5-1. 廻天
今日も、男は『彼』を見つめていた。
照明にさらされ、刻まれた陰影がはっきりと浮かび上がる。
両手をもがれ、頭を砕かれた黒い巨人。
腐ったオイルと焼けた鉄のにおいの中で、彼もまた虚空を見つめていた。
兵器にしては、破断した装甲は不自然に薄い。
回収されたジャンクから、武装は両腕のクローだけと分かっている。
フレームがむき出しになった造作は、人体模型を連想させた。
いや、ここでは死体と呼ぶべきかもしれない。
腹部からは消化器を模したジャンクが見つかった。
破壊されてもなお自己増殖を繰り返す各部からは、塩基配列のアデニン・グアニン・シトシン・チミンに対応する4進数コードが確認され、頭部に用途不明の器官があったことも判明している。
こいつは戦車ではない、と検査を担当した研究者たちは語った。
機械ですらない、装甲された
あれから3年。悪鬼は冷たい地下で放置されてきた。
調査はすでに終わった。今ではこいつも抜け殻たちのひとつにすぎない。
ある人は、彼を
NATOコードで呼ぶ人間もいれば、調査時の管理番号で呼ぶ者もいる。
その足に触れると、まだ熱を帯びていた。
3.1トン――こいつの捕獲作戦に際して使用された炸薬の総量だ。
魚形爆雷に換算して70本分ものPBX爆薬。
たかが全高6メートルの多脚戦車1輌に、それだけ費やして中破がやっとだった。
「元気にしていたか?」
ぶら下がった光学レンズが揺れる。
男は微笑んだ。
死んだと思っているのは内地の馬鹿どもだけ。こいつは今も代謝して、傷が癒えるのを待っている。
傷が治れば……またやり直しだ。
かつて、ヒトは空にあこがれて鳥を模した。
稚拙なはばたきは固定翼と内燃機関に逸脱し、音の壁を越えるに至った。
模倣は、創造のもっとも原始的な段階だ。
逸脱するからこそ、形態は飛躍する。
ならば、このヒトを模した機械は何を目指しているのか。
「またいらしてたんですね」
隣に女が立った。
服からわずかにユズの香水が匂った。今日も外に出ていたらしい。
「ああ。少し、考えていた」
「こちらは失敗しました」
女はファイルを爪ではじいた。
RAMたちのプロファイルが載っていた。新しい赤線の訂正がいくつも入っている。
「少年兵だからって甘く見てた。教育された馬賊って思ったより厄介ね」
「彼らは自分が主人公ではないと知ってるんだよ」
男は、小動物みたいな青年の顔を思い出す。
人を撃つときも、彼は表情を変えないだろう。
「ああいう手合いは勝負をしない。撃たれたら死ぬと分かってるからな」
「大尉は『きっと大丈夫だ』と口癖のように言ってましたね」
「きみたちは幸運だった、ということさ」
男は鼻で笑った。
「新兵ってやつはどういうわけか、上官が勝つための秘策を持ってると思ってる。一声受けて撃てば、その弾が敵のリーダーを直接ぶちのめすに違いないとね。なあ、俺はいい神サマだったろ?」
「少なくとも私は感謝してます」
「愚直だな。そんなだから悪い男に捕まるんだぞ、少尉?」
女は笑ったようだった。
ちょっとは人間のフリをできるようになったらしい。
これも、あのRAMの青年の影響だろう。ここでは珍しい正気側の人間だった。
「しかし、きみが殺さなかったのは意外だった」
男は笑みを消して言った。
「鹿屋健斗ですか?」
「あいつ思ったより平凡な名前だな……。そろそろ気付き始めてるんだろ?」
「大尉どのと同じですよ」
女はいたずらっぽく見つめてきた。
「あの子、面白いと思うんです。せっかく殺しそこねたのですから、やめときました」
「甘いな。俺ならそこから勝負に持ち込む」
「でしょうね。ですから次の機会は譲って差し上げましょう」
この女のことだ。きっと、機会とやらはすぐにやってくる。
男はため息をつき、首すじを撫ぜる。
初めはただ手を貸すだけの関係だったのに、すっかり懐かれてしまった。
頼られたところで、この身にはもう神通力はない。あるのは地位だけで、それもじきに失われるだろう。
RAMの2人を考えると、ときどき途方もなく羨ましくなる。
あのならず者たちには階級がない。
だから彼らは対等に付き合える。ここでは決して得られない関係だ。
最後に、男は巨人を見上げた。
こいつは何年も孤独に進化を重ねてきた。
ひとり同士で足踏みしている自分たちはどうだろうか。
★☆★
シミュレータで惨敗して8度。
3度目で差し入れがあった。5度目で教本を渡され、今回は地形図を抱えてきた。
「勝ちました?」
7回目の負けに立ち会わなかったのは、洗濯物を取りに行っていたらしい。
彼女のシャツからは焼けたような香りがした。基地の生活にもだんだん慣れてきたようで、最近の真紀は服にアイロンをかけるようになっている。
「ああ……けっこういい勝負できた」
「どんな?」
「聞くなよ。落ち込むからさ」
健斗は凝った肩をほぐした。
先日の帰り道、千歳から事情を聞かされた。
極東戦争でソ連の新兵器と出会ったこと、解析してバリアもどきを再現したこと、馬賊との決戦に備える第一歩がガレオンの開発ということ――。
「馬賊が、その新兵器を持ってるって情報をキャッチしたの」
と千歳は言っていた。だから手段を選ばず急いでいるのだと。
