4-3.

 絶叫のあと、千歳はひと言も口を利かなかった。

 ディスプレイの中では煤まみれのガレオンが跳び回っている。

 健斗は部屋の隅で、腕を組んだまま立っていた。

 帰れと言われたら、彼は従うつもりだった。でも指示はまだない。


 斥力偏向フィールド――千歳はそう言っていた。

 健斗は手持ち無沙汰の左手を裏返して、機関砲の初速を思い出そうとした。

 毎秒1000メートルは超えるはずだ。そんな速さで飛ぶペットボトルみたいな大きさの杭を、あの化け物は真正面から受け止めた。

 何ニュートンの力が必要になるか知らないが、戦艦みたいな装甲なのは間違いない。


 やがてガレオンが格納庫に戻った。

 スタッフたちがデータを打ち込む。これで試験は終わりらしい。健斗の横をいくつかのファイルが手渡しですり抜けていき、数人の軍人が走っていった。

 千歳はまだ語りかけてこない。

 取り戻せる、とも彼女は言っていた。

 ディスプレイを見つめる瞳は、いつも通り澄んでいる。

 この女の目は、いつ見ても空っぽだった。

 今だって、健斗は何も感じられなかった。


 何かを失くす前の、瞳の詰まったころの彼女を考えた。

 砕けたガラス片から、元の瓶の形を想像するみたいに難しい作業だった。

 彼女はよく微笑む。でも口を開けて笑うことはない。

 真紀は笑うとき口を開ける。それを指摘すると嫌な顔をされたから、今の健斗はただ眺めることにしている。

 この女を見ると、詩布より真紀に近いところを感じる。

 たぶん、どこかで無理しているのだろう。


「ずっと、見てたね」

 千歳が呟いた。健斗がうなずくと、部屋に来るかと誘われた。

「どういう意味ですか」

「泣いてるところ見られたから、じゃダメ?」

 健斗は少し呆気に取られて、やがてふっと微笑んだ。

 この言葉も、ちょっと前に、似たようなことを言われたばかりだ。

「……分かりました」


★☆★


 千歳の部屋は、印象通りの無味乾燥なものだった。

 白い壁、黒い調度品、たまに置いてある銀と灰の小物。

 やはり白い椅子を勧められ、健斗は彩度ゼロの世界に座った。

「女の人の部屋って感じじゃないでしょ」

 千歳はふたつ、濃いコーヒーを淹れたマグカップを置いた。

「いや、そこまで……」

「ここにはあんまり戻らないから、何も置けなくてね」

 確かに、向かいに座った彼女は疲れているように見えた。


「忙しいって、ガレオンで?」

「それもあるけど、ほら、私って人好ひとずきしないから」

「築城さんが居るじゃないですか」

「あの人は、義務感なの」

 千歳はため息をついた。

「生き残ったのが私だから、死んだ人みんなへの償いを私にかぶせてるだけ」


 千歳は握ったカップに口を付けると、「苦い」と呟いた。

「砂糖、鹿屋くんはいる?」

「俺は大丈夫です。これ、熱いんで」

「オトナだね」

 千歳はさらさらと砂糖を入れて、思いついたように、

「しいのって、まだ甘党なの?」

 健斗は飲もうとしたカップを下ろした。

「そうなんですか?」

「そ。いつもチョコバーをポケットに入れてる人でね」

「それって、戦中?」

「ん、そう。戦中のしいの」


 千歳はまた口を開けずに微笑んだ。

「同じ部隊ってだけと聞いてましたが」

「共通の友達がいたの」

「人気者だったんですね、詩布さん」

「そう。戦車の扱いも上手かったから、MLFVを任せてもらったりね」

 詩布の話をするとき、千歳は嬉しそうだ。

 こういうときだけ、彼女が詩布と同い年だと分かる。

「詩布さんが馬賊やってたって話は?」

「ええ。聞いたときは驚いちゃった。あの人、MIAだったから」

「赤いガレアスは?」

「全然。あの地域、丸ごと重度汚染地域ってことになってたし」


 そうだ、と言って千歳は椅子を立った。

「アルバムがあるの。見るでしょ」

 クローゼットに細い指がかかり、ドアが開く。

 一瞬、ハンガーにかかったコートが見えた。

 モノクロの部屋に似合わない、茶色のピーコートだった。


 隠れた私生活が見えた気がした。

 どうも気まずくなって、健斗は手元のカップに目を落とす。


 コーヒーを見てふと思い出されたのは、酒保に置いてある下着だった。

 詩布も真紀も、ずっとサラシだ。

 この千歳はたぶん、あそこのまともな物を着けてる。

 苦い顔でコーヒーを飲み干す。同居までしてるのに、相変わらず女に免疫が無い。


 真新しいアルバムが、テーブルに置かれた。

「これ、どうぞ」

「あ……はい、どうも」

 意識して千歳を見ないようにして、健斗は表紙をめくった。


 中身は古めかしい写真ばっかりだった。

 まだインスタントカメラを使ってた時代で、ときおりピントが派手にぼけている。

 被写体は、中学生から上がったばかりの女の子ばかり。

 その中に見慣れた浅黒い顔があった。清楚そうな顔の女の子と肩を組んでる。

「しいのね、その隣がさっき言った友達のナツミ」

「千歳さんの写真は?」

「あー。私、撮り専だったから……」


 もう一枚、健斗はめくる。

 水着の女の子たちが写っていた。

 ぱん、と閉じる。


「あれ?」

「男なので……じゃなくて」

 健斗はコーヒーをすすり、

「写ってる人たち、みんな亡くなってるのに詮索ってマズい気が」

「私が許可してもダメ?」

「俺、いちおう真面目で通したいんですよ」


 お構いなしに千歳はアルバムをひったくり、どんどん説明していく。


「これは、しいのが中学の文化祭で男装したとき。これは、ああ。私、バニーだった」

「年下でも、人の話は聞いて欲しかったな……」

「きみ、真面目だしうるさいね」

 千歳はウインクしてきた。

「真紀ちゃんにもムカつかれるでしょ、それ」

「別に。というかあいつ、いつも怒ってるし……」

「あいつ?」

「他人行儀に呼び合う仲じゃないので」

 そこまで言ってから、健斗はちょっと考えて、

「……そういうことはやってないけどさ」

 と付け加えた。

 

