4-1. 双脚の勇魚

 健斗のリハビリは2日後に始まった。

 まずは手足の運動、それから歩行訓練、体力トレーニング。

 寝たきり生活のせいで、足はすっかり萎えていた。ちょっとした段差も乗り越えられず、ただ出歩くだけで何度もルート変更を余儀なくされた。

 だが一番の問題は背骨だった。

 地面に叩きつけられて歪みきった脊柱はいつ折れても不思議じゃない。


「MLFVは無理かもね」

 詩布が診断書を見たとき、静かに言っていた。

 真紀はよく覚えていないが、そうですか、と返事したような気がする。


 今、健斗は運動室で手すりに掴まって歩いている。

 すり足で進むから、ジャージの裾が白くなっていた。もし横から真紀がちょっと押せば簡単に倒れるだろう。

 この人には同情すべきだ。

 そう思っていても、どうしてもほっとする自分を感じてしまう。

 彼の戦争は、ここで終わり。

 回復の見込みが無ければ、査問委員会に退職を申し出ることができる。RAMは軍隊ではないから名誉除隊よりも額が少なくなるが、健斗の功績なら内地でつつましく暮らせる程度の金をもらえるはず。


「どうぞ」

 そう言って、ベンチで休憩中の彼に水のボトルを渡す。

「ああ。ありがと」

「無理はしないでくださいね。急いでダメになっちゃったら本末転倒ですから」

「分かってる。でも焦っちゃうんだよな」

「……ですよね」

 顔では笑みを作りながら、心の底では彼が再起不能になることを願っている。

 汚いと思う。でも、そうやって自己嫌悪することで自分を慰めている。

 どうやら夜叉になってしまったらしい。


「ごめん」

 急に健斗が言ってきた。

 彼は咳払いして、半分ほどになったボトルを差し出した。

「俺のせいで無理を――時間ばっかり使わせてる。独りでもリハビリができたら……」

「気にしないでください。私もサボる口実にしてますから」

 真紀は舌を出した。

「ね、お相子あいこでしょ?」

「だったら良いけどさ」

 最近、彼はなかなか笑ってくれない。見透かされてるのかもしれない。


 リハビリが終わり、健斗が着替えるのを廊下で待っていると、詩布がやって来た。

 ジャケットから強い酒のニオイがした。誰かと飲んできたらしい。彼女が他人と飲むときは、だいたい仕事の話をするときか、任務が終わったあと。そして今の彼女は分厚いファイルを持っていた。

「任務ですか」

「うん」

 真紀は、手元のボトルに口をつけた。水がぬるい。

「私に言いに来たってことは、大規模なやつですよね」

「まあね」

「分かってますよ。遺書はいつものところですか」

「うん、お願い。弾薬も同じところにしまっておいたから」

 詩布はサファリジャケットに手を突っ込んでいた。

 左側のポケットには同僚向けの遺書が入っている。彼女はこういうときだけ筆まめだ。


 後ろでドアが開いた。

「いつも書くんですか?」

 出てきた健斗が松葉杖を突きながら言った。

「そうだけど。もしかしてキミ、やったことない?」

「まあ……俺、兵隊やったこと無かったんで」

「ダメだなあ。軍隊にとっちゃ大した事なくても、ひとり死ぬのって本当は大変なことなんだから」

 詩布は彼の姿を見ても顔色ひとつ変えない。

 長く戦ってきたから、傷痍軍人の扱いには慣れているのかもしれない。よく考えてみると、真紀はこういう詩布の人生を全然知らない。


「じゃあ、帰ってきたら習うってことで」

 真紀が言うと、詩布は苦笑いした。

「遺書残した人間にソレ言っちゃう?」

「どうせ詩布さんって殺しても死なないじゃないですか」

「言うようになっちゃってさ」

 ついでのようにゲンコツが飛んできた。真紀は殴られた頭を押さえながら、詩布の就く任務のことを考えた。

 

