2-2.

 摩天楼の消えた関東平野では、夜が早く来る。


 ハーフトラックの荷台から響くスラッシュ水素の冷却タンクのうなりを聞きながら、真紀は手汗まみれになったステアリングの合成皮革を握りなおした。


 自治区の勢力圏に入ったため、馬賊の襲撃の心配は無い。

 だからこそ、気をしっかり持たなければならない。

 静まり返った夜道と単調な走行音のダブルパンチは否応なく眠気を誘う。詩布からガムをもらっておくべきだったかもしれないな、とぼんやり思った。


 ……代わってもらおうかな。


 助手席を横目で一瞥し、真紀はぶんっ、と頭を振った。

 男と車に乗ったときは、毎度ロクなことにならない。

 いつも眠るあいだに状況が転んでしまう。とりわけ運転を任せたときはそうだった。

 トラックに伴走するガレアスは自動運転に切り替えているらしい。

 さっきから詩布が凄まじい音でいびきをかいている。軍用車輌と戦時徴用車の差を露骨に見せられて、詩布への評価がまたひとつ下がった。

 またほんの一瞬、愛すべき隣人を横目で見る。

 恋愛云々といった詩布の戯言は別として、健斗の小さめの鼻と、やや突き出された口はイタチとかオコジョみたいな小動物っぽくて嫌いじゃない。


 やはり悪人じゃないのだろう。だからこそ困っている。

「明日からどうしようかなぁ……」

 弱々しく吐いた言葉は、夜闇に溶けていった。

 監視するなら手元に置いておく必要がある。女ふたりの所帯に男がひとり。多少のトラブルは避けられない。なんなら家事のシフトも考えなければならない。

 詩布が料理音痴にプラス物ぐさの整頓下手というダメ人間のこごりなせいで、今まで雑事の一切は真紀が取り仕切ってきた。

 だからと言って、まさかこっちで健斗の汚れ物を洗濯するわけにはいかないし……。


 今日は、よく頭が痛くなる日。

 真紀は聞かれないように呟いた。


◇◆◇


 結局、目的地に着いたのは翌日の午前4時のことだった。

 荒野を覆うように建造された巨大な白いドームを遠くに見て、真紀はようやく苦悩から解放されたことを悟った。あとはあったかい布団と枕、そして朝食が待つのみだ。

 有刺鉄線で防御された正門で、顔馴染みの守衛にIDカードを渡す。

 こっちが寝不足で顔を真っ青にしていたせいか、守衛はぎょっとしているように見えた。

「真紀ちゃん、どうしたんだい」

「シゲさん、さっさと通してくださいよ。死ぬほどクソ疲れているんです」

 守衛が門を開けると、ハーフトラックとガレアスは町の中心部へと向かっていった。

 この町に名前は無い。識別名も、〈T139‐35〉と味気ない番号だけ。

 かつては平塚という町だったそうだ。

 戦火を辛うじて逃れた旧市街地が、勝手に徴発されて自治区になったと聞いた。


 もっとも、元からいた一般人も多数住むという意味では、この町はかなりの規模になる。

 人口の関係で、政府からの補給物資は優先的に届けられ、兵器専用の整備工場まで設けられている。拠点としてここを選んだ詩布のさすがの慧眼だった。

 走るうちに、トラックの窓ガラスに映る景色は、一般市民たちの住宅街からRAMが居住する集合住宅へと代わり、そして巨大なドームを有する整備工場へと移り変わっていった。

 宇宙でのテラフォーミング用に開発されたという施設を改良した整備工場は、ぱっと見ると真っ白な饅頭の四隅にシャッタが付いたような外見をしている。黒蜜かけたら美味しそうだね、などと詩布と笑いあったのが懐かしい。