べつに、健斗は千歳を信じているわけではない。
だが馬賊を倒したら次は戦争になる。そのときは最新兵器が相手だ。
ガレオンのシミュレータを使っていいかと尋ねると、千歳は了承してくれた。
だから、これはただの暇つぶしではない。将来への投資だ。
「勝ってどうするんですか?」
「いや、特に。ただ、負け越しは嫌だ」
部屋に帰る途中、健斗はミネラルウォーターを買った。
疲れた腕にはこんなボトルの重さですらきつい。戦車を動かすのって大変だったんだな、と他人事みたいに思った。
「まず健斗君、あなたは全然ダメです」
ドアをくぐるなり床に正座させられ、目の前にマークの付いた駒が落ちてくる。
ちっこい真紀が仁王立ちすると、なかなか微笑ましい。
「せっかくのいい頭がもったいないです……じゃなくて。今の褒めてませんから。センスが壊滅的なんです。あなたの陣取りはゴミです。棒立ちカカシです。氷河期の原始人以下です。端的に言って戦い方がサルです」
「はあ」
「ですから、ここは基本の兵棋から始めますッ!」
「あ……もしかして、ヒマだったのか?」
「おサルさんらしく黙っててくれませんか撃ち殺しますよ」
健斗は肩をすくめる。
さっそくサイコロがふたつ転がってきて、兵棋演習が始まった。
演習といってもボードゲームと変わりはない。
抽象化された兵器、へクスで分割された地図、6秒間の動作を簡易的にまとめた1ターン、指揮の復唱などによる遅延は考慮されていない。あくまで部隊の動きと兵器の相性だけを見るものだ。
「射撃判定します。目視距離ですが、遮蔽ついてマイナス1。出目は5」
「こっちは4。さっき食らって回避できないけど修正込みで外れた」
「では反撃判定、お願いします」
入門用のシナリオということで、市街地での遭遇戦という設定らしい。
使う駒は小隊規模で、戦車隊が1個、多脚車両と歩兵がそれぞれ2個だ。
いざ動かすと、MLFVは口が裂けても強いとは言えない。
まず、視点は高いがそのぶん背も高く、ほとんどの遮蔽物が利用できない。
さらに武器の口径が25ミリなので、戦車には後方からの接射でしか対抗できない。
おまけに壊れやすいくせに、どこが不調になっても動けなくなる。
下手したら、ミサイルをかついだ歩兵よりも弱いかもしれない。
「俺たち、こんなのでよくウォーラス壊せたな」
「『壊せた』じゃないです。『壊した』んですよ」
射表を確かめながら真紀が言う。
「歩くだけで三八式が壊れる状態だったのを、私が無理やり持たせたんですよ?」
「ありがとな」
「……ほら、健斗君の手番です」
ぶっきらぼうに言う真紀だが、ちょっと顔が赤かった。
「ところで、話したいことって何だったんですか」
健斗が駒を動かしたとき、今度は真紀の方から尋ねてきた。
歩兵の
タイミングを探してたな、と口調から察せられた。
「何のことだ」
「このあいだですよ。言葉を選びたいって」
「なんでもない。ただ詩布さんの手紙に書く内容をな」
「健斗君」
ぱちん、と歩兵の駒が前進する。
健斗は目を上げた。
「悪い。まだ選んでないんだ」
「もう2日経ちましたよ」
「だから……」
「私、遠慮されるの嫌いなんです。知ってますよね?」
真紀は手早く戦車の駒を進めると、索敵パートに入った。
「おおかた、詩布さんが偽名ってあたりでしょ」
もう少しで、健斗は噴き出すところだった。
「……私、バカですけど察しは良いですから」
真紀は苦笑して続けた。
「ドッグタグって血液型も載せるじゃないですか。詩布さんってぜんぶ人工血液ですけど、骨髄はそのままですから、大ケガのときに違うのとか分かるんですよ」
「そ、そうだったのか」
「元・馬賊の人には珍しくないので、気にしてませんけどね」
はい、とサイコロを渡される。
受け取ったとき、真紀が力んだせいで少し温まっているのに気付いた。
結局、都市遭遇戦はゲーム内時間4分36秒でカタがついた。
もちろん真紀が勝った。損失は偵察の歩兵小隊が半分だけだった。
「指揮官は俺には無理だなあ」
ぼやきながら、健斗はミネラルウォーターを注ぐ。
初戦だからといって、ほぼ一発しか当てられなかったのは痛い。
「MLFVがあそこまで使いにくいなんて……」
「戦車の仕事をやらせるからです」
真紀がサイコロをしまって言った。
「モドキが本家の真似して勝てるわけないじゃないですか」
「でも、それじゃ使いどころがない」
「無いんじゃなくて作るんです。『最弱の万能兵器』ですよ」
こういうときの真紀は饒舌になる。
健斗はふたつ目のコップに水を注ぎ、真紀に手渡した。
「そうだった。最弱って……」
「まあ、気長にやればいいんですよ。戦車乗りなら誰でもいつか学ぶことですから」
たぶん詩布の受け売りだろうな、と健斗は思う。
この人は何年も費やして、戦車に乗り、拳銃を撃って戦う
対して18歳のこっち。
座学はしていても、本格的な戦術なんて素人レベルだ。
「できるかな」
「できますよ。健斗君、意外と真面目ですから」
とりあえずうなずいたが、『意外と』という部分が微妙に気になった健斗だった。
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