7. さよならの昨日、これからの明日

 カーテンを開ける瞬間というのは、いつもスカッとする。

 シャッ、とスタッカートが呼び込んだ日差し、体内時計がリセットされる感覚。


 この瞬間は、実に気分がいい。

 背伸びしようと爪先を伸ばしたとき、腹に巻いた包帯がちょっと突っ張った。

 ハイヒールのサンダルの訓練はまた先延ばしになってしまいそうだ。

 そろそろ詩布にせっつかれそうだった。

「いつになったら見せてくれるの?」なんて。


「また勝手にベッドを抜け出したんだな」

 医務室のドアがスライドし、健斗がトレーを持って入ってきた。

 真紀は軽く頬を叩いて振り向く。

 いい加減、寝たきり生活で肌のむくみが気になってきた。

「明日からは長距離行軍です。身体を慣らしておかないと」

「内臓がつぶれてるのに運転するつもりか。本当にクソ真面目だな」

「悪いですか」

「なんなら俺が運転するぞ」

「な、本気でやめてください! やったら健斗君でも殴りますから!」

 健斗は苦笑したままベッドサイドテーブルにトレーを乗せた。

 皿の上で湯気を立てているのはチキンライスだ。朝食にしては重いが、ランチと兼用しているのだろうか。

「サンパチの検査結果が出たらしい」

「……何も出なかったんですよね」

 健斗はうなずいた。

 この程度でわかるのなら、とっくの昔に誰かが気が付いている。


「逃げられちゃいましたか」

 と、真紀は特に感慨もなく呟き、ベッドに戻った。

「コクピットもずいぶん改造されてたらしくて……一部はウォーラスと同じレイアウト? 何言ってんだ羽田さん」

 メモ用紙の内容に、健斗が頭を抱えた。

 真紀はふんふんと納得の息を洩らすにとどめ、チキンライスをすくった。

「ウォーラスの実験車両、なんでしょうね」

 例の三八式は、どこかで馬賊に接収されたのかもしれない。

 人間が接続できるなら、MLFVだって人間に何かを伝えられるはずだ。きっと言葉が違うだけで、カルガは三八式と会話してきたのだろう。

「また、会えると良いですね」

 ああ、と健斗が応える。そのとき外で動きがあった。

 窓の外で、整備工場から三八式が送り出されているのが見えた。

機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ……にしてはちょっと不細工ですけど」

 ハルクから流用されたNATO規格の部品が複雑に絡み合い、四肢は付いているものの不安定な印象を受ける。砂塵が巻き上がった瞬間、目が合ったような気がした。

 三八式の顔が笑った。

「えっ」

 真紀は目をこする。

 もちろん、錯覚に決まっている。MLFVには口も頬も無い。そもそも表情出力装置が存在しない。だが、間違いなく笑っていた。

「どうした」

「なんでもないです。はい、本当に」

 動揺を隠して、慌ててスプーンを口に突っ込む。


 ――しかし。


「いつっ……あの、なんかジャリジャリするんですけど」

 チキンライスのオムレツ部分を舌に乗せただけで、ふわふわの生地に異物を感じた。卵の殻だろうか。追及しようにも健斗は目を合わせようともしない。

 試しにライスの方を食べると、こちらは問題ない。

 米を炒め過ぎのきらいはあるが、ケチャップの酸味が食材にうまく調和している。ほかほかと頬が暖かくなる、手料理の味だ。

 手料理……そう言えば、オムレツ部分だけやたらと味付けが濃い。胡椒が多くて鼻がむずむずしてくる。塩も味見をするたびに追加したようで、ちょっときつい。

 かすかな笑みがこぼれた。

 不慣れなエプロン姿で台所に立って、青年に卵を割るところから習い始めたズボラ女の姿が目に浮かぶようだ。


「……と思いましたが、気のせいでした。ええ、美味しいですよ。とても」

