第5話
「あっ」
「やあ」
僕が石原さんと会ったのは行きつけの古本屋でのことだった。
家に帰ってきてから起きた頃には昼を少し過ぎようとしていた。家には誰もおらず、リビングには『お父さんと出かけてきます。母より』と年の割に未だ仲が良い両親のメモ書きが置いてあった。バイクが見当たらないところを見ると、兄貴は知らない間に出かけたみたいだ。
ふと、一人静かになった家の中で寂しさを感じた。飼い猫の名前を呼んでみても反応はない。本当に一人だった。
お腹空いたな……。
一人だろうが大人数だろうがお腹は空く。僕は大きく伸びをすると出かけることにした。
ここしばらく夜中に出歩いているせいで休日は家で寝ていることが多く、昼間に外に出ることが久しぶりだった。知らない間に緑でいっぱいだったはずの街路樹は赤や黄色へと葉の色を変えていて、秋の訪れを感じた。
僕の家から自転車で十五分ほど走った頃、目的の場所についた。
パッと見ただけじゃその建物がなんなのかわからない。外はレンガ造りで、見るからに古そうな外観をしている。中は木の床張りで、年季のせいか元の色がどんな色をしていたのかわからないくらい黒く、歩くたびに軋む音がした。
夢見鳥、それがこの古本屋の名前だ。
整然と並べられた本棚の中は、棚とは対照的に乱雑に本が並べられていて、本の厚みや高さがちぐはぐだった。店主いわく、同じ本をキレイに並べるより、こうした方がどんな本があるかじっくり見てもらいやすいということだった。決して整理するのが面倒だからとかではないらしい。
そんな店主の考え通りに動いているわけじゃないけど、大小バラバラな本が並べられてるせいでじっくり見ないとなにがあるかわからない。人によってはこれを不快に感じると思う。けど僕にとって一つ一つの本の出会いが宝探しをしている気分だった。
何列目かの本棚を巡っていると、不意に声をかけられた。
「石原さん」
「やあ。こんなところで君に会うなんて、なんて素晴らしい偶然だろうか。まるで予想だにしない作品に出会えた時と同じくらいだ」
石原さんが大仰な身振りで話しかけてくる。ほかの誰かがやれば滑稽に見える仕草も、石原さんがやると妙に様になる。石原さんの服装もそうだけど、一見すると線の細い美少年に見える彼女の切れ長の瞳や顔立ちが余計にそう見せるのだろう。
「何かいい出会いはあった?」
石原さんの言葉を借りて言うと「それなりに」とはにかんでいた。手に本を五冊持っているのがその証拠だろう。
「そういう君はどうだい?」
「今日はいい出会いはないみたい」
「そうか。なら次に期待することだね」
近くにあった本棚から六冊目の本を手に取りながら言った。手に持っている本のタイトルはいずれもホラーかミステリーばかりだった。
「たまには違ったジャンルとか読まないの?」
「あいにくと私に恋愛小説は似合わない。それよりミステリーの世界で探偵を装っているほうがいいさ」
そう言って何気なく手にとっていた恋愛小説をそっと棚に戻していた。
「それはそうとこの後予定は空いているかい? よければお茶に付き合ってくれないか。知り合いからちょっとしたものをもらってね」
「ちょうどお腹空いていたからいいよ。朝から何も食べてなくて」
「なら決まりだ。ちょっと待ってて」
さっきまでの立ち振る舞いとは対照的に軽やかな足取りで店主の元へと歩いていった。よっぽどいい本が手に入ったんだろう。そういうところは石原さんらしい。
「待たせたね。それじゃあ行こうか」
夢見鳥と印刷された紙袋を手に先を歩く。女子にしては高身長の部類に入る石原さんは、歩き方も美少年だった。何気なく本人にそのことを言うと、微妙な笑顔で、喜ぶべきか怒るべきか迷うね、と戸惑っていた。その後で「少なくとも君に言われると特にそう思うよ」と付け加えて。
石原さんに連れられてきたのは駅前のパンケーキ屋だった。最近テレビでよく取り上げられてるのを見たことがあった。ピークの時間帯じゃないからか、テレビで見たような行列はなく、スムーズに店内に入ることができた。
あまり馴染みのない店に視線をさ迷わせていると、店員さんに案内されるがまま席に通された。
イスに座ってからもう一度周囲を見渡す。女の子が喜びそうな色使いのインテリアとポップが目まぐるしいまでに飾り付けられていて、自分がここにいることが場違いなんじゃと錯覚しそうになる。実際店内で男は僕だけしかいない。周りは女子会なのか女の子がはしゃぐ声であふれていた。
「どうしたんだい難しい顔をして」
「う、うん、こういったところって来たことないから緊張しちゃって。男なんて僕しかいないや」
「男性はあまりこういうところには来ないからね。さしずめここは秘密の花園といったところかな」
頬杖をつきながら顔を傾げて柔らかく微笑む。もし僕が女の子だったら勘違いしてしまいそうだ。
「ところでここのオススメって」
「ああ、どうやらこよラズベリークリームトッピングがオススメらしい」
「らしい?」
「実は私もここに来るのは初めてなんだ」
そう言いながら少し照れくさそうにしていた。
「こういったところには馴染みがなくて、ここの招待券をもらって気にはなっていたけど一人で入る勇気が出なくてね。それで君を誘ったというわけさ」
「そうなんだ。でも僕も石原さんに誘われなかったら来てなかったよ。ところで石原さんはなににするの?」
「私はキャラメルソースにバニラアイスをトッピングしたものにしよう」
「見てるだけで甘そうだね。石原さんって甘党?」
「君は私をなんだと思っているんだい? これでも私も年頃の女の子だよ」
少しだけ不機嫌にしながらも、まぁ仕方ないかとメニューを眺めていた。
僕はブラックコーヒーとパンケーキを、石原さんはカフェラテとパンケーキのセットを注文した。
運ばれてきたパンケーキはメニューに載っている写真と比べても、いやそれ以上に大きく感じた。僕が尻込みしていると石原さんは慣れた手つきでパンケーキを口に運んでいた。その姿は普段の凛々しい姿とは対照的で普通の女の子らしく可愛いとさえ思ってしまった。
「ん? 君は食べないのかい」
「え、あ、うん、食べるよ」
今にして思う。これは側から見たらデートなんじゃないかと。そう思うとただでさえ慣れていないナイフとフォークの扱いがままならない。そんな気持ちを知ってか知らずか、気づけばテーブルの向かいのパンケーキは残り一枚になっていた。
「そういえば──」
石原さんが動かしていた手を止めた。
「相川女史は元気かい?」
「委員長? 別に休んだりはしてないけど」
僕が一枚目のパンケーキを食べ終える。
「ああ、そういう意味じゃないんだ。なら聞き方を変えよう。ここ最近彼女に変わったことはなかったかい?」
石原さんがじっと僕を見つめる。その視線の中に何かの意図が含まれていた。が、僕には彼女の真意は読めない。
「変わったこと……特にないと思うけど」
言葉の意味を探りながら静かに答える。石原さんはその言葉になぜか神妙な顔をしていた。
「……そうか、ならいいんだ。それよりこの店はどうだい?」
「噂に聞いていた以上にいい店だね。ただ僕一人で来るには勇気がいるけど」
ふと、近くに座っていた二人組の女の子がこちらを見てなにか話していた。大方、男が二人でパンケーキ食べてるとでも話しているんだろう。その気配は石原さんにも伝わったみたいで「違いない」と甘いはずのカフェラテを口にしながら苦笑いを浮かべていた。
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