「羨ましいなあ、それ」

「ただの吊り橋効果ってやつですよ。あいつも俺も若いんです」

「その若さが羨ましいって言ってるの、分かんないかな」

 千歳はアルバムを見たままだった。

 そこに写ってる女の子たちは、どれも可愛い顔だった。

 懐かしい感じもあったし、胸が締め付けられるような気分にもなった。

 

 この子たちのほとんどは死んでいる。

 これらを撮られた1年後には、徴兵されて本土防衛の捨て駒になったはずだ。

 帰れないあの頃、という言葉が浮かんだ。

 健斗はすべて拾ったつもりになってる。でも千歳が拾えるのは詩布しかいない。


 アルバムの写真は女の子が撮っただけあって、男はほとんど写ってなかった。

 たまに写っても、誰かが呼んだ人だけ。

 それでも詩布の交流が広かったのは本当らしく、彼女が単独で写っているものはほとんどなかった。

「これは?」

「卒業式だね。しいのったら、このときも第2ボタンを誰にもらったのか教えてくれなくて」


 珍しく千歳も入ってる写真だった。きっと保護者が撮ってくれたのだろう。

 ズボラな詩布がきっちり着飾ってるのが珍しくて、しばらく眺めていた。

 写っているのは3人。

 千歳と、共通の友人とかいう子、そして詩布。


「……第2ボタン?」

 金色のボタンを誇らしげに突き出してる女の子がいた。

 その隣で、詩布がピースサインを作っている。

 健斗は震える指で、一枚めくった。

 写っている女の子を指でさす。


「すみません、この子の名前をもう一度」

「え……それが、しいのだけど」

 健斗は指をどけた。

 やっぱり、その写真に詩布は写っていなかった。


 嫌な熱が背すじを芋虫みたいによじ登ってきた。

 健斗は「そうですか」と呟き、無理に笑顔を作った。

「詩布さんって戦後で色々と変わったと思うんですが」

「まあねえ」

 千歳はやはり笑っても歯を見せない。

「でも、根っこの部分はおんなじ。ほら、人間ってそう簡単に変わるものじゃないでしょ」

「どうですかね……」

「あなたのこと、羨ましいと思うのはホントだからね?」

 千歳の指が、健斗の手を這う。

 笑みが凍り付くのが健斗自身にも分かった。


「しいののこと、ずっと憧れてたの。あの人と一緒に居られるって本当に幸運なんだから」

 目が空っぽだった。

 眼窩に、ちらちらと炎みたいな光が揺れている。

 そいつが細くなり、健斗を見て笑った。

 手に乗った千歳の指が、急に冷えたものに感じられた。


 この女も、拾ったつもりになっていた。

 ただしこいつは、失くしたことも忘れている。



 それからどうやって帰ったのか、記憶にない。

 気が付くと自室のベッドに倒れていて、真紀が心配そうな顔で水を用意していた。

 浅く椅子に腰かけるのは、彼女の癖だ。

 割れた爪を引っ張りながら、真紀は横目でこっちを見た。


「災難だったみたいですね」

「あ……悪い」

「千歳さんの部屋から出てきたって聞きましたけど」

 真紀は微笑んだ。しかし目だけ笑っていない。

「まあな。えっと……MLFVの話を聞いてきた。うん」

「いいですよ。私より包容力ほーよーりょくがありそうですもんね、分かってます」

 乱暴に水の入ったピッチャーを寄越してきた。

 健斗がひと口飲むと、からからになった喉に酷くしみた。

「あ、あー、」

 喉の調子は、まだおかしい。

 がぶ飲みしたとき、ピッチャーの底に真紀のふくれっ面が透けていた。

 この人の表情には、いつも裏表がなくて落ち着く。

 

「それにしても、言葉って変だよな」

「何の話です?」

 健斗はピッチャーを下ろして、笑った。

「『分かった』で別れるんだから……『あなたを知りたい』って言って付き合う癖にさ」

「あの、私が怒ってることも分からせますよ?」

「大丈夫、もうシリアスになれた」


 健斗は笑みを消して、真紀を見つめた。

 しっかり彼女は見つめ返してきた。中身の詰まった瞳で。

 さっきの千歳は、詩布じゃない誰かを『しいの』と呼んでいた。

 あの写真の、清楚な顔をした娘――あれが、本当の赤坂 詩布だ。


 真紀と詩布は上手くやってる。

 切り出すべきじゃないかもしれない。

 だが今を逃したら、たぶん二度と話せなくなる。


「明日、また出かけないか」

「はい? どこに」

「分からない……けど、たぶん、大事な話になると思う。言葉を選びたい」


 口にした瞬間、胸のどこかが痛くなった。

 昔、ある人に最期に言われたのと同じセリフだったから。


 表情に出ていたのか、真紀は黙ってうなずいてくれた。


「ありがとう」

 そう言って健斗は布団をかぶった。

 この人は賢い。

 顔を見せたら、後悔してる、というのもきっとバレてしまう。

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