6-5.

 手の甲に爪を立てていた指の力が抜けていく。

 真っ暗闇だったが、健斗は真紀が気絶したことを悟った。

 三八式の操縦席はガンナー側だけが前方に突出しているため、真紀が受ける遠心力やGは健斗よりも大きかったはずだ。よく頑張った、と思う。


「お疲れさま」


 自分たち、いや、彼女が大きなことを成し遂げたという感慨があった。

 ソナーディスクの発信音ピンガーを囮に使うというアイデアは、武装を知り尽くした彼女だからこその見事な機転だった。

「殺させない、か」

 操縦桿をそっと握りなおす。もう、さっきの<何か>は感じられなかった。

 この車両は兵器であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 しかし、それに助けられた事実は確かにある。

 ありがとう、と試しに言うとコンソールパネルが光って応じた。健斗はかぶりを振る。もう何があっても驚かない。


 ハッチが開き、赤々とした光がコクピットに差し込んだ。

「詩布さん……」

 円形に開いた扉から覗き込む馴染みの顔に、健斗は問題が無いことを伝えた。

 返答は無かった。代わりに外に引っ張り出された。

 空気の涼しさを感じる間も無く、バツン、と鋭い異音がして視界が右にぶれる。

 はたかれた、と理解するのに時間はかからなかった。


「なんで、あんたたちがここにいるの」

 こらえ切れない嗚咽の中から、詩布は絞り出した。

 健斗は頬を撫ぜながら考えた。これは、真紀の代わりに殴られたのだろうか。

「やめてよ、こんな危ないこと、死んじゃうよ……」

「すみません。後方まで弾が飛んできそうだったので」

「だからって、前線まで来なくてもいいのに」

「それは俺のミスでした。反省しています」

 やっぱり、俺は部外者だな。健斗は寂しく呟いた。

 詩布は真紀に怒りたいのだろう。本来なら無視されてもおかしくない。


 続けるうちに、詩布はいくらか冷静になったらしい。

 胸を押さえながら呼吸を整えると、彼女は頭を下げた。

「八つ当たりだったね、ごめん」

「大丈夫です。それより真紀を――」

 詩布が踏み込む。

 ひし、と背中に腕が回される。身体が寄せられた。

 激しい息と合わせて、詩布の肩が小刻みに震えるのが分かった。

「ありがとう。アタシら、助けてくれたんだよね」

 健斗はまばたきをした。

「詩布……さん……?」

「ホント、ありがとう。ごめん」

 彼を離すと、詩布は泣き顔のまま、真紀の身体を抱きかかえて去った。向かう先には衛生兵たちの用意した担架がある。

 健斗はシャツの裾をつまんだ。まだ詩布の汗の匂いが残っていた。

「ここに居てもいいんだな……」

 つっかえが一気に消えた気分だった。

 ビンタを食らって痛む頬をさすり、健斗は振り返った。


 くすんだ地面には、真っ黒焦げになった兵器が二つ折り重なって倒れている。

 三八式は左肩を残して全てのマニピュレータが吹き飛んでしまっているのに、まともに砲撃を食らったはずのウォーラスはまだ人型の面影があった。驚異的な防御力だ。

 工兵だろうか、周囲には検分を始める兵士がいる一方で、誰もコクピットハッチには近寄ろうともしない。災禍を振り撒いた魔性の女が怖くて仕方がないようだ。

 三八式を背負うようにして倒れるウォーラスへと、健斗は歩いて寄った。

 銃を構えるRAMたちが彼を見る。

 注目されるのが、やけにこそばゆい。健斗は逃げるようにウォーラスの背面に設置されたハッチを開けた。

 埃っぽい暖められた空気と、ほのかに残る鉄と火薬の臭いが解放された。

 電装が微弱に光るシートには、少女がぐったりともたれかかっていた。こんな状況だというのに、だらりと腕を下げた姿はくつろいでいるようですらある。

 燃える兵器たちの熱に曝され、カルガはゆっくりと顔をもたげた。

「ケント君、だったかしら?」

「ああ。よく分かったな」

「まだ集音装置が生きてるの。さっきは大変だったみたいね」

「あんな人だから仕方ない……自分の心配はしないのか」

 カルガは首筋から伸びるコードを引っ張った。プラグが銀色の弧を描いて飛んで行く。

「私は兵士だもの。あなたたちもジュネーヴとハーグは知ってるんでしょう?」

「だからか。俺を人質に逃げるのかと思ってた」

 決して、冗談のつもりは無かった。カルガならそれくらいやりそうな気がした。

