1-2.
いつも雨が降ったあとは憂鬱になる。
止まない雨は無い。確かにそうだ。でもじっとりと張り付くような湿気は残る。洗濯物は乾かず、晴れた空を見たところで考えるのは次の雨のことばかり。
格納庫の前で、空っぽの弾薬箱を見つけた。
真紀が腰かけると、ギイと小さく軋んだ。蝶つがいが古びていて、ちょっと無理すると壊れてしまいそうだった。
輸送任務は今日だけで3つこなした。内地からライフルを運び、
東に行くほど兵士たちの血色が悪くなる。戦闘が長引いているのだろう。
これが戦争だったらどんなに良いか。
あれは外交のひとつだ。敵のリーダーの首根っこをつかんで降伏文書にサインさせれば終わる。
その点、馬賊という組織は不定形だ。ちょっとこちらが弱みを見せるだけで、さっきまで鍬と鋤を握っていた連中が迫撃砲を引っ張りだす。敵兵が文字通り『畑から生えて』くる。
思えば不公平な話だった。
胸ポケットに手を入れると、お駄賃代わりにもらったタバコが出てきた。
銘柄は官給品だった。数本が無くなっている使い差しで、明らかに死んだ兵士から抜き取ったものだった。感謝して受け取ると相手はホッとした顔をしていた。
タバコは詩布も真紀も喫わないが、もらって良かったと思う。
試しに一本取って、唇にくわえた。
似合わないのは分かっていた。だが、道具を持ったからには正しい使い方をしたかった。
火もつけずに、タバコを揺らしながら空を眺める。
よくRAMたちがやってるように、半分だけ息を吸った。フィルタで
「赤坂さんに怒られるぞ」
気付かないうちに初老の整備士がすぐ隣に立っていた。
真紀は上を向いたまま、目だけで彼を見た。
「フリですよ。おままごとです」
「それで済ますならいいんだがね」
「あげましょうか? たぶんこれ、遺品ですけど」
整備士は苦笑して、自前のタバコをくわえた。この人はちゃんと火をつけて喫う。
こうして前線に近いと整備士もベテランが多い。ここから見える他のメンバーにも見知った顔がいくつかあって、平塚の自治区に戻ったような気分になる。
「私の年代は、男が2人も集まると灰皿が埋まったものだ」
整備士はそう言って煙を吐き、ペシャリとつぶれた喫い口を見せてきた。
「キンシとシキシマが人気でな。どうせ悪いものなら、選んだものを楽しみたいだろう?」
「……ホマレが好きな兵隊もいると思いますよ、きっと」
真紀はぺっと吐き出した。タバコは地面に落ちると、泥水にまみれて見えなくなった。
残りのタバコを仕舞ったとき、整備士の手が汚れているのが見えた。
この几帳面な人は、仕事が終わると必ず手を洗う。オイル汚れがそのままということは、まだ作業中だったということだ。
「羽田さん、私に連絡事項があったのでは?」」
「ああ、実はな」
羽田も自分のタバコを踏み消して、格納庫に入っていった。
臨時で建設された格納庫はジャッキとストレージが無造作に転がっていて、実際のスペースよりも手狭に感じる。今日の作業スペースでは、砲塔の外れた歩兵戦闘車がそのままになっていた。
「戦線が伸びきって、まともな戦車も回せやしない」
羽田は鬱陶しそうに戦闘車を見た。
点検する整備士たちは、在庫がどうのと言っていた。たぶん外装だけ直して戻すのだろう。
「敵の本隊は証安党だけですよね」
「おそらく初手以降は温存しているのだろうな。薄くなったところに楔を打ち込むつもりだ」
「馬賊の目的は?」
「いつも分からんよ。ここに届くのは料理だけだ。食材のことは前線に聞いてくれ」
羽田は奥のドアを開けた。
「入れ」
焼けた金属のにおいが強くなり、置いてある溶接棒が波打った表面をてらてらと光らせる。
電灯がついた。装甲車に手足を付けたようなシルエットが浮かび上がる。
奥の整備室にあったのは鋼鉄の巨人だった。
多くのパーツが代謝されていても、うつむく水色の頭部センサと傷だらけの装甲板で、あの機体だと分かる。三八式多脚偵察戦闘車輛――かつて共に戦った、先の戦争の生き残り。
「秩父から引っ張ってきた」
溶接装置をどかして、羽田はジャッキに腰かけた。
