2-3.

 三八式の残骸はすぐに検査に回された。

 何も出ないだろう、と詩布は言っていた。コクピットには焼け焦げたシートがあっただけで、シートベルトすら装備されていなかった。

 唯一、装甲の塗りつぶされた日の丸だけが、所属を示すものだった。


 真紀は野戦病院を出ると、裸足のままつっかけたブーツで、軽く地面をたたいた。

 撃たれた脚は包帯でぐるぐる巻きにされた。血で汚れたブーツも洗う暇がなくて、踏みしめるたび足の裏がぬるぬるした。

 格納庫に向かうあいだ、新調したカーゴパンツがきつくて、膝が突っ張っていた。

 戦争中は、着替えまでいつもと違う。

 これまではサイズが合わなくて、詩布から借りたやつの裾を三度ほど曲げていた。

 今回は一度曲げると寸法が合った。ちゃんと女性用のSサイズになっている。

 服が充実したのは国軍が参加しているからだろう。内地じゃ士官の募集枠が拡充されて、女性の従軍者も多くなったと聞く。


「総力戦、ってやつですか」

 今この瞬間も、前線のどこかでSサイズの女性用カーゴパンツを着た兵士が戦っている。

 その人のおさがりがこっちに回ってきているわけだ。こんなにきつい服では苦労しているだろうな、と思う。

 

「ああ、もう終わったのか」

 格納庫では整備士の羽田が休憩しているところだった。

 電装の壊れた戦車が相手だったらしいが、修理はほとんど終わっていた。

「ええ。大したことはないそうです」

「サンパチのM2に撃たれてか」

「手も足もつながったまんまの兵隊なんて、そんなものですよ」

 飲むか? と羽田が紙コップを差し出してくる。中身は奥さんに淹れてもらったのか、ほんのりと紅茶の香りがした。

「いえ……羽田さんの分ですし」

「そう言うな」

「しかし」

「ちょっとでも血を流したのなら、水分は必要だぞ?」

 あんまり羽田が真面目くさって言うので面白かった。真紀は微笑んで紙コップを受け取った。

 紅茶は茶葉から淹れたものだった。ちょっと胡椒みたいな辛みがあるから、ダージリンかもしれない。


「兵隊でもこういう格納庫は苦手というやつは多いのだがね……」

 羽田も自分が飲む分を水筒のカップに注いで言った。

「でも自分の乗機ですよね?」

「乗ってる間はな。ここでは整備屋の管轄だ」

 水筒を置いたキャスターには、割れた基板や切れた導線が乗っていた。

「私は好きですけどね、戦車」

「恐くはないか」

「いえ……?」

 真紀はコップから口を離した。普通は恐いものなんだろうか。


「だって、ぜんぶ倒せる相手じゃないですか」

「赤坂さんがそう言ったのか?」

「あ……はい」

 羽田は納得したようにうなずいていた。

 真紀が拾われて、詩布から一番初めに叩き込まれたのは兵器の整備だった。銃や戦闘車輛AFVに限らず、ありとあらゆるものの応急処置法を教えてもらった。

「恐いのは、分からないから。分かれば恐くなくなる」

 というのが詩布の持論だ。

 真紀は格納庫を見渡した。ここにあるものすべて、名前が分かる。壊し方も直し方も分かってるというのは、自分の意志で制御できるということだ。恐いわけがない。


「あのサンパチはどうだ」

 羽田の声に、真紀は視線を戻した。

 紙コップを持ったまま、羽田は奥の扉を指した。

「勝手に動き出す、わけの分からないパーツは載っている、それに今回の戦闘と来た」

「あれは味方でしょう」

「本当にそう言えるか? 機械はプログラムで動くものだ。今はたまたま我々が条件を満たしているだけで、何かの拍子に暴走しないとも限らないぞ」

「ですけど……」

 襲撃してきた三八式と、格納庫にある個体はほとんど同じものだった。

 ウォーラスとの戦いでは、味方してくれた。だが今回は敵になった。

 どちらも自我があるのは間違いない。明らかに、あのMLFVは自分の判断で動いている。

 

