第5話 武士に二言はない


 夜半頃、ようやく重綱が陣屋へともどってきた。阿梅は寝ずにそれを待っていた。

 小屋に入った重綱は、正座して待ち構えていた少女にかける言葉が分からなかった。

「ご無事でなによりでございます」

「う、うむ」

 板の間に上がった重綱を真っ直ぐに見て、阿梅は静かな声音で尋ねた。

「戦は、終わったのですね?」

「………………ああ」

「小十郎様、私は大丈夫です」

 けして反らされることのない阿梅の瞳に重綱は舌を巻いた。これが十二の少女がする顔だろうか。

 重綱は阿梅が大阪城の燃える様を見ていたと、すでに聞き及んでいた。だというのに、彼女の顔に涙のあとはもうない。

 厳しい現実を受け入れ、その先を考えようとしている者の目だった。

(なんという胆力)

 重綱は阿梅をまじまじと見ると、息を吐き出し彼女の前に腰を下ろした。

「戦は決した。大阪城は落城。そなたの父君、左衛門佐さえもんのすけ殿は四天王寺近くで討ち取られたと聞く」

「…………………お聞かせくださり、ありがとうございます」

 阿梅は少しだけ俯いたが、やはり泣きはしなかった。それにまた感服しながら、重綱はこれからのことを阿梅に伝えた。

「我々は直ちにこの地を離脱する」

「それは………………北に帰るということでしょうか?」

「いや、一旦、京に向かう。殿は早々に引き揚げるとおっしゃられていたが、それにも準備が必要だからな」

 片倉小十郎重綱が仕えているのは北の地、奥州を治める伊達家だ。東北でも比較的、南の地の白石を任されている片倉家だったが、それでも故郷は遠い。

 負傷した兵も休ませねばならないし、物質の調達も必要だった。よって、まずは京を目指す。

「分かりました。では、すぐに出発なのですね」

「そうなる」

 阿梅は当然、片倉隊と共に行くつもりだった。躊躇いのない口調の阿梅に重綱はしばし思案した。

 もちろん重綱も阿梅を一緒に連れていく気ではある。が、移動するとなれば、いつまでも姿を隠してはいられない。

 だが、そこは阿梅に考えがあった。

「小十郎様、私に男子おのこの装いをくださりませんか? 例えば、小姓こしょうのような」

「成る程。変装か」

「はい。幸い、私ならば気付かれる心配も少ないかと」

 何せ、阿梅の身体は女性の丸みをまだ帯びていない。

「よし、準備させよう」

「ありがとうございます」

 重綱はすぐ兵に言い付け、男子の衣裳を用意させた。とはいえ、急なことなので粗末な着物しかないのだが。

「こんなものですまん」

 謝る重綱に阿梅は首を振った。

「周りに馴染まなくてはいけませんから、この方がよいでしょう。綺麗では目立ってしまいます」

 うぅむ、と、重綱は唸った。

 しっかりし過ぎている。聡いのは良いが、あまりに子供らしくない阿梅に、重綱は少しばかり心配になった。

(仕方のないこととはいえ、気を張り過ぎた後が怖いな)

 何かの拍子に、ぷつりと張り詰めているものが切れてしまったら。いや、それより前に身体が参ってしまうかもしれない。

(私が預かったのだ。しっかり面倒を見てやらねば)

 とは思うものの、こんな戦場に女子おなごがいるなど、想定したこともない。

「小十郎様? どうかなされましたか?」

 考え込んでしまった重綱に阿梅が首を傾げる。

「………………いや、何でもない。用意はできたのだから、明日に備えて、もう寝るか」

 そこで重綱は、はっと今朝の出来事を思い出した。

 一緒の部屋で寝るのはいいが、あれは困る。断じて重綱は阿梅に不埒ふらちな行為をするつもりはない。だから、なおさら困る。

「うむ、寝るのだがな………………昨夜のようなことはだな」

 すると阿梅がぱっと頭を下げた。

「あのようなことは、二度といたしません」

 その阿梅の姿勢に重綱は「分かったのなら、もう頭を下げずともよい」と声をかけ、おずおずと顔を上げた阿梅に微笑みかける。

「さあ、明日は動かなくてはならないからな。もう休め」

「………………はい」

 幾分か安堵したような阿梅を確認すると、重綱はさっさと横になった。明日も働かねばならない。寝転がった重綱は昨夜同様にするりと眠りに落ちた。

 そして阿梅はというと、昨夜と同じ距離に身体を横たえながら、まったく違う気持ちで重綱の寝顔を見つめていた。

 絶望的な状況下。重綱の傍でなければ、こうして眠ることもできなかっただろう。いや、生きてさえいれなかったかもしれない。

 重綱の優しさを噛み締めながら、阿梅は目を閉じた。すると阿梅は、寝付けなかった昨夜と違い、驚くほどすんなりと眠りに落ちていった。




 翌朝、目を覚ました重綱は、隣で着物を着たまま、すやすやと眠っている阿梅にひとまず安堵し、それから彼女を起こさないよう、そっと小屋を出た。出発まで、まだ時はある。彼女を寝かせておいてやりたかった。