ジャッキアップされた三八式は、記憶よりも背中が大きく見えた。ここに来てからいくつか改良されたのかもしれない。
「ドライヴァが重傷とあっては死蔵する意味もないのでな、パーツ取り用だ」
そんな話が進んでいたとは知らなかった。
どうせ詩布が勝手に始めたのだろう。あの人は、仕事になると相談ひとつしてくれない。
「……健斗くんはまだ死んでません」
「ああ。どのみち独自規格ばかりで使えなかった」
羽田はかたわらのパーツボックスを開けて、六角形の板を取り出した。
レーダーのパネルのように見えたが、そのわりに小さくてボウリングの球ほどしかない。熱循環ケーブルの太さからすると、たぶん冷却が必要な部品なのだろう。
「赤坂さんが撃破したガレオンから回収した」
「国軍の試作品ですか?」
「たぶんな。シールドの発生装置だったらしい」
渡されたその部品は、人肌程度に熱を帯びていた。
機密情報のかたまりなのに、どこにでもありそうな安っぽさがあった。持ち上げると軽く、中身もあまり詰まっていないようだった。
「こんなもので」
これを研究していた国軍の基地は壊滅した。ひとりの女によって。
「同じものがあのサンパチにも搭載されていた」
「……え?」
羽田は腑分けしたパーツの目録を見せてきた。
分類不明のものに赤線が引いてあって、その隣に大まかな説明が記入されている。六角形のパネルの欄には『閾値の異なる0.2mm径ケイ素製導線のクラスター』とあった。
「ガレオンより先に研究されていたんですか?」
「それどころじゃない。こいつはISOの認証を取っていた。正規の量産品だ」
まだ実験段階のシールド発生装置に国際規格が割り当てられている――真紀は三八式を見上げた。
「どういうことですか」
「表記された番号は存在しないものだった。少なくとも『この世界』の規格じゃない」
「この世界?」
「おかしいとは思わないか」
羽田は三八式の脚に手を置いた。
「ただの旧式戦車に使えもしないバリアーを積んでいる。証安党はウォーラスを使っていたが、あれの無茶な機体構成も見方を変えれば神経に接続する制御システムに合わせたものだった」
「だって実験機だから……」
「それにしては技術レベルに差がありすぎる。まるで宇宙人が持ち込んだようにな」
三八式の関節カバーの隙間からは、黒光りする伝達ケーブルが覗いていた。
正規の三八式とは異なるウィスカー・ユニットの駆動系。馬賊に接収されていたのに不自然なほどよく整備されていて、ときには自我を持ったような振る舞いすら見せる。
試作ゼロ号機、という単語が浮かんだ。
ウォーラスは1号機だ。ガレオンも国軍版の1'号機。
ならば次の試作2号機はどうなる。
「……健斗くんも、たぶん違う世界から来てるんです」
真紀が小さく告げると、羽田はうなずいた。
「あの、頭おかしいって思われてるかもしれませんけど」
「戦車が来たんだ。ヒトが来られないわけがない」
手が伸びてきて、頭を撫でられた。何も言えなくなる。
この人の指には傷はないけれど、詩布と同じくらい固くて優しい。
「でも、あまり人には言わない方がいいかもしれないな。小牧さんも急かさないことだ」
羽田は目録を置くと、歩兵戦闘車の整備に戻って行った。
彼に続く前に、最後に真紀は三八式を見上げた。
今度は目が合った。さっきまであの頭はこちらを向いていなかったはずだ。
この車輛も、健斗と同じで何かの目的を持っている。おそらく、これの進化の先にある何かが関係している。そいつと対峙する日は近い、という確信があった。
真紀はシールド発生装置を元の場所に置くと、自分の右脚に触れた。
いつものように、ホルスターの中には詩布がくれた拳銃が収まっている。
もし使う日が来るとしたら、ちゃんと撃てるだろうか。
何度も馬賊とやりあったのに、拳銃で撃ち殺したことだけはない。
はあ、と息を吐いた。たぶん、自虐のため息として。
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