『ドレッド・ノート』が奪われたのをきっかけに、国軍が2個師団を追加で派遣したと聞いた。

 それに合わせた反攻作戦でもあるのかもしれない。

 RAMは基本的に鉄砲玉だが、国軍の火力支援を受けられるなら仕事は一気にラクになる。

 相手は証安党といっても、もはや虎の子のウォーラスはいない。たぶん、詩布はいつものように戻ってくるだろう。

 真紀は健斗にボトルを渡した。

「……中身、減ってないか?」

「あ、ちょっと飲みました」

 健斗は黙りこくって、飲み口を指でぬぐった。ひどく深刻そうな顔をしてるので、詩布の方をうかがうと、こっちも分からないと言いたげだった。

「あの。何か」

「いや、ちょっと思い出した言葉があって」

 健斗はぎこちなく水を飲んだ。カルチャーギャップに悩む外国人といった感じだった。


◇◆◇


 詩布が書類のまとめに向かったところで、健斗が格納庫に行きたいと言い出した。

「どうしてです」

「サンパチ、あるんだろ?」

 まさか乗る気だろうか。真紀が首を振ろうとしたら、健斗は笑った。

「秩父の整備士が一緒にいるって聞いたんだ。挨拶しないと」

「ああ、それなら……」


 基地の格納庫はいつも以上にごったがえしていた。

 恐らくローテ外の整備員も出して、兵器たちの稼働率を上げているのだろう。大きな作戦前の自治区というのは、整備の風景を見れば一瞬で分かるものだ。

 羽田の怒鳴り声が聞こえた。あんまり大声を出すイメージが無かったから、意外だった。

 待っていると戦車がガラガラと出てきて、ハッチから例の整備士が顔を出した。

「キャブレター問題ないっす! でもシューがひとつ歪んでるみたいで、右のスプロケットが引っかかってる感じします!」

「了解。書き出して明日に回すぞ。午前はこれで終わりだ!」

 羽田も大扉から出てきて、軍手を外した。

 顔を上げたところで、真紀たちと目が合った。真紀が手を振ると、向こうから近寄ってきた。


「リハビリかね」

「こちらも午前が終わったところです」

 健斗がジャージの入った袋を持ち上げる。

「そうか。見ての通り立て込んでいてな」

「では俺たちもまた……」

「いやいや、これから茶を飲むところだ」

 羽田は慌てて格納庫を指さした。「ちょうど……まあ探せば茶碗のふたつくらい見つかるだろう」

「良いんですか?」

 真紀が見る限り、とても余裕があるようには見えなかった。

「知り合いの差し入れで鉄観音てつかんのんが届いてる。ここの貧乏舌連中には勿体ないからな」


 手を引かれて格納庫に入ると、すでに整備員たちが弁当を広げていた。

 明らかに場違いな真紀たちに目を丸くしていたが、羽田が「サンパチのふたりだ」と言うと、みんな納得したようだった。

「羽田さんのご贔屓ひいきですからな」

「そういうことだ」

 羽田はストーブの上にヤカンを置いた。

 鉄観音というのはお茶のようで、すぐに急須が用意された。真紀は淹れてもらった湯呑みに口をつけた。いい香りがしたが、緑茶ではない。

「私のたちの話、よくされるんですか?」

 羽田はうなずいた。

「自慢するわけじゃないが、私も15歳で戦場に出たのでな」

「というと?」

「18年……西暦で58年か。南アフリカだった。食い扶持に困ってたから、19歳と言って飛んだよ」

 まだ朝鮮戦争が飛び火する前の話だ。

 地球の裏側で日本軍が戦ったなんて聞いたことがない。


 これだ、と羽田は写真を取り出す。

 部隊の集合写真だった。10人程度の分隊規模で、レンチを担いだ若者が右端にいた。

 彼らの後ろには巨大なヒト型のマシンが立っていた。

 背中に日輪のようなフライホイールを背負った、バイザー状の目をしたMLFV。

「ハルクか」

 健斗が呟いた。

「当時のペットネームは『マヌール』だったがな」

「こんなに昔から生産していたんですか?」

 詩布から聞いた話だと、MLFVは60年代後半に現れたらしい。58年なら、それより10年近くも前だ。


「……実は、異世界から来た人間を知っているんだ」

「また始まったぞ!」

 周りの整備員たちがどよめく。

 だが、真紀たちは固まっていた。明らかに健斗のことを指している。

「今、その人は?」

 健斗が湯呑みを置いた。水面がふるふると震えた。

「居場所は知らんが、毎年この茶を贈ってくれる」

 真紀は手元に目を落とした。色も香りも日本で買えるお茶には見えない。

君沢きみさわ機工の開発担当でな。足と手の生えた戦車を直せと言われたときは驚いたもんだ」

「それまでMLFVは無かったんです?」

「ああ。戦車と飛行機ばかりだ。ロボティクスも軍艦のバーベットがやっとという程度だった。あのハルクも実証用の試作28号機といった具合で、不具合だらけだったよ」


 50年代なら、やっとトランジスタが普及したころだ。

 演算容量も無いから、簡単なフィードバック制御だけで歩行システムを作らないといけない。

 なのに写真の中の試作型ハルクは、驚くほど現行モデルと変わらないように見えた。何もかもが足りないこの時代の技術水準で、すでに完成している。

「いいか」

 羽田はお茶をすすって言った。

「MLFVはもたらされた技術だ。あいつらは何かに向かって進化している。それが何かは分からないが、ウォーラス、ガレオンとだんだんと近付いているのは確かだ。お前さんたちも、負けるんじゃないぞ」

 整備員たちが口笛を鳴らした。羽田は苦笑して、「休憩は終わりだ」と言う。


 真紀はお茶のおかわりをもらいながら、格納庫の奥の扉を見た。

 あそこには今も三八式がいる。自分で動き、ろくに使いこなせない装備を満載したカスタム・メイドだ。

 進化――その言葉が本当なら、あの三八式は陸に上がったばかりのサカナといったところか。

 酸素にあえぎ、ろくに立ち上がることもできないが、それでも第一歩を踏みしめている。

 やはり、あれには続きがある。もう完成しているかもしれない。


「俺は違う」

 健斗が肩を落とした。

 たぶん、こちらも本当だろう。彼は自分で飛び込んだ。選ばれた人間じゃない。

「ええ。安心しました」

 真紀も微笑んだ。願わくばこれ以上の厄介ごとは抱え込まないように、と願って。

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