第2話 鬼の小十郎


 重綱しげつなは何とも言い難い高ぶりに、陣屋じんやのなかで、そわそわと立ったり座ったりを繰り返していた。

 その姿はまったくもって、武将にあるまじき落ち着きのなさだ。しかし、そうと己で分かっていても、どうにもならない。

 この高ぶりは、今まで感じてきたどんなものとも違う。命のかかった戦でさえこんな心地になったことなどない、何とも言えないものなのだ。

 ふーっと長く息を吐き出した彼は、此度こたびの戦で―後に「鬼の小十郎」とまで呼ばれる程の―凄まじい奮闘ぶりを見せた片倉かたくら小十郎こじゅうろう重綱しげつな、その人だ。

 しかし今は、あまりに予想外過ぎる出来事に右往左往するしかない、単なる三十路みそじ過ぎの男でしかなかった。

 そんな重綱のもとに、一人の兵が走り込む。

「殿よりご返答、たまわりましてございます!」

 差し出された文をひったくるようにして受け取ると重綱は素早くそれを広げる。が、それは目を走らせる必要もないほど、簡潔なものだった。

『お前の好きにしろ』

 それはもう、あっさりと、そんな内容が記されているだけ。

 重綱は頭を抱えたくなった。

(殿は現状をきちんと把握して……………いや、把握ずみでこのようにおっしゃられているのか?)

 下手をすれば伊達家を巻き込み、徳川から謀反の疑いをかけられかねない事案だというのに!

(私に判断をゆだねると?)

 苦悶の表情を浮かべて重綱は主君、伊達だて政宗まさむねの真意を読み取ろうと、視線で穴でもあけようかという勢いで文を睨みつけている。

 しかし何故だろう、そこはかとなく感じられるのは、主君の面白がっているような気配なのだが……………。

 戦の真っ最中に、家臣の慌てふためく様を面白がりたいが為に、このような文をよこしたというのか。

(…………………殿ならばやりかねん)

 しかし、どう読み解こうと、決断が己にゆだねられていること以外、そこに見いだせるものはない。

 重綱は再度、ふー、と息を吐き出すと、低い声で兵に命じた。

「彼の者達を、ここへ」

「はっ!」

 文をたたみ懐へ入れると、重綱はそこに座して待った。

 しばらくした後、二人の男性に伴われた女性―いや、その小さな身体は子供、少女と呼ぶべき者―が、連れられてきた。

 重綱はまず二人の男にむかい、はっきりと告げた。

「真田殿の頼み、この片倉小十郎が請け負うた。彼の御人には、そうお伝え願おう」

 二人の男はほんの僅かに目を見開いたが、さっと陣屋のたたき場に膝をつくと、額を地面に擦りつけんばかりに平伏した。

「かたじけのう、ございます」

「まこと、片倉様のお慈悲に感謝いたします」

 男達と並び、少女も地面に手をついて、深々と頭を下げる。

 そうなるのも無理はない。

 戦の最中でありながら、まさか敵陣に子供を託すなどという決断をするなど、まずもって信じがたいことだが。しかしそれを、こうもはっきりと「請け負う」と明言することもまた、とんでもない決断だった。

 だが重綱は主君、伊達政宗に決断をゆだねられたと分かった時、心を定めた。

 あと一歩、届かなかった強者、真田信繁に。あの名だたる武将に!

『その方を見込んで、お頼み申す』

 とまで伝えられてしまっては。応えたい、と思ってしまったとして仕方がないというものだろう。

「そのようにされずともよい。おもてを上げられよ」

 重綱が柔らかな声でそう言えば、三人は顔を上げた。

 その時、内心、重綱はあらわになった少女の顔に動揺した。

(美しい)

 少女の顔は、その身体つきと同じくまだ幼さを残していたが、怯まず重綱を見つめ返す瞳はやいばの切っ先に似ており、真っ直ぐな姿勢は凛とした鈴の音さえ聞こえてきそうな雰囲気があったからだ。

「そなたが」

 思わずこぼれ出た重綱のそれに、少女は視線を下げることもなく口を開いた。

「はい。――――真田さなだ左衛門佐さえもんのすけ信繁のぶしげが娘、阿梅おうめにございます」

 澄んだ声音に思わず気圧されそうになる己を叱咤し、重綱は少女に頷いた。

「そなたの身は私が預かろう。何分なにぶん、戦が決していないがゆえ不便をかけるが、しばらく辛抱してくれ」

 少女の目がほんの少しだけ驚いたように見えた。が、それも一瞬のことだ。

「片倉様のご慈悲に、感謝いたします」

 再び頭を下げる少女は、もう一人前の、武将の娘たる姿だ。

 その小さな肩に背負っている重荷はいかばかりか。重綱は憐憫れんびんを感じずにはいられなかった。






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