2-4.
詩布は日付が変わったころに帰ってきた。
眠らずにラップトップで書類を作っている真紀に、彼女は少し驚いた様子だったが、「お疲れ」とだけ言うとシャワーを浴びに行った。
ちょうど真紀も収支報告書が片付いたので、煮物を温めなおすことにした。
ズボラな詩布もシャワーだけは欠かさない。
彼女が脱ぎ捨てた服は、いつも火薬とオイルで焦げ臭くなっている。衛生というよりは戦場のにおいを落としたくてやっているらしい。
血や焼けた鉄のニオイはしなかった。戦闘は無かったようだ。分かりやすい人だと思う。脱ぎ方ひとつで今日の仕事が察せられる。基本的に、隠し事が下手なのだ。
そしてシャワーが終わると、詩布は途端に口数が多くなる。
「――でさ、今日は特に戦闘とかはなかったんだけど、訓練だから参っちゃって」
詩布が仕事の話をするのは珍しいから、よっぽど疲れたらしい。
「そうですか」
こうして吐き出してくれると、本当は真紀も嬉しい。信頼されてる気がして。
スイッチの切り替え方は人によって様々だが、詩布はシャワーと雑談。
こういった詩布の習慣に気が付いたのは、初めてバーに連れて行ってもらったときだった。
旧軍の尉官の服を着崩した男が、バーボンを買っていた。以前、表通りで酔いつぶれていた男だった。
「また買うの?」と詩布は尋ねた。
男は答えず、にやりと笑って、プリペイドカードを店主に放り投げた。
そんなものだ。戦闘が終わるたびに飲みもしない酒を買う少尉もいれば、慰安所に駆け込む軍曹くずれもいる。真紀も詩布達には秘密にしているが、戦闘後はいつも遺書を書き直している。
たぶんカルガや健斗にも、そういったスイッチがあるのだろう。
「でも、あいつら死ぬんだろうなあ」
急に詩布が呟き、真紀は姿勢をただした。
「……はい?」
「今日の訓練さ、ぜんぶ距離500でやったわけ」
詩布は口をへの字に曲げた。
500。国軍のドクトリンなら、MLFV同士で想定される交戦距離だ。
「ロシアとか中共が相手ならそれでいいよ、向こうも部隊で役割分担するから。でも馬賊はバラバラの武器使ってるじゃん。500なんて適正距離で律儀に戦ってくれるわけがない」
「詩布さんが直せばいいじゃないですか」
「ん。でもアタシが担当したやつだけ変えても、他がいるからさ……」
昼か、それともずっと前のことを思い出してるのか、詩布はぼんやりと遠くを見ていた。
「仮想敵が違うんだよ、だから10年かけて準備したものが全部ダメになってる」
確かに、国軍の動きは鈍い。
この10年、国軍はソ連の南進に備えてきた。砲兵を中心に、かさばるロケット砲、沿岸から撃ち込むコルベット、戦車をたやすくひねる攻撃ヘリや、爆撃機――と。
馬賊はRAMに丸投げして、これまでは上手くやれていた。
だが、証安党がすべてを変えてしまった。
組織化され、訓練を受けた馬賊は正規軍に匹敵する。ほとんど軍閥といっても差し支えない。
資金、開発力、軍事力に至るまで、証安党はそれまでの馬賊を変えてしまった。
「いつから空回りしてるんでしょうね。私たち」
「さあね」
詩布は空になったスキットルを寄越してきた。
いつものように真紀が焼酎を注ぎ足すと、詩布はシャカシャカと振ってポケットに入れた。
ほとんどエタノールの塊みたいな強い焼酎は、ああやって入れておくだけで殺菌になる。起きたら朝イチで飲み干して、仕事中はクロキリあたりの『美味しい』銘柄で満たしておくのが彼女のスタイルだ。
詩布を見ていると、だんだんと自分だけ無駄な時間を過ごしている気がしてきた。
「……詩布さん。明日、お時間いただけますか」
「なに?」
「いえ。つまらないことなんですけど」
今は笑って済ました。
証安党の手がかりなら、こちらにもある。
詩布がヒマなことは分かっていた。任務後のドライヴァは絶対に休息を取る。問題は、彼女がガレアス以外に乗ってくれるかということだ。
◆◇◆
「……何すっかね」
翌日は無風の快晴で、郊外の試運転場はいつも以上に開けて見えた。
久々の三八式のコクピットに入ると、ボルトで留めたばかりのプラスチックのにおいがした。前のガンナー席に尻を押し込むとき、少しきつくなっていることに気付いて、真紀はうめいた。
良いものを食いすぎだ。もう少し運動量を増やすべきだった。
「あ、膝のテンションはマイナスで大丈夫ですよ。どうせ受けるだけなので」
「膝?」
「L1と2の24です。簡易なら8番の」
「ああ。下肢24番サーボか……」
「こら、較正に時間かけるな!」
モニター越しに、拡声器を持った詩布が怒鳴る。
こちらから見えるようにわざわざ軽トラの荷台に乗っていた。その後ろで、整備士と非番のRAMたちが自走砲の照準器からカバーを取り外していた。
「分かってますよ」
真紀は呟き、後ろを見た。
「あの人、いつもああなので気にしないでくださいね」
「はいさ、了解」
結局、詩布は三八式に乗らなかった。