「……そんなの、人間も同じじゃないですか」

 真紀はぽつりと呟いた。


◆◇◆


 日没までに夕飯の準備は終わった。

 まだ補給線はしっかりしてて、醤油も野菜も贅沢しなければ足りている。

 今日のメニューはあり合わせのもので作った煮物。いつも通り、味付けは濃くしておいた。

 透析の終わったカルガと一緒に食べながら、真紀はぼんやりと部屋の壁を見つめる。

 与えられた家屋は、筋交いがむき出しのあばら家だった。

 平塚や秩父と比べたら手狭だが、電気もガスも通っているから不便は感じない。むしろ殺風景だからこそ、余ったひとり分のスペースが目についた。


「3人分作るのにも慣れてきた?」

「はい?」

 真紀が目を向けると、カルガは茶碗を持ったまま「そう」と呟いた。

「ここのところ、ご飯の量が多かったから」

「……知ってたんですね」

 急に健斗の分が無くなったせいで、しばらく食材の量が分からなかった。気取られないよう取り繕ったつもりだったが、やはり人の目はごまかせないらしい。

「ええ、助かってますよ。あなたも詩布さんも残さない人ですから」

「おかげさまで、ね?」

 空っぽになった茶碗が差し出された。

 真紀はおかわりを盛りながら、カルガの手術痕だらけの腕を見た。

 この人は普通の人間とは違って、好きなときに代謝を止められる。たとえ2週間食べなくても顔色ひとつ変えないだろう。


「失うこと、今でも慣れないんですよね」

 また意識しないとため息が出そうだった。

「たまに健斗君と会ったことすら後悔してる自分がいたりして」

「あなたと出会わない方が、彼は幸せだった?」

 カルガが茶碗を受け取る。

「そんなところです」

「本当は違うと知ってるのに?」

「ええ……そうです」

 真紀は自分の器を取り、ぱくりと煮物の人参を口に運んだ。しょっぱい。


「前に一回、健斗君がすごい怖い顔をしたことがあったんです」

 故郷の町に帰る直前のときだった。手を握った瞬間、彼の形相が変わった。

「あの人、私から触るといつもびっくりするんですよ。本当、鉄砲を突き付けられたみたいに」

「お目にかかりたいものね」

「でも、あのとき初めて分かったんです。『ああ、私、この人を縛り付けてるんだ』って。あの人、ロボットなんですよ。私がいるから、私のために無茶ばっかりやっちゃうんです」

 いつしか、健斗が「真紀のことばっかり考えてる」と言ってくれた。

 きっと嘘ではないのだろう。そのうちいくらかは好意も交じっているかもしれない。

 だが、そろそろ終わりにするべきだ。


「……健斗君には感謝してますよ。でも、そろそろ自分の人生を歩いてほしい」

「あなたはどうなの?」

 カルガが箸を置く。さっきおかわりしたのに、もう食べ終わっていた。

「どういう意味ですか」

「あなたは彼のことをどう思ってるのかって」

 真紀はカルガの目を見つめた。濁った目が細くなり、きゅっと微笑む。


「自分からみんなで不幸になりに行くのを、賢い選択とは言わないわね」

「それは、そうですけど……」

「そういう話なの。分かってるなら終わりにしなさいな」

 どんなに見つめても変わらない瞳。兵器と同じだ。

 本当に、この人は強いと思う。


「判断が早いのも、やっぱり常在戦場ですか」

「そうかもね」

 ならば、あの三八式も同じように迷わないのだろう。


 皿を洗い終えたとき、遠くで地響きがした。

 重量バランスが滅茶苦茶なガレアスの歩行は分かりやすい。さっさと煮物を火にかけて、詩布の分を用意した。カルガの言う通り、ちゃんと過不足ない分量になっていた。

 今日の任務は哨戒だったはずだ。久しぶりに肩を揉んでやろうかな、と少し考えた。


「嬉しそうね」

 カルガがソファで横になりながら言った。

「お布団なら用意しますよ?」

「こっちの気分なの。毛布だけお願い」

 言われた通り毛布を持ってくると、カルガはすでに目を閉じていた。

 こういう顔のときだけは人間らしくて安心する。


 真紀が立ち去ろうとしたとき、カルガが呟いた。

「今日もみんなが帰ってきて良かった」

 真紀は足を止め、振り向いた。だが、もうカルガが口を開くことはなかった。

 毛布を掛け直すついでに、真紀は彼女の耳元でささやいた。

「ええ。本当に……」

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