 そして今シャッタの前では、連絡を受けた整備員たちが整列し、兵器が運び込まれるのを待ち受けていた。

 工場にトラックを横付けした真紀の元へと、初老の整備士班長が歩み寄った。

「ロジ3番のトラックが1輌、MLFVが2輌です。よろしくお願いします」

 真紀はハーフトラックのキイを整備士に返すと、寝不足の目をこすった。

「連絡にあったサンパチか。損傷のわりにやけに状態が良いようだが」

 トレーラーに固定された三八式を検めながら、整備士はいぶかしげに訊いてきた。

「えっとですね……」

 そこらに落ちてたのを拾った。そう言いかけて、手続きの量を考えてしまった。


「証安党の馬賊から鹵獲ろかくしたものだけど」

 そう欠伸交じりに口を挟んだのは、ガレアスから降りて来た詩布だった。

 彼女は書類を挟んだクリップボードを片手で振った。

「アジトを漁ったら、応急修理されたのがあったから掻っ払ってきちゃった。色々カスタムされてて売り物にならないから、アタシの予備として登録しといて。OSはキミサワ78をウィスカー対応にした改造品、メインエンジンは三四型……耐核装備が残ってたら外しちゃって。今どき原爆なんて時代遅れ、どうせ誰も使わないっしょ?」

 詩布は言いながら横目で真紀の方を見遣り、シッシッと手を払った。早く帰って寝ろ、と言ってるらしい。彼女も眠いだろうに。

「ありがとうございます」

「ん、あとで仕事たくさん持って帰るから」


 シートベルトを外すと、真紀は助手席の健斗に向き直った。

「着きました、起きてください!」

 だらしなく伸びた身体を揺さぶる。しばらくすると薄く開いた瞳が真紀の姿を捉え、「ああ、真紀ちゃん……ハッピーバースデイ……」と呂律の回らない声で呟いた。

「寝ぼけないでください! 自宅に案内します。まだ早いですが、朝食にしましょう」

 真紀はぶっきらぼうに言って、座席下に保管していたダッフルバッグを乱暴に取り出した。作業を始めようとトラックの荷台に向かう整備士たちが、運転室の男女に好奇の視線を向けてくる。こいつらめ、そんなに珍しいか。

