コンロの火を止めて玄関に向かう。
真紀はまだ帰ってこないようだった。事務が忙しいか、酒保商人のところで息抜きをしているのかもしれない。
詩布はカルガと透析を受けている。こっちはこっちで仲良くやってるそうだ。
すっかり見慣れた大通りを、戦車の
空は今日も曇り模様。明日には雨が降る、と天気予報が言っていた。
格納庫の前を通ったとき、外でMLFVが歩いているのが見えた。三八式のようだが、円筒と箱をごちゃごちゃと組み合わせた装置を背負っていた。まだ調整が終わってないのか、派手によろめいている。
「何をなさってるので?」
格納庫の扉から羽田が出てきたところで、健斗は声をかけた。
羽田はこちらを見ると、ちょっと気まずそうに頬を引っ掻いた。日に焼けた肌がめくれて、白いラインが引かれる。
「すまないな。すぐ外すから許してくれないか」
「いや、いいですよ。背中のあれ、戦車のパワーユニットですか?」
「まあな……」
羽田は他の整備員に指示を出すと、健斗を屋外テントに案内した。
テントにはパイプ椅子と長机が用意してあって、眠そうな顔をしたRAMが点検項目のファイルをめくっていた。別の椅子では監督役の士官くずれが無線機を握っている。
「項目12まで実行した。今のところ問題ない」
と士官くずれが前を見たまま言う。
「ご苦労だった」
「だが予想よりもニューラルネットワークがCPGの生成に手間取っている。先ほど報酬値を0.24に上げたが、許可をいただければ0.54まで増加させたい」
「結構だ。このまま続けてくれ」
羽田は士官くずれの肩を軽くたたいた。
「……羽田さん、時間が無いのではなかったかな」
「過学習のリスクは避けたい。最悪、実動試験は歩かせずにやるさ」
「大した片手落ちだな。了解」
士官くずれが無線機に指示を出す。
三八式が片膝をつき、機関出力を上げていく。背中のパワーユニットからも高音が響いた。
どこか聞き覚えのある機関音だった。
さっきから羽田のツナギからは灯油のにおいがしている。もし燃料なら、ただの戦車じゃない。
「回収したウォーラスのタービンエンジンだ」
羽田は静かに言った。ちらりと健斗を見てうなずく。
「斥力シールドを使うには出力が足りないのでな、発電機として背負わせてみた」
「勝手に組み付けて大丈夫なんですか?」
「まあ、法的にも工学的にもスレスレだ」
羽田はくるくると指を回し、
「熱交換器も燃料槽も外付けにしている。だいたいタービンエンジン自体、扱いがきわめて難しい。ここまでしてフル出力の稼働時間はやっと300秒といったところだろう」
「試作のエンジンなのに5分も動くんですか?」
ああ、と羽田は試験中の三八式をにらんだ。
「サンパチのシステムが勝手に最適化するのでね……」
タービンエンジンの叫び声を上げながら三八式が歩き出す。あちこちに増設したダクトが冷媒を吐き出し、白煙で辺りが包まれる。
通信機でのやり取りがさっきより騒がしくなった。出力という単語が何度も繰り返されていた。
機関音がさらに高くなり、三八式の装甲がびりびりと震える。健斗たちのテントまで共鳴を始めた。
「システムに何かが割り込んでいる。出力の上昇が止まらない」
士官くずれが舌打ちすると、羽田は通信機をひったくった。
「試験中断する。エンジンカット。ラジエータのサイクルを200rpm上げろ」
すぐに燃料の移送が止まり、機関音が静かになる。
消火班がやってきて、熱気を上げる三八式に放水した。炙られた装甲の上で、水がじゅうじゅうと音を立てて蒸発していく。
水蒸気で濡れた三八式の顔は、憤怒で揺らいでいるようだった。水色の三つ目だけが変わらずぎらついている。
「何を焦っているのだ、あれは……」
ぽつりと羽田が呟いた。
◇◆◇
自宅に戻ると、案の定というか、真紀が眉間にしわを作っていた。
「私のご飯、もしかして不味いんですか?」
と言って、玄関のところで腕組みする。長くなりそうだ。
「面倒くさい怒り方しないでくれないかな」
「は?」
「ごめん。悪かったと言うつもりだった」
「いちいち回りくどいです」
「察してくれると思って信頼してるのかもな……」
頭をぽんぽんと撫でて室内に入る。食卓では詩布たちが苦笑していた。
カルガが「お疲れ様」と声をかけてくる。
「人の災難を笑わないでくれませんかね」
健斗は席に着いた。真紀はあんな態度だったが、配膳までしっかり済んでいた。
「鹿屋君も慣れたよね」
詩布がワンカップ片手に言う。真紀も隣に座ってきた。
「真紀が独りでキレすぎなんですよ」
「はあ、誰が?」
「だから子供っぽいよねってさ……」
足を踏まれた。こういうところは本当に大人げない。
食事が終わったところで、健斗は家の外に出た。
いつもと違って、真紀は食器も洗わせてくれなかった。どうにも
『俺は』
書いてあるのは相変わらずそれだけ。
これ以上は何も書けない気がした。ここでの生活は満ち足りすぎている。
「終わりました」
背後でドアが開き、真紀が出てきた。
洗剤の香りのする手を拭きつつ、下を向いたまま言う。
「その……美味しかったです。ごちそうさま」
「それって
「悪いですか」
やっと顔を上げてくれた。
出会った頃は無理して笑っていた真紀が、今は素直にしかめっ面をする。
「サンパチは見たか」
健斗は紙を畳んで、ふたたびポケットに放り込んだ。
「増設した義装のことですか?」
「羽田さんが『焦ってる』ってさ」
「焦ってるって、誰が」
「さあ……」
はぐらかしてみたが、真紀には伝わったらしい。
健斗の隣に立つとあくびをして、サンダルで地面を蹴った。
小さなつま先で削れていく砂地を眺めながら、健斗は次の戦いを考えた。残るウォーラスは1輌。もし起こるのなら、最後の戦闘になるだろう。
「また、戦うことになるんでしょうね」
真紀がこちらを見ていた。困ったような顔が、健斗と目が合うなりうつむく。
「……ああ」
健斗も前を見た。
「また生き残れますよね?」
健斗は答えられなかった。次の言葉はきっと嘘になるだろう、と思ったから。
真紀は何も言わずに家に戻った。
多くのRAMがタバコを喫いたがる理由が、ちょっぴり健斗にも分かった。
浅く息を吸い、そして吐く。
煙のように白い呼気が上がり、ずいぶん冷えた夜気に初めて思い当たった。
「そうか」
ポケットにガサガサとした紙の感触があった。そいつを引き出し、両手で引き裂く。
遺書になる予定だったものが無数の紙片に変わっていく。8つほど千切ってやると、残った部分も風にさらわれてどこかに飛んでいった。
「赤坂さん、いるかね」
いつの間にか、通りに羽田が立っていた。
ずっと試験をやっていたらしく、昼よりさらに疲れて見える。
「呼びますよ」
「頼む。面倒が起こった」
「差し支えなければ、どういった用件で?」
羽田はいかにも不服そうに鼻を鳴らした。
「トラックが来たらしい。検問で止めているが、RAMではなかった」
「難民というやつですか」
「この時期だ。亡命と言うべきだろう」
分かりました、と言って健斗は家に入った。
戦いは思ったよりも早く来たようだ。
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