4-5.

 次の日の昼前には、目的地に着いた。


 真紀が町を歩くあいだ、健斗はライフルを組み立てていた。

 耳を澄ませると、ガレキを踏みしだくブーツの靴音が聞こえてくる。

 彼女が歩くテンポは一定だった。立ち止まることもない。


 真紀の言葉通り、町は壊滅していた。

 かなり前に略奪に遭ったらしい。巨大な足跡がいくつも残っていた。

 機種はハルクが主だった。ありふれた量産車両だ。

 健斗が汚れたクリーニング液を捨てに行ったとき、崩れた家屋に人骨が見えた。

 人骨がもたれかかる壁には、いくつもの弾痕があった。

 雑に撃ったライフル弾――RAMだったら、あんな無駄撃ちをしない。

「真紀は運が良かったんだな」


 町の入口には、護衛のMLFVと戦車が転がっていた。

 どれも、綺麗にコクピットだけ外して、成形炸薬弾で撃たれていた。

 その周りだけ、足跡が違っていた。

 搭乗員を殺さず、兵器だけを無力化する。

 ただの馬賊でも、RAMでもない。そんな戦い方をする人間は、健斗が知る限りたった一人しかいない。


「仇は真紀が討ちましたよ。まあ、ドライヴァは生きてるけど……」

 家屋の人骨に近づいて、錆びた弾頭を拾う。

 ガスマスクを外してつぶさに眺める。

 身体にめり込んでいたのか、つぶれ方が小さかった。

「でも、ウォーラスはあんたたちを殺さなかったはずだ。なのに、あんたらは誰も逃げなかった。九死に一生を捨てて、十死零生にしたんだ。だから俺は、町で死んだあんたの復讐はできない」