 真紀がブーツを鳴らしながら離れていくと、健斗が慌てて後を追ってきた。


 荒野の朝焼けは、徹夜でトラックを運転した身には眩しすぎた。

 真紀が船漕ぎをしながら歩くだけでも、陽光が容赦なく突き刺さってくる。

 目を保護しようと横を向いて空しい努力を続けるこの姿は、傍目には隣を歩く男性に見惚れているように見えるのだろうか。

 それを健斗が好意的に解釈したのかどうかは、真紀の与り知らぬところであるが、彼は道すがらしきりに質問してきた。


「じゃあ、電気も使いたい放題なのか」

「はい。専用のジェネレータを置いているので、水とガス以外は不自由していないんです。お料理もここならIHで充分ですし」

 両手で顔を覆って走り去ってしまいたい衝動と格闘しながら、真紀は答えた。

 思えば、14年に及ぶ人生で、こうして同世代の異性と並び立って歩くこと自体が初めてだった。誰かに見られたら……と思うだけで舌を噛み切りたくなる。

 試しに歩調を落とすと、健斗はペースだけゆるめて合わせてきた。

 顔色ひとつ変えない。女の人と歩くのには慣れているらしい。

 ちょっとムカついた。

「でも、真紀ちゃんはすごいな」

 日差しに目を細めながら、健斗が感心したように言う。

 ぴくっ、と真紀の歩調が乱れた。

「その歳でこれだけしっかりしてる子なんて、なかなかいないだろ。尊敬しちゃうな」

 真紀は穴が開くほど青年の顔を見つめた。


 完全に奇襲だった。

 心臓が肋骨の下で64ビートを刻んでいるのをはっきりと感じた。

「あ……あ……」

 ありがとうございます、その簡単な一言が出てこない。

「あ、あの、ちゃん付けはやめてください」

 試行錯誤の末、ようやく絞り出した言葉は、まるで見当違いの代物だった。アラームを鳴らす大脳新皮質をガン無視して、次から次へと言葉が口から撃ち出される。

「こっ、この職業は、なめられたら終わりなんです。で、ですから、一人前として扱って――と、とにかく。なんというか嫌なんです。ちゃん付けはやめてください!」

 どうしようもなく吐きそうになりながら、真紀は青年の頭越しに空を見つめた。

 ああ、青い空よ。

 もし今どこかの馬賊が間違ってピンポイントであたしの真上にニンジャ爆弾のひとつでも落としてくれたら、きっと、とても、とても嬉しいです。

 そんな彼女の心のうちを知らないで、健斗は額を押さえてごめん、と謝罪していた。そして仕切り直すように真紀の方に向き直り、

「じゃあ、これからよろしく……真紀」

 ぶわわっ、と頭皮と腋が汗ばむのがわかった。

 ただ自らの名前を接尾語なしで呼ばれた、それだけ。なのに、どうしてこうも耳が火照るのだろう。小っ恥ずかしさに死にたくなるのだろう。


 はあ、と息を吐き。


「こ、こちらこそよろしくお願いしますね。健斗君」

 健斗は微笑み返してきた。

 君付けされても嫌がらないこの人は、たぶん自分よりずっとオトナだ。


 集合住宅のひとつ、味気ないコンクリートで打ちっぱなしにされた平屋の前で鍵を取り出しながら、真紀は頭のてっぺんまで自己嫌悪にどっぷり浸かっていくのを感じた。

 馬賊のスパイかもしれないのに。

 なのに、ちょっとくらい歳が近いだけの男の人と散歩しただけで顔を真っ赤に爆発させちまう。まるで世間知らずの生娘……いや、こちとら生娘だ。思春期真っ盛りだ。だから、これは若さのせいだ。生理的反射だ。反射ならば仕方ない。


「それで、朝食はやっぱり真紀が作ってるのか?」

「いえ、工場の方で炊き出しが。あ、私も作ってますけど今朝は作り置きがあるので」

 赤くなった顔を見せないように苦心しながらも、ようやく開錠できた。後ろの青年を先に通し、真紀はうつむいてドアをくぐった。もちろん、こまねずみのようにグルグル回る目を見られないように。