 ところが、カルガは口に手を当てたかと思うと、けらけら声を上げて笑い出した。

「あなた、買いかぶりすぎよ」

 右手で健斗をぱんぱんと叩く。

「目の見えない人間が特殊能力を持つのは漫画の世界の話だけ。私は見ての通り、兵器を少し動かせる程度の障がい者よ。そんなこと出来るわけないじゃない」

「それを特殊能力って言うんじゃないのか……」

「そうね、全くそう。ああ、おかしい」

 彼女の笑いのツボがさっぱりわからず、健斗は小さくうめいた。3人しか知らないが、今のところ、MLFVに乗る女は変人しかいない。


 カルガはひとしきり笑い終えると、ぱっちりと目を開いた。

「負けちゃったわ」

「ああ。完璧にな」

「あなたたち、強いのね。あの人が認めたのもわかるわ」

「あの人……というと?」

「ええ、私の大事な人。正義と平和が大好きな、世界一おバカな兵隊さんよ」

「はあ……?」

 勝手に知らない人の話をされても困る。

 煙に巻かれた気がしてならなかったが、カルガの自慢げに語る表情でどうでもよくなった。人間関係はなんでも人それぞれ。ここでの生活で学んだことだ。

 それに恐らく、健斗はその人物を知っている。

「あんたがやられて、馬賊は慌てるだろうな」

「ええ」

 カルガは少し表情を曇らせた。「それだけ心配ね」

「また俺たちが止めるさ。それがRAMの仕事だ」

「そ。じゃあ期待してる」

 コクピットに首を突っ込んだままの健斗を気にして、RAMたちが寄ってきた。

 カルガが身体のスイッチをはじく。動くようになった左手と両足で、しっかりとコクピットの座席に立ち上がる。

 健斗がカルガの手を引いた瞬間、あろうことか彼女は顔を寄せてきた。

 キス一歩手前の超至近距離で硬直する健斗に、カルガは小悪魔めいた微笑を浮かべた。

「キス、して欲しかった?」

「何を言ってるんだか」

「心拍数すっごく上がってる。意外と初心うぶなのね」

「そりゃ、同居人がどっちも性的に魅力ゼロなんだよ」

「プラトニックということね。うらやましいわ」

 いつの間にか手袋を外した手で健斗の右腕をさする。「はぁ、妬けちゃう……」

 無駄にエロティックな仕草に反応する身体を抑えるのが大変だった。

 カルガは動転する健斗に満足した様子で、そっと手を離した。彼女なりのジョークだったらしい。

「そうそう、あなたを殴った人だけど。あの女の人が赤いガレアスに乗ってるのかしら」

「それがどうした」

「やっぱり。呼吸の間隔が同じだからそんな気がしていたの」

 よかった。そう小さく付け加えた彼女の顔は、意外なほどあどけなさが残っていた。

 カルガは嬉しそうにウォーラスから飛び降り、

「赤色は大好き。いい人を殺さなくて済んで、本当に良かったわ」

「そうでも無いけどな。自称ベテランとか言って、周りを振り回してばかりなんだ」

「でもあなた達はそんなあの人が大好きなのでしょう?」

 健斗がその質問に答える前に、カルガは両脇を拘束された。

 だが「あ、ちょっと待って」と言うなり、信じられないほどの怪力で男2人を振り払う。

 すっ、とカルガは直立の姿勢を取った。そして一拍置いて頭を下げる。

「ご迷惑おかけしました」

 ひゅうひゅうと情けない音を上げながら風が吹き抜ける。

「……どういたしまして。二度とすんな」

 RAMのひとりがため息交じりに言った。


 護送車に詰め込まれる直前、彼女は立ち止まって、どこか遠くに向かって両手を合わせた。何かをいたんでいるような動作だったが、真相は健斗にはわからない。

 健斗は遠ざかる護送車の車影を見つめて呟いた。

「大好き、か」

 目蓋を閉じれば、記憶に残る人影が重なっていく。

 夢のようにぼんやりとする垢抜けた格好の2人と、くっきりとした輪郭を描く、たくましく生きる2人。健斗にとっては、大切だったはずの人たちだ。

 もう一度やり直せるだろうか、と自問する。

 目を開けると、焼け焦げた町が広がっていた。


 この現実は、次のステップに入っている。

 取り戻すのではない。全て受け入れて、健斗は歩み続けるしかない。

「だから、ここに来たんだよ……」


 黒煙立ち込める夜空に、死者数ゼロを知らせるアナウンスが響き渡った。

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