第31話 慶長遣欧使節団


 仙台城へ入城した重綱は、さっそく政宗へ事後処理の報告を済ませ、公の場での仕事は早々に終わった。といっても、それでお終いのはずがない。むしろ本題はここからだ。

 人払いされた奥の間で碁に付き合わされながら、重綱は政宗と向かい合っていた。

「それで、どうなのだ阿梅達は」

 ぱちりと碁石を鳴らして聞く政宗に、重綱は穏やかな顔で答えた。

「白石に馴染んでおりますよ。阿梅も大八も、おかねや阿菖蒲、皆これからが楽しみな子供達で」

「……………やはり親馬鹿になったか」

 呆れ顔の政宗に重綱は碁石を置きながら言った。

贔屓目ひいきめであることは承知しております。が、優秀であることには違いありませぬ」

「であろうな。あの源次郎の子供達なのだから」

 腕を組み、しばし考えてから政宗が打つ。

「首尾は?」

「こちらにおります真田氏に協力を取り付けました。戸籍も工作済みです」

 それは伊達家と片倉家がなんとしても隠さねばならない秘密。つまり、真田信繁の次男である大八の身元のことだ。

 生半可な嘘では幕府は納得するまい。そこで重綱は戸籍をでっち上げた、というわけだ。

「ならば、徳川から突かれたとして、それで押し通すとしよう」

「よろしくお願いします」

 そう言いながら碁石を置いた重綱に、政宗は「む」と眉間にしわを寄せた。

「人に頼みながら打つ手か、これは」

「それとこれとは関係がないでしょう」

「あるわ、馬鹿者」

「手を抜いたら抜いたで、お怒りになるくせに」

「お前にそのような器用な真似ができるか。だから馬鹿者だと」

 ぶつぶつ文句を言いながらも打った政宗の一手に、重綱はすかさず畳み掛ける。

「あっ、お前! そう打つ奴があるか!」

「あいにく、場が読めぬ馬鹿者なので」

 しれっと言う重綱に政宗はむぅと唸り考え込む。

「して、阿梅だが。側室には本当に入れぬのか」

「入れませぬ」

「では、わしに」

「なりませぬ」

 即答する重綱を政宗はじろりと見た。

「そのようなことをほざいていると、無理矢理にでも取り上げるぞ?」

「…………御戯おたわむれはお止めください」

 政宗はじっとりとした目を重綱に向けたまま碁石をぱちりと鳴らした。

「戯れだと思うか?」

「でなければ、本気で止めるよう進言いたさねばならなくなりますが」

 真っ直ぐに見返して言う重綱にしばし沈黙した後、政宗は嘆息した。

「あぁ、この馬鹿真面目、本当にどうにかならんものか」

「殿の頭が軟らか過ぎるので、丁度良い按配かと」

 重綱は視線を碁盤に戻して一手を打つ。だがそれを見た政宗がにんまりとした。

「ほぅ………少し安心したぞ?」

「何がです?」

 ぱちりと政宗が打ち、重綱はしまったと思った。

「動揺したな? 小十郎?」

「……………………殿のように心臓に毛は生えていないもので」

 形勢が逆転されてしまった碁盤に目を落とし、重綱は集中力を欠いた一手を悔やんだ。

「そういうことならば、まぁ、焦ることはないか。阿梅はまだ子供であるしな。ゆっくり考えろ」

「また、そのようなことを」

 内心では棚上げされたことに安堵しながら重綱は碁石を置く。政宗はすぐに打ち返した。

 今度は重綱が考え込む番だった。

「しかし、阿梅をむやみに余所へやるわけにはゆかぬからな。黒脛巾組となっても、そう根が変えられるわけがない。真田衆だった者達にはあの娘の存在が必要だ」

「それは分かっております」

 慎重に碁石を置く重綱に政宗は釘を刺した。

 黒脛巾組に取り込んだ真田の者達は忍びとして優秀だった。

「さすが、源次郎の下で働いていた者達よの。目も耳も、鼻も良いときている。まったく儲けものだ」

「聞いておりますか」

「籐五郎からな。お前の働きも合わせて」

 成実から政宗に報告されていたと知り、思わずぴたりと動きを止めてしまった重綱だったが。

「なかなか上手くやっているようじゃないか」

 かけられた言葉にほっとする。それをにやにや笑うと、政宗はぱちりと打った。

「これからも頼むぞ、小十郎」

「――――心得ております」

 打ち返した重綱の手に政宗は少し考え込んでから打つ。

「お前には今以上に西の動向を把握してもらうことになりそうだ」

「西ですか。しかし、豊臣家が滅びた今、もはや西も徳川の勢力下になりましょう」

「だからだ。西の動きしだいで、交易は諦めねばならぬやもしれぬ」

「使節団のことですか」

 碁石を置きながら重綱は意外に思った。

 現在も進行中の、交易開拓である慶長遣欧使節団は政宗が力を入れてきた計画だ。西にある長崎や平戸は、諸国との貿易で莫大な利益を上げていた。政宗は奥州にもそうした港を作ろうとしていたのだ。

