1-3.

 輜重しちょう隊が軍ならば、トンボと蝶々も鳥のうち。

 この古臭い言葉には爪の先ほども同意できないが、輸送任務を子供がやっていて文句を言われないのは確かで、今でも軽んじられている風潮をたまに感じる。


 燃料と積み荷の手配が終わったら、少しだけ時間ができた。

 遅めの昼食のついでに、宿直室に入ってきた交代のドライヴァにコーヒーを淹れてやった。ドライヴァはぱっとしない予備役軍人で、「ありがとう」という声もモゴモゴしていた。どういたしまして、と真紀は返す。

 ドライヴァ同士で話し合うことは滅多にない。世間話のコストは給料に入っていないし、非力な運び屋はいつ死ぬかも分からない。お互いに他人のままでいる方がきっと幸せだ。

 引継ぎも済んで、真紀は通信機をポケットに入れると、野戦病院に向かった。


 たまに読む小説では、病院のことを色の無い建物と呼んでいた。

 ここの野戦病院は学校を改装したらしい。壁はねずみ色で、床は粘土色。ちょっと廊下を歩くだけで、兵士たちがタバコを踏み消した跡や、顔を剃ったあとの水たまりが見つかる。

 戦場では、どこに行ってもくすんだ色が溢れている。

 外科病棟はもう少しマシと聞くが、ここには恢復かいふく期の兵士が多いから、雰囲気も兵舎に近いところがある。


 引き戸を開けて病室に入ると、ベッドのわきに先客がいた。


「あら……」

 女が顔を上げる。プラチナブロンドの髪がこぼれて、きらきらと輝いた。

 相変わらず神出鬼没な人だった。

 たまに、この女が妖怪か何かのように思える。実際、半分以上は人間じゃない。浮世離れした美貌と細い身体をつなぐ首すじには、機械との接続口がぽっかりと開いている。

「そこにいるの、アカサカさん?」

 濁った色の瞳がぱちぱちとまばたきした。

「小牧です。次の配送までヒマなので」

「ああ、そう」

 女は真紀と同じカーゴパンツにシャツという格好だった。

 大人用のサイズを無理やり着ているが、素材がいいと何でも合うからずるい。


 椅子を出して隣に座ると、ベッドに眠る男が否が応にも目に入った。

 手術のあとの苦しそうな息づかいはなりを潜めたようだった。フェレットみたいな顔が目を閉じたまま、すうすうと寝息を立てている。

 いつ来ても彼は変わらない。たぶん明日も、これからもずっと。

 詩布の布団を片付けると、寝返りの跡がくっきりと残っている。このベッドのシーツには、そうした凹みは全くない。ときどきやるせなくなる。


「カルガさんは、いつ来たんですか」

「知らないわ。時計が見えないもの」

 真紀はちらりとカルガの顔をうかがった。

「その顔は誰に?」

「これ?」

 カルガは青白く腫れた頬をさわって、眉をひそめた。

「さあ……いちいち攻撃してきた相手のことなんて、覚えていられないから」

「ここは戦場じゃないんですが」

「ブレないことは大事でしょう?」

 まただ。彼女は悪目立ちしすぎる、と真紀は思う。

 戦場で殺した人間はゼロと言っても、元馬賊の彼女が駆るウォーラスに滅ぼされた自治区は少なくない。こんな前線基地にいたところで、血の気が多い兵士たちになぶられるのがオチだ。


「また殴られますよ。次はもっとひどいかもしれない」

「そのための部品も付いてないのに?」

 カルガは下腹をさすって、にこりと笑った。

 こういう皮肉で返すところも自分に似ていて、つい真紀は顔をしかめてしまう。

 だが恐ろしいのは、この女は本心から言っているところだ。一緒にしゃべってると、建前ばかりのこっちがぐにゃぐにゃに歪んでるような気分になる。


「……健斗くんの容態はどうなんです?」

 真紀は肩を落として言った。

「見ればいいじゃない」

「身体のことはあなたの方が詳しいじゃないですか」

 そうね、とカルガは笑みを消した。

「腎臓と膵臓がひどくやられてる。肺がつぶれたときの気泡が腹腔に入っちゃってるから、しばらくは呼吸も大変でしょうね」

 ならば当分、戦うのは無理なのだろう。

 真紀はベッドの端に腰を下ろした。整備の甘いベッドは簡単に軋んで、今にもばらばらになりそうだった。


 ここに眠っていたのは自分かもしれない――健斗がケガをしたとき、真紀はすぐ上のラダーを昇っていた。一緒に死んでいた可能性だってある。

「私、怒るべきなんですか……?」

 真紀が呟くと、カルガは頭を傾けた。

「きっと健斗くんだったら怒ってますよね。でも、私、ぜんぜんそういう気分になれないんです」

「当然でしょう。たとえ彼がそうでも、あなたの感情だもの」

「でも……おかしいじゃないですか。詩布さんは仇を取ってくれたのに、私は戦うどころか普通の日常ばっかり繰り返して。今だって疲れてるんですよ、なのに」

 ただの独り言になっている気がして、真紀は言葉を切った。


「あなた、たぶんちょっと贅沢なのよね」

 そう言ってカルガはうなずいた。

「分かってますよ。ガキが粋がって無理してるんです」

「それでも休まない、と」

「ええ」

 誘導されてるのを感じて、真紀は舌打ちした。

 本当、頭が悪いと損だ。

「言っておきますけど、褒められたくて努力してるわけじゃないですからね」

「私は褒めるけど? だってあなた、とっても偉いもの」

「そうやって馬鹿にするから殴られるんですよ。まったく……」


 そのときポケットで通信機が鳴った。

 真紀は立ち上がって、膝を払う。

「もう行きます。帰りは送りますから」

「歩数は覚えてるから大丈夫だけど」

「ボディガードをしたいと言ってるんです。それとも、あなたを利用して自尊心を回復したい、というところまで説明しないとダメなんですか?」

 カルガは微笑んだ。手を伸ばして、真紀の指にからめる。

 思っていたより熱い指だった。もしかすると健斗の手をずっと握っていたのかもしれない。


 最後に、健斗を見た。

 彼は一生分働いた。これ以上戦う必要はない。

 目を覚ますまでに戦いが終わっていたらいいのだが。

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