それで良かったのかもしれない。あの女が後ろに乗るということは、ヘマするたびゲンコツかキックが飛んでくることを意味しているから。
代わりの候補は色々と考えていたが、秩父の整備士がこちらに来ていたのは幸運だった。
若くて軍隊のやり方も知らず、教育係の羽田が言うには『リヤカーより難しいものは任せられない程度』の腕らしいが、操縦スティックを握らせておくには充分だった。
アクチュエータのチェックが終わり、火器管制に移る。
テスト信号を送り、交戦中だとコンピュータに教える。システム側が弾切れだと返してきたのを、マニュアル操作で黙らせる。徒手空拳であることが重要なのだ。
「遅いよ!」
「終わりました。お願いします」
最後に、踵部のダンパーを見た。テストの関係でここだけは固めにセットしておいた。大丈夫だ。
「了解。射撃班、照準せよ!」
自走砲の砲口がこちらを向く。殺意は無いと分かっていても、どきりとした。
「健斗君……じゃなかった。えっと、スペイド降ろしてください!」
「ケントでいいですよ」
後ろで整備士が苦笑した。
「装填!」
自走砲の閉鎖器が開かれて、弾頭と薬嚢が突っ込まれる。
こちらの装薬量も半分。弾頭は比重が軽く、炸薬も入っていない模擬弾だ。
射撃準備が完了すると、詩布はちらりとこっちを見てきた。リスク管理ができているとき、この人は本当に冷たい目をする。
「アタックモード、起動します」
真紀はコンソールパネルをたたいた。出力上限、解除。
電圧を上げた燃料セルからコクピットに電流が流れ込み、一瞬でインジケータの針がレッドゾーンに叩き込まれる。回路が負荷に悲鳴を上げ、赤い警告灯を光らせた。
「定格出力、上限超えました。設計限界まで170メガワット」
「了解。30を切ったら号令を」
警告灯の明滅間隔がどんどん短くなっていく。レッドゾーンを進む針も次第に歩みが遅くなり、やがてほとんど動かなくなった。
「ダメだ、これ以上はカソードが
整備士がぼやいた。
真紀は指をコンソール上にすべらせ、キャパシタのリリースボタンを押し込んだ。
回生で溜め込んだ電流も加わり、最後のひと押しが針を振る。
「来ました。射撃を――」
「了解、射撃開始!」
射撃班の復唱が続き、自走砲のチャンバーに火が入る。
ぱっと白煙が噴き出した。スローモーションのように土煙が上がり、砲身が軽く押し下がる。
身構える間もなく衝撃が来た。
各部の関節がぎしぎしと軋み、こすれ合った装甲が不協和音を奏でる。メイン回路が焼け付いてモニタが消え、数秒後、予備回路につながって回復する。
ふたたび光が満ちたコクピットの中、真紀は顔を上げた。
目の前には地面があった。重力の向きも変わっていた。
「駆動系のステータスを報告!」
後ろのドライヴァ席に告げる。
整備士がうめきながら答えた。
「オートバランサが作動。脚のテンションが死んでます。電装は第3系統で稼働中」
「装甲に損傷なし。そちらでも確認してください」
「こちらも同様っす。……外れた?」
真紀はカメラを上に向けた。三八式の視界に、こちらにぴたりと狙いをつけた自走砲が映る。
向こうのオペレータもこちらを見ていた。耳に手を当て、口を開けたままだった。
詩布が軽トラの上で腕を組む。ぶら下げた拡声器が衝撃でひび割れていた。
真紀がうなずくと、詩布もほぼ同時にうなずいた。
視線を交わすふたりのあいだに、空中で静止した影があった。
そいつがゆっくりと落下し、地面に土柱が立ち上がる。それも終わると、円盤状につぶれた弾頭が砂地を転がっていった。
真紀は唇を舐めた。この数秒で、すっかりかさかさに乾いてしまっていた。
「ずっと不思議だったんですよ、なんでウォーラスだけガスタービンエンジンなんだろうって」
初めは重装甲のボディを動かすためだと思っていた。
だが、あまりに汎用性が低すぎる。ハンドカノンという武装も対集団にはリスクが高い。
「ひょっとして、ほかの機関じゃ出力が足りなかったんじゃないでしょうか」
詩布の話では、シールドを張るあいだ『ガレオン』は射撃できなかったらしい。
肉薄しての戦闘を主眼に置くウォーラスなら、この欠点はほとんど無視できる。ならばウォーラスも、やはりシールドを装備することを前提として調整されていたのだろう。
ウォーラスにはシールド発生装置は積まれていなかった。あれは失敗作だ。
失敗を超えるには、あれより上を行かなければ。
三八式のリミッター解除に全電源リリースの解放。ここまでやって、動かせたのは5秒だけ。
その結果がこれだ。
シールドは生成され、自走砲の砲弾を完全に防いだ。
「魔法っすか」
転がる弾頭を眺めて、整備士が阿呆みたいに呟いた。
真紀はかぶりを振った。
「技術ですよ。たぶん」
また、カルガと話すことができたらしい。
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