「……もらっていいか?」

 靴を脱ぎながら健斗がそっと言った。「その、作り置きのご飯ってやつ」

「別にいいですけど、普通に私よりレーションの方が美味しいですよ?」

 健斗が三和土たたきに置いたサイズの大きなスニーカーの横で、真紀は自分の小さなブーツを脱いだ。

 そしていつものようにガサガサに荒れた脚にため息を落とす。

 つい、と肩に担いだダッフルバッグをなぞった。


 ブーツの下から現れた素足は、むくんでいる上に肉刺まめだらけだ。

 靴下で隠れた足先も同様。

 あちこち駆けずり回るうちに擦り切れた皮膚が、紙やすりのように固くなってしまっている。

 仕事で嫌なことがあるのは別にいい。でも、こればかりは耐えられない。

「何とかならないのかな……」

 少しだけ本音の気分になって、真紀は呟いた。


 しかしすぐに真顔に戻ってスリッパに履き替えると、彼女は食堂の隅にある冷蔵庫へと向かった。

 こんなボロボロの足だ。合う靴なんて無いに決まってる。

 あったところで見せる相手などいない。

 作り置きの煮物を取り出しながら、真紀は自分自身に言い聞かせた。

 そう、いないのだ。


「全然美味いじゃないか! これだけ作れるって本当にすごいな!」

 ……たとえ、料理をほめてくれる青年の声が、どんなに嬉しく聞こえても。


 詩布が整備士たちから解放されて戻ってきたのは、正午を少し回った時刻のことだった。

 静かな昼下がりに、彼女の乱暴な足音はよく目立つ。

 真紀は寝室の布団で仮眠をとっていたが、ブーツを脱ぎ捨てる音に跳び起きた。

「ごめん、起こしちゃったね」

 真紀がぼさぼさになった髪を直していると、詩布は軽く謝ってきた。

 仮眠しただけの詩布の顔はひどいものだったが、どういうわけか機嫌はよさそうだった。

「ドライヴレコーダ見せたら、撃破分の報酬払ってくれるってさ」

「えっ、本当ですか」

 真紀は健斗と顔を見合わせた。

「ん。スモークは自腹だけどね。ま、そっちもキャニスタの売却費用で補えるらしいし」

「交渉うまくいったんですか」

「美人はお得ってこと」

 詩布はVサインを突き出してくる。横で健斗が苦笑した。

「あとキミ」

 ビシッ、と詩布がVサインを倒して健斗に向ける。

 健斗はきょとんとした表情で見つめ返した。


「あとで話あるから、よろしく」

「話、ですか」

「具体的には今後のことなんだけどね」

 詩布の目がぎらりと光った。

 嫌な予感がして、真紀はふたりの間に顔を突っ込んだ。

「その話、私も参加させていただけませんか」

「もちろん。えー……カノヤ君? もいいよね」

「まあ……構いません」

「それじゃ、8時までアタシは寝るから。それまでお二人でヨロシクしといて」

 意味ありげに真紀にアイコンタクトを送ると、詩布はさっきまで真紀が寝ていた布団に頭から突っ込んだ。ぐうぐうと寝息が聞こえるまで、それから10秒もかからなかった。


「お姉さん、すごい人だな」

 すっかり気圧された様子で、健斗が言った。

「姉じゃないですよ。苗字も違いますし」

 素っ気なく真紀が言うと、健斗はひどく驚いたように眉を上げた。

「姉妹じゃなかったのか。あんまり仲が良かったもんで、てっきりそうかと思ってた」

「師弟……というより相棒ですね。まあ、よく言われます」

 真紀は苦笑した。

 あちらは面長の弥生人顔で、こっちは典型的な丸い縄文人顔。

 髪の色くらいしか似ているところは無いのに、何故かしょっちゅう姉妹と間違われる。


「私が童顔ですから」

 少し寂しそうに付け加え、真紀はコーヒーを淹れに台所へ立った。

 マグカップにお湯をぶちまけているうちに、心にもやもやしたものが溢れてきた。

 この顔も、この身体も。

 年下にこそ思われても、年上に見られることはまず無い。

 今回も、妹のように見られたことはちょっとショックだった。健斗にそういう意図が無かったことは分かっているが、それでも。

「話って何でしょうね」

 淹れたての2杯のカップをはさみ、真紀と健斗は向かい合った。食卓の背後からは凄まじい音量で詩布のいびきが聞こえている。

「俺の今後だっけ。どっかに引き渡されるとか」

「それはどうでしょう。長野の政府への申請はだいたい48時間くらいかかりますし、それまで滞在できる施設だってそんなに無いですけど」

「まあ、別におれは野宿でも構わないけどさ。あ、メシの問題があるか」

「お……」

 お食事なら私が用意します、と言いそうになる口を真紀は押さえつけた。

 そういう問題じゃないし、まだ世話女房みたいな真似をするような間柄でもない。

「お楽しみ……というほどじゃありませんけど、待つしかありませんよ」

 肩を落とした真紀に、健斗はフェレットみたいな顔をしかめて、「そうかもな」と呟いた。

 詩布の幸せそうな寝息をBGMに、ふたりはずずっ、と眠気覚ましのブラックをすすった。


 午後8時になると、予告通り詩布が起きてきた。

 いつも通り、目覚まし時計の類は一切使っていないのに、誤差3分以内の正確な寝起きだ。現役の軍人だってここまでのやつはいない。

 詩布の驚異的な体内時計を目の当たりにするたび、真紀はこっそりと、この人が実は野獣か肉食魚に近い生命体ではないのかと疑っている。

 詩布は関節を鳴らして伸びを済ますと、ポケットから何かのクーポン券を取り出した。


「『スパイダーハーツ』のソフトドリンク無料券溜まってるから、行こうか」

 酒場のポイント券のスタンプを指差し数え、彼女はにやりと笑った。

「……また私に内緒で呑みましたね」

「最近カクテルの新作が出ててさ。いやあ、これが乙女心くすぐられちゃうんだよね」

 グリーンフィールズとか舞姫とか……と酒名を列挙し、乙女とは程遠い高笑いを上げながら、詩布は下駄箱からブーツを取り出した。

「よかったら、キミ達にもオススメ教えてあげてもいいけど」

「未成年に飲ませないでください」

 隣で健斗が引き始めているのを見て、真紀はため息交じりに言った。

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