JASRAC詐欺
すでおに
JASRAC詐欺
東京練馬区にある商店街。駅をまたぎ、近くに大学もあって学生も多く、毎月末に縁日が開かれたりと地域に根付いた商店街ならではの賑わいを見せている。
メインストリートからやや脇道に外れたところに団子屋があった。来年創業25周年を迎える店はチェーンではなく、夫婦二人で切り盛りする、店頭にショーケースを置いただけの小さな店。体を壊して入院したのを機に脱サラした店主が、2年の修業を経て齢四十にして開店にこぎつけた店だった。
店先に掲げられた『団子屋さくら』のさくら色の暖簾は色褪せてはいるもののそれもまた"味"になっている。ショーケースには串に刺さったみたらしやこしあんの団子に、大福や炊き込みごはんやおにぎりも並び、秋は栗団子、冬は苺大福と季節の品が彩を添える。商店街の片隅ではあったが、お雛様や端午の節句といった行事ごとには近所の幼稚園や老人会などから注文が入って忙しく働いた。
ある日、ランチタイムが終わって客足が一段落した頃に、一人の男が足を止めた。夏だというのに糊の利いたスーツを着て、いかにも暑そうだった。男は道を挟んだ向かい側から店の様子をしばらく眺めていたが、歩を進めると声を掛けた。応対した店主に差し出した名刺の肩書にはこう書かれていた。
『一般社団法人日本音楽著作権協会JASRAC 市場調査員』
「JASRACという組織はご存じですか」名刺に視線を落とした店主にその調査員が訊いた。
店主は右目の下をかいた。その癖のせいでそこには大きなシミができている。薄くなったのを隠すためでなく、開店当時から頭にはさくら色のバンダナを巻いていた。
その名称はテレビなどで聞き覚えはあったが、あまりいい印象は持っていなかった。にわかに心をざわつかせながら店主は頷いた。
男はショーケースの一番上の隅っこに置かれたCDラジカセを指さした。CDとカセットテープを1つずつ挿入できるシンプルな造りで、スピーカーからは毎日朝10時の開店から『だんご3兄弟』が控え目のボリュームながら絶え間なく流れている。ミレニアム前年の1999年に大ヒットしたこの曲のお蔭で当時は団子がよく売れた。それ以来の験担ぎがルーティンに昇格して今も流し続けている。ラジカセも当時購入したものだからずいぶん経つが故障もなくずっと使い続けていた。
「このように販売促進のために店頭で音楽を流すと使用料がかかるんです。耳にされたことはあると思うんですが。お支払いになっていませんよね。みたところこのラジカセは中々年季の入ったもののようですが」
元のシルバーがところどころ黒ずんでいた。時折磨いてはいるものの、日光にも晒され経年劣化は避けられない。調査員がそっとラジカセを動かすと、細かい傷の入ったショウウインドーのガラスが、そこだけ透き通っていた。
「最近ですと、イートイン脱税なんていうのもありましてね。例えばコンビニで8%の消費税で購入したものを店で食べたら脱税になるわけです。こちらのお店にはイートインコーナーがないようですから、そういう問題は起こらないでしょうけれども」
イートインであれば消費税率は10%になり会計が変わる。団子屋さくらにそのスペースはないが、食料品店である以上店主はもちろん承知している。
「もし、そういう違反をするお客さんがいたらいかがですか?腹が立ちませんか?もっというと万引きされたらどうですか?金も払わずに売り物を持っていかれたら」
目を離した隙に店先に置いた商品がなくなっていたことは今までに何度かあった。警察に届けはしなかったものの、どうしてこういうことをするんだろうと、夫婦で憤ったものだった。
「無断で音楽を使用されることはそれと一緒なんです。万引きと一緒。著作権の窃盗、権利の窃盗なんです。著作権法違反は立派な犯罪で、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金です」
調査員の弁舌に店主は顔を青ざめた。音楽の使用に金がかかる認識はあったが、これまで催促を受けたことはなくほったらかしにしていた。心の隅に引っ掛かっていた罪悪感が雪崩となって押し寄せてきた。
「1999年に改正され、2000年に施行された著作権法でCDを流すのも使用料が発生することになりましたので、これまでの分をまとめてお支払いいただきたいのです。年額6000円、プラス消費税。20年分ですので、13万2000円になります」
今年だけでなく20年分とは。払う腹を決めた店主だったが、顔が歪んだ。
「ご不満に思われるかもしれませんが、これは法律なんです。他のお店はきっちりお支払いされているんです。今までの分は逃げ得ではおかしいですよね。正直私も心苦しいんです。ですが、法律で決められたことなんですよ」
調査員はカバンの中から振込用紙を取り出した。
「支払期限は今月末です。お支払いが確認できなければ刑事告訴の準備に入りますのでくれぐれもご注意ください」
最後にそう言って調査員は店を後にした。
商店街の小さな店。逮捕されるようなことがあれば、周りからどんな目で見られるか。幼稚園は取引してもらえなくなるだろう。
「長い目で見たら払うしかないわよね」
妻もそういった。何より他に選択肢は存在しなかった。
町の団子屋の経営状況に余裕などあるはずもなかったが、店主は貯金を崩し20年分の著作権使用料13万2000円を振り込んだ。
何かの手違いで、万が一にも警察沙汰にでもなったらたまらないと、店主は振り込みを終えると名刺に書かれた番号に確認の電話を掛けた。たしかにJASRACにつながった。事情を説明し、名刺にある役職と氏名を告げ、当該人物の呼び出しを頼んだ店主に意外な答えが返ってきた。
「当協会にその様な役職はありませんし、そのような人物も在籍しておりません」
そこで店主はようやく詐欺だと気づいた。しめて13万2000円。まんまとだまし取られてしまった。落胆した店主夫婦は返ってくる見込みはないと分かっていても警察に被害届を提出した。
まだ傷の癒え切らない数日後、今度は半袖のワイシャツ姿の男が店へやって来た。首にはカードホルダーを提げている。男は名刺を差し出した。
『一般社団法人日本音楽著作権協会JASRAC』。
ただし役職は前回の男のものとは異なっていた。
「著作権使用料をお支払いいただきたく伺いました」
男の言葉に、店主は頭に血が上って行くのを感じた。なるほど一度引っ掛かった人間は騙しやすい。詐欺グループのカモリストにでも載ってしまったのことか。まだ詐欺に気づいていないと思っているようだ。
騙されたふりをして警察を呼ぶこともできたが、金をだまし取られていただけに、冷静ではいられなかった。
「JASRACがなんの御用ですか」店主は語気を荒げた。
「ですから今申し上げた通り、著作権使用料をお支払いいただきたいのです。店頭で音楽を流すと使用料がかかるのはご存じですよね」
何をぬけぬけと。店主はかっとなって、頭に巻いたさくら色のバンダナを取って握りしめた。
しかし男は冷静に続けた。
「先日お問い合わせのお電話をいただきまして、事情をお聞きしたところ、著作権使用料の未払いが発覚しました。間違いありませんよね?ですので今回伺った次第です」
ようやく店主にも事態が飲み込めて来た。バンダナを握る力が抜けていく。
「当協会を騙る何者かに金をだまし取られたとのことで、それに関しては大変お気の毒だと思いますが、使用料が発生するのは事実ですので、20年分お支払いください。私は本物のJASRACの職員です。電話で確認いただいてもかまいません」
男は店主にカードホルダーに入った職員証を差し出してなお言った。
「著作権使用料をお支払いください」
この物語はフィクションです。
JASRAC詐欺 すでおに @sudeoni
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