 骨の前に、弾頭を置く。

 マスクを着けて立ち上がると、ひゅうひゅうと風鳴りが耳に響いた。


 ジープに戻ると、真紀が帰ってきていた。

 古ぼけた乾パンの缶を持っていた。どこから持ってきたのかは、だいたい予想がつく。


「みんな死んでました」

 と、彼女はマスク越しに微笑んだ。

「両親の遺体と、軍人恩給の明細書が。姉さん、とっくに戦死してたんです」

「そうか」

 真紀が缶を渡してくる。

 表面は砂だらけになっていても、詰まった中身でずっしりと重い。


「変だと思ってたんですよね。詩布さんと同年代なら、絶対に<燃える帝都>に行ってるじゃないですか」

 言うあいだ、彼女はずっと後ろを向いていた。

 マスクからはみ出た短髪がさっと風に揺れる。

「私なんかの姉が、生き残れるわけないのに……」


 乾パンの缶が指にこすれて、かさりと音を立てた。


「真紀、じゃあ乾パンは」

「だって仕方ないじゃないですか、お腹が空いてたんですから」

「でも」

「ええ。ぜんぶ私のせいですよ」

 ブーツが小刻みに震えて、砂利をざりざりと散らした。

「仕方ないんですよ。ぜんぜん分からないし、当たり前じゃないですか。だって私、あんなところに独りだったんですよ。誰かのせいにするしかないから姉さんも……姉さん?」

 ひゅ、と彼女の喉が鳴った。

 灰色がかった瞳が小さくなり、『びっくり』という表情で固まる。

「姉さんの顔……私、知らないんだ……」


 真紀はその場にうずくまった。

 何かを呟いている。違う、と聞こえた。

「違う……私、捨てられたの……。私、違うの。違う……」


 違う、と彼女は言い続ける。

 健斗が声をかけようとしたとき、風が吹いた。

 バイザーに砂ぼこりがかかり、思わず目を閉じる。

 息を吸った瞬間、わずかにオイルのにおいがした。


「……来たか」

 真紀の肩を強くたたく。

 呆けたような彼女の顔が上がり、健斗はその頬を軽くはたいた。

「追手が来てる。西に民家があるから、そこの2階で狙ってくれ」

「え、追手……って?」

「ハメられたんだ。説明する時間がない」

 もう一度、頬をたたくと真紀はライフルを抱えて走っていった。


 健斗はライフルの薬室を開き、装填した強装フルロードフルメタルジャケット弾を確認する。

 昨日もクルマの音がした。高機動車が1輌といったところだろう。

 国軍の教本は、他のRAMが持っていた古いやつを読んだことがある。

 1個分隊での市街地戦なら縦列に3人、少し離れたところにポイントマンを入れるのが基本陣形だ。


 今の真紀は動揺している。戦力としてあまり期待できない。

「間が悪いけど、やるしかない……か」

 健斗は掩体がわりのコンクリート壁に身を隠すと、大きく息を吐いた。

 薬室を閉鎖。コッキングハンドルを引き、黒いビニールテープまみれの銃身を身体に寄せる。


 このあいだは馬賊のマーケットにカルガが同行してきた。

 今も緩衝地帯に武装した兵士が来ている。


 シーフの言う通り、どちらも挑発としか思えない。

 国軍に、馬賊とやりあうことを望んでいる人間がいるのだろう。

 ガレオンのバリアーは対空砲をすべて防いだ。とても馬賊の兵器で貫けるとは思えない。

 車輛自体が自由に使える核弾頭のようなものだ。

 恐らくガレオンを使って、国軍は決戦をする気だ。だが、それにはきっかけが必要となる。


 エンジンの音が近付き、誰かがクルマを下りてくる。

 数は5――想定よりひとり多い。それに、3人が横隊を組んだ。

 車輛を守っているらしい。警護でもしているような違和感がある。


「中身はカラです。武器もありません」

 先行した斥候が、健斗たちのジープを確かめて言った。

「どこに行った?」

「不明ですが……」

 そのとき銃声が上がった。

 兵士たちの足元に、ぱっと砂の柱が立つ。

 真紀だ。健斗も半身を出して、照準を合わせた。


 しばらく一方的な銃撃があった。

 物陰から兵士たちが応射し、空き家の壁が黒く染まる。

 何発かは壁を貫通したようだが、真紀のことだからすでに移動しているだろう。


 次のリロードで、健斗は発砲するつもりだった。

 こちらの十字砲火に気付けば、向こうは散開するはずだ。

 真紀の射撃から20秒経っていた。彼女なら、あの精神状態でも次の狙撃ポイントを見つけている。

 初弾で、もう趨勢すうせいは決した。

 必殺区域キルゾーンに入ったのなら、正規兵もRAMも違いはない。


「リロード!」

 ひとりの兵士が叫んだ。

 右手が前に伸びていく。下がりきったハンドルがここからでも見えた。丁寧に整備されている。一瞬、彼の上官のことを考えた。この従順な兵士を作るのに、何時間かかったのだろうか。

 マガジンキャッチボタンに親指が触れ、弾倉がゆっくりと落ちた。


「撃ち方、やめ」


 女の声がして、兵士たちが銃を下ろす。

 兵士たちの後ろから、砂を蹴る音が近付いてきた。

 ぎらつく太陽がシルエットを切り取り、地面に女の細い影を落とす。

 着衣こそ戦闘服になっているが、ガスマスクの下で、千歳は変わらず中身のない微笑みを浮かべているのだろう。


「中尉……」

 不満そうな兵士たちに、千歳がうなずく。

「あなたたち、次で死ぬよ」

「は、しかし」

 分隊長と思しき男が、銃を構えようとした。

「相手は少年兵がふたりです。正規の訓練も受けていません」

「あなたたちの倍は殺してる。それに、片方は『ガレアスの女』の一番弟子よ?」

「だからと……」

 男は最後までは言わず、代わりに銃のセレクタをセイフティアの字に合わせた。


「失礼。貴官の指揮でしたな。我々も従います」

「そ、死んだら私のせいで良いから」

 遮蔽物から千歳が出てくる。

 さっきの銃撃を見ていたらしく、ちょうど双方の射線に立っていた。


「出てきて。もう撃たせないから」


 どこかの建物で、真紀が次の狙いを合わせたのが感じられた。

 今、千歳を撃っても残りの兵士に対応される。

 見ると兵士たちが陣形を整えていた。

 準備する時間を与えてしまった――もう無理だ。


「すみませんね」

 健斗は掩体を這い出して、ライフルを投げ捨てた。

 まだ兵士たちが警戒していたので、腿のホルスターも外してやった。

「間違ったんです。ここらへん多いんですよ、国軍の服着た馬賊」

「御託はいいの」

 千歳は微笑んだまま、ホルスターを受け取る。

「私たちが追ってくること、分かってたんでしょ」

「まあ。こんなに露骨な形だとは思ってませんでしたが」


 真紀が空き家から出てくるのが、遠くに見えた。

「あの子が死ぬ可能性は考えなかった?」

「あんたが詩布さんに喧嘩を売るわけがない」

「大事な人だと思ってたのに」

 いかにもまともな人間の考え方だった。

 健斗は唇を曲げた。

 

「もう普通じゃないんですよ、あいつも、俺も」


 ジープに乗り込むと、助手席の窓をたたかれた。

「帰りの運転、頼みます」

 真紀は、まだ銃の安全装置を切ってなかった。

 後ろのドアが開いて、千歳も乗ってきた。

 

「ご一緒、いい?」

「戦車しかやったこと無いんで、俺の運転は荒いですよ」

「うん。そういう気分だから」


 少し羨ましそうな声に聞こえた。

 この女は、きっと人を撃ったことがない。

 戦地の話を聞いて目を輝かす子供――その手の、他愛のない羨ましさ。

 真紀に目をやる。

 ライフルをさする手に、動揺した様子はない。彼女はもう熟練の兵士だ。戦闘になると、スイッチを切るように私情を切り捨てられる。そうしないと死ぬ戦場ばかり経験してしまった。


 そして、健斗自身もどこか壊れてしまったのだろう。

 戻れないな、と健斗は思う。

 だが、その戻りたい日とは、どんなものだったか。

 マスクをサイドボードに突っ込み、ギアを入れながら、健斗は手元に目を落とす。

 無意識に、人差し指がトリガーの形に合わせて曲がった。

 あの頃は、どんな形に指を曲げていただろう。何度やっても指の形は武器とリンクしている。

 兵器にシステムとして組み込まれたパーツ――戦車兵の手だ。


 ふと前を見る。

 汚染された埃が舞っていた。陽光に乱反射して、視界を白く染めている。

 これも日常だ。戻るべき日々はここにある。


 くそ、と呟く。とっくに進むしかなくなっていた。

 アクセルを踏み込むとき、真紀がまだ缶詰を持っているのに気付いた。

 帰りの道のりは、行きよりずっと遠い。

 道中、からから、と缶の腐った中身が立てる音が、やけに耳に残った。

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