 豊臣家の勢力が根強い西だけでなく、東にもそうした港を確保しようとしていた徳川幕府と、その思惑は戦の前までは一致していたわけだが。しかし豊臣家が滅んだ今となっては、この計画は徳川幕府にとってむしろ危険な案件となっている可能性が高かった。

「気は進まぬが、吉利支丹キリシタンの処罰も考えねばならんだろう」

 政宗はスペインとの貿易を見据え、キリシタンを積極的に匿っていたが、それすらも幕府に睨まれる要因になるだろう。

 政宗は苦々しい顔で碁石を打った。

「信仰心まで縛ろうとは、傲慢だがな」

 しかし、信じる心というものが侮れないことも政宗は熟知している。

「表向きではあるが、徳川から突かれぬ程度には対処することになろう。なるべく穏便にすませたいが、そこら辺りの調査も含めてお前や籐五郎には働いてもらうことになる」

「承知いたしました」

 時代は直接的な戦から情報戦へと移りつつある。黒脛巾組を強化できたことの意味は大きい。

 そしてその組織の歯車を、重綱が担ってゆくことの意味も。

六右衛門ろくえもんが無事に帰ってくると良いが」

「そうですね」

 思わず、といったように零した政宗に、重綱は同意しながら碁石を置いた。

 慶長遣欧使節団の指揮をとっているのは長らく政宗に仕え尽くしてきた支倉はせくら常長つねながだった。今ごろ彼は、政宗からの書状を携え、宣教師のソテロと共に海を渡りローマを目指しているだろう。

 その旅は困難の連続であるに違いない。たとえ交渉が上手くいかずとも、無事に帰ってきてくれたならと願う政宗の心境は重綱にも分かる。

「世は移ろう。当たり前のことではあるがな。であるからこそ、人は信じられるものを欲する」

 着実な一手を打ってくる政宗に、重綱は薄々、これは負けるだろうと予想した。

 あの集中力を欠いた手が、後々に響いていた。対して政宗は騒ぎはするものの、常に平静な手である。

「殿には必要ないものでしょう。信じられるものなどなくとも、殿は今のままかと」

 苦し紛れの一手を打った重綱に、政宗は意外なことに苦笑いをした。

「わしはとっくに手に入れておったからな。それがなければ、どうなっていたやら」

 そして、ぱちりと碁石を鳴らして政宗はニヤリと笑う。

「そろそろ降参したらどうだ、小十郎?」

「…………いいえ、まだ分かりませんよ」

 眉間にしわを寄せながらまだ足掻く重綱を見やり、ふいに政宗が感慨深そうに呟いた。

「本当に、小十郎がいなかったら、わしはここにおるまいよ」

「我が父が、殿の信じられるもの、ですか」

「いいや。小十郎だ。それに籐五郎、左衛門さえもんに六右衛門、めごもか。

 信じられるもの、信じねばならぬもの。わしはとっくの昔に、それを教えられた。喜多にな」

「伯母上に」

「信じられるものがあったから、わしはここにいる。そして今、小十郎はお前なのだからな?」

 何度も生死を彷徨った幼い頃、政宗の傍にいたのは喜多であり景綱だった。政宗は仕え尽くしてくれる者を信じたのだろう。

 そしてそれは――――重綱にも向けられている。

「分かっております」

 重綱はぱちりと碁石を置いた。

 政宗は「ほぅ」とその手を見やり、満足げに頷く。

「その意気だ、小十郎」

 信じられている。その心に応えねば、と、重綱は思った。

 しかしその志は、まだまだ甘いものだったのだと後に重綱は思い知ることになる。

 世は移ろう。変わってしまう。同じではいられない。

 そうした事象を魂の底から知ることになるなど、この時の重綱には浅はかにも、考えられずにいたのだった。











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