 重綱は幾つかの指示を出し、自身も撤収の仕事をこなした。そうしていた重綱に―いや、片倉隊に―衝撃をもたらしたのはあの少女、阿梅だった。

「小十郎様! 私に手伝えることはありますか?」

 走りよってきた彼女に、周囲は目を見張った。それは重綱も例外ではない。

「あの、この姿は、やはり変ですか?」

 阿梅は不安そうに言ったが。

 彼女の姿は、粗末な男子の着物を身につけ、ご丁寧に手足や顔までを泥で汚し、さらに長かった髪は頭のてっぺんで結わえるくらいの長さに切り落とす、という、どこからどう見ても男子のものだった。

 隊にいたとしてなんの違和感のない小姓姿に周りは驚愕した。何と大した女子だろう。髪まで切るなんて!

 だが重綱は険しい顔をすると、近くにいる兵に己のしている仕事を任せ、「少しこい」と阿梅の手を掴み小屋へと連れ戻した。

「えぇと、やはり変で」

 重綱は阿梅の言葉を遮り、低い声で言った。

「持っているやいばを出せ」

 見る間に阿梅の顔から血の気が引いた。そしてすぐさま、その場にひれ伏す。

「けして、貴方様を傷つけようなどとは」

「そんなものは分かっている!」

 重綱の怒鳴り声に阿梅はびくっと身体を震わせた。

 その怯える様に罪悪感を覚えるも、重綱に口調を改める気はない。

「そなたが私に刃をむけて、何の益があるというんだ。それは―――その刃はそなた自身にむけるものであろう」

 阿梅は顔を伏して黙ったままだった。

 重綱は分かっていた。彼女が答える言葉を持ち合わせていないことを。

「出すんだ」

 差し出された重綱の手に、阿梅は震えながら、隠し持っていた懐刀を差し出した。

 重綱はそれをじっと見つめ、それから阿梅に尋ねた。

「そなたは、武士に二言はない、という言葉を知っているか?」

 何故そのようなことを聞くのだろう、と、分からず黙ったままの阿梅に重綱は教えた。

「一言、それだけで完結する、ということだ。

 そなたの父君が私に、頼む、と言った。私は、応、と返した。ならば、それはもう翻らない。それが武士というものだ」

 阿梅の震えが止まった。

「よいか、阿梅。私は必ずそなたを守る。必ずだ。だから、この刃は必要ない。分かるか?」

 重綱が何に怒っているのか、それが分かり、阿梅の胸は熱くなった。

「はい! 二度と、二度と! 己に刃をむけるようなことはいたしません」

「髪の毛一本たりとも、だぞ」

「はいっ!」

 阿梅の返事に重綱はようやく顔を緩ませた。

「これは、そなたが大人になるまで私が預かっておく。…………父君の形見であるしな」

 どこまでも優しい重綱の言葉に阿梅は泣きたくなった。むろん、泣くわけにはいかないので、乱暴に顔を擦って誤魔化した。

 だが阿梅のその仕草に重綱が慌てた。

「こら、待て待て。そんな風に擦ると泥が目に入るぞ」

 そう言うと重綱は自分の袖で阿梅の顔の泥を拭う。

「まったく、派手に汚したな。そなたには驚かされてばかりだ」

 重綱はちょいと指で阿梅の頬を突くと、「ははっ」と声を上げて笑った。

「どう見ても男子だな。似合っているぞ。名前は、そうだな、風太ふうたとでも呼ぶか」

「風太……………あ、東風こち吹かば」

 その名は古い和歌を思い起こさせる。

「安直か?」

「いいえ。風太でかまいません」

 顔をしっかりと上げた阿梅に重綱は「うむ」と頷いた。

「では、風太。朝飯を食べたら仕事だ。容赦はしないぞ。しっかり励め」

「はいっ!」

 そんな阿梅の顔を見やりながら、重綱は考えた。

 この少女に関して気を付けねばならないことは山程ある。だが彼女自身が自ら命を絶つ危険は遠ざけることはできた。

(少しずつでいい)

 彼女の懐刀を預かったように。少しずつ信頼を積み上げ、阿梅を導いてゆくのだ、と。

 それがどれ程、難しいことだとしても、重綱には諦めるという考えは欠片もなかった。







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