「悪い。どうしても力が入り過ぎて」

「練習してくださいね。たまには楽をさせてください」

 お互い、含みを持たせた言葉が続く。

 聖地の解放だ。背伸びのためだけに料理を作るのではなく、これからはみんなで楽しむための料理を作るのだ。真紀はぱくぱくと塩辛いチキンライスを食べ続けた。

「食い終わったらコールしてくれ」

「待ってください」

 部屋を出る健斗を呼び止める。真紀はスプーンを皿に置いた。

 深呼吸する。

「ありがとうって、言い忘れてました」

「別にいい。たった一回メシ作ったくらいで大げさな……」

「違います。初めて会った時のことです。私はあなたに何度も助けられてるのに、毎回憎まれ口を叩いて。本当に可愛げのない女だってことはわかってますけど、礼くらいは言わせてください。それだけでも――」

 ぽん、と頭に手を乗せられる。

 言葉が喉につっかえた。上目遣いに見返す真紀を、健斗は笑顔で「本当にいいんだ」と制した。

「俺は、真紀たちと話せるだけで本当に感謝しきれないくらいなんだ。ついでに言うとな、もう詩布さんから礼はもらった。2回は多すぎるよ」

「私と詩布さんはセット扱いですか」

「相棒、だろ?」

 止めた足が再び動き出す。健斗はスライドドアの向こうに消えた。

 真紀は「ずるいです」と頬を膨らませてスプーンを手に取った。


 彼はちゃんと自分を一人前として扱ってくれる。甘えてもいいのかもしれない。

 流石に酷使した舌がしびれてきて、真紀は一時手を休めた。

 遠くでは時折凄まじい爆音が轟いている。地雷を処理するために導爆線付きロケットを飛ばしているのだろう。

 この作業が終われば、新天地への大移動が待っている。

「気合、入れないと」

 侵攻用の先遣戦力を失った証安党は、今後は規模を縮小して防戦に備えるはずだ。

 カルガの証言次第では日本政府も重い腰を上げてくれるに違いない。

 勝負はこれからなのだ。


 何年かかってもやり遂げてみせる。だからRAMになったのだ。

「やってみせますから」

 どことなく詩布に似た力強い微笑をたたえ、真紀はチキンライスを頬張った。


 晩夏の太陽が少女の短髪をきらびやかに照らす。

 その輝きは、望遠カメラを起動した巨人の元にもしっかりと届いていた。

 空色のレンズがまばたきするように細められる。


 医務室から足音が近づいてきた。

「なあ、起きてるんだろ」

 真下からの声に、巨人は耳を傾けた。

「……やっぱりな」

 青年が軽く足の装甲を蹴った。

 彼の前に降り立った日を、巨人はまだ覚えていた。

 町は燃え、至るところに死体が転がっていた。彼が目に留まったのは、ひとりだけ逃げなかったから。こちらを見る目が、兵士の目をしていた。


「俺は、ここで良かったと思ってる」

 青年は言った。

「やり直すつもりだった、でも違うんだ。ここには俺が覚えている人は誰もいない。分かったんだよ。みんな傷だらけでさ、抱えたら耐えるか放り出すしかないんだ」

 もう一度、足を蹴る。

「ここからどうなるか知らないけどさ」

 見上げてきた。巨人も見つめ返す。

「この1ヶ月でちょっとは強くなれたよ。あんたのおかげだ」


 でも、と青年は首を傾げた。

「おい何をやってる!」

 そのとき整備士が怒鳴った。少年はあっと顔を引きつらせると、走り出した。

 最後まで聞かなくても、青年が言いたいことは分かった。同じことを以前に呟くのを聞いた。


「……俺が知ってるあの人、『詩布シノブ』って名前じゃなかった気がするんだよな」


 巨人は<笑み>を消して、ふたたび眠りにつく。

 戦いはまだ終わっていない。


 どこかで、今年最後になる蝉が鳴いた気がした。

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