夜魔

黒木ココ

夜魔




 夏は夜とこの国を代表する随筆家が言うとおり夏は夜空が綺麗だ。

 東京から地方に引っ越してからはなおさらそれを意識する。

 都会と比べて灯りが少ないこの街の空はすごく星がよく見える。

 ビーズを散りばめた漆黒の空を二分する光の川、東京ではとても目にすることのできない幻想的な光景だ。

 昔はどこでもこれぐらいは当たり前だった。いや、もっと星々の煌めきが闇に閉ざされた地上を照らしていた。


 引っ越してから一ヶ月がすぎこの街の暮らしも慣れてきた。

 都会は暮らしに便利だ。どこに行くにも楽だし買い物だってすぐに行ける。何より誰がどこに暮らしていようとそれを気にするものはいない。

 だけど、やはり人が多すぎるのは息苦しい。朝から明け方まで人々が街を行き交う不夜城はどうにも苦手だ。


 闇のない生活は馴染まない。闇夜に月と星以外の光は風情がない。

 喧噪の昼、静寂の夜。要はメリハリが大事なのだ。

 とは言うものの、人がいない田舎の生活はそれはそれで不便だ。

 田舎は静かでのんびりとした生活が営める反面、都会のように誰がどこで暮らしているか気にしないことを許してくれない。

 若い女が身一つでの田舎暮らしなぞどんな噂話を世間様に囃されるかたまったものじゃない。

 ほどよく都会で、ほどよく田舎の地方都市。

 それなりに交通や買い物に便利でそれなりに他人の生活に世間が興味を示さない街が良い。

 そういう点では今の住処は私の理想に最も適しているだろう。


 缶チューハイとお菓子を買ってコンビニを出ると駐車場に数人の若者がたむろしていた。

 髪の毛を染めて野暮ったいジャージ姿の若者たちが駐車スペースの一角を占拠して談笑している。

 まあ私もTシャツにショートパンツにサンダルと野暮ったさは変わらない格好をしているが。

 コンビニを出た私と彼らの視線が一瞬交わり静寂が訪れるが、彼らはすぐに私のことを気にも留めず談笑を再開する。

 時刻は午前二時を過ぎている、丑三つ時だと言うのに元気なことだ。


 交通量が多い国道沿いはコンビニやチェーン飲食店が立ち並び夜でも眠らない街の様相を示している。こういうところは都心部とそう変わらない。

 しかし、幹線道路を数歩外れ田畑が点在する住宅地に踏み込むと一変して闇と静寂に覆われた別の世界に変貌する。

 後ろを振り返ると国道に建ち並ぶ店舗が煌めき、車が通りすぎる音が聞こえるというのに前を向くと古びた街灯が力なく明滅する闇がどこまでも広がっている。

 地方都市ならでは境界面が私がこの上なく好きだ。


 昼と夜の境界、里と山の境界。境界は古来より様々なモノを呼び寄せる。

 この地方都市特有の都心部では当然見られない、山奥の田舎でも見られないある種人工的に発生する歪な境界も例に違わない。

 明滅する街灯の明かりが弱々しく地面を照らすその向こうで影が揺らめいている。

 

 ずるっ……ずるっ……何かを引きずるような足音を立ててそれは私のところに近づいてくる。

 薄明りの下に露わになる異形の姿。

 歪に折れ曲がった片脚を引きずりながら。

 外れた肩をだらんとぶら下げながら。

 90度横に折れ曲がった首の喉からごぼごぼと音を立たせながら

 血塗れのセーラー服の少女が這いずるように近づいてくる。


 彼女は誰だっけ。ああ、思い出した私がここに引っ越したばかりの時に目の前で轢き逃げに遭った女の子だ。

 大型トラックに自転車ごと粉砕された彼女を"助けた"んだった。


 潰れた顔の眼窩は恨めしそうに歪んでいる。

 どうして。

 どうして。

 どうしてわたしをこんな姿にした。


 ああ、ダメか。

 彼女も私を愛してくれないようだ。

 ならしょうがない。


 私は缶チューハイが何本も入ったコンビニ袋を振りかぶると、異形の頭部に向けてフルスイングした。

 ぐしゃっと何かが砕ける音がして異形が民家の塀に叩きつけられる。

 私は数キロあるコンビニ袋を何度も何度も振り下ろす。

 せっかく買ってきたお酒がダメになってしまった。かと言って返り血が付いた格好でコンビニに入るわけにはいかない。

 仕方がない、今日はもう家に帰ろう。


 

 ■



 ひと悶着があったが私は無事に自宅があるマンションに帰ってきた。

 この周辺では目立つ高層マンション、その最上階に私の家がある。

 見上げた闇の中に浮かび上がるその巨体の側面に揺らめく影があった。

 あっ――と私が声が上げる前に影が宙を舞った。

 それは重力に従い真っ逆さまに落ちていく。



 頭を下にして垂直に落ちてくるそれの目が一瞬合った。



 ぐしゃっともばしゃっともつかない破裂音が私の前で広がった。

 不格好なマネキンのようにあらぬ方向に四肢を投げ出して横たわる若い女。

 頭から真っ逆さまに落ちたせいで砕けた頭蓋からぼろんとはみ出した脳が潰れた豆腐のように落ちている。

 誰が見ても確実に即死だった。

 

 不幸な事故か、何か思い詰めての自死か、それとも誰かに突き落とされた事件なのか。

 どちらにせよ私にとって知る由もないし知るつもりもない。

 私の前で墜落死したというのは運命の出会いだ。だから"助けて"あげよう。

 私は満面の笑みを浮かべて動かなくなった彼女に語りかける。




「ねえ、助けてあげる。だから私を愛してくれますか?」



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