第14話 犯人はわし? ちゃうわ!

「阿部さん!」


 ソバカスが叫んで、床に這いつくばってアホの顔を覗き込んだ。


「わ、わ、どうしよう。息してない。心臓マッサージしなきゃ。誰か、AED持ってきて!」


「AEDなんかうちにない。それに、もう無駄だ」


 タマちゃんが、アホとソバカスを冷たく見降ろして言った。


「それは、生きている人間の顔色じゃない。百パー死人だ。胸を押さえての突然死となると、きっと、大動脈瘤破裂かなんかだろう」


「そんな。阿部さんまだ、二十二ですよ」


「おれに逆らったから、天罰でも下ったか……いやいや、これはほんのジョーク。そんな恐い目でボクを見ないで」


 タマちゃんが黙るとシンとした。たぶん、みんなの胸には、おんなじ想いが渦巻いとるやろう。


 これは殺人だ。


 病死なんかじゃない。きっと毒殺。カプセルかなんかに毒薬を入れて呑ませ、そのカプセルがゆっくりと溶けて、たった今、アホの心臓を止めた。


 犯人は、変態オヤジをやったんと同一人物。つまり、連続殺人や。


 とすると――


「タマちゃん、もう、店の営業はあきらめたほうがええで」


 わしは、こうなったらハッキリ言うたれ思って言った。


「おんなじ夜に、一人が溺れ死んで、一人が突然死するなんて、そんな話誰も信じんで。あそこはおかしい、縁起でもない店やって、みんな言いまっせ。それにな」


 大きく息を吸って、続けた。


「犯人は、店のモンにちがいない、そういう噂も立つやろな」


「なにい」


 タマちゃんが、目玉をギョロリとむいた。


「貴様、なにを根拠にそんなことを」


「根拠でっか? 今のポックリやがな。こんなもん、一服盛られたに決まっとる。そうすると、とても行きずりのサイコの仕業とは思えん。ここにいる誰かが、毒薬を用意して、アホの飲み物か食べ物に混ぜたんや」


「ちょ待てよ!」


 ソバカスが血相を変えて立ち上がり、キムタクみたいに言った。


「そんなこと言ったら、おれっちが疑われんじゃん。行きずりの女にハルシオン盛って悪さすんのは、おれっちの得意技なんだからさ」


 タマちゃんと古参兵が顔を見合わせて、ソバカスに詰め寄った。


「今のは本当か、永作」


 そう言った古参兵の唇は、怒りのせいか、わなわな震えとった。


「言え。ハルシオンはどこで手に入れた」


 ソバカスは、不満そうに口を尖らせた。


「ちぇ、なんだよ。主任、いつから刑事になったのさ」


「さっさと言え! 言わなかったら、本物の刑事に突き出すぞ」


「はいはい。じゃあ言いますけどね、おれっちの付き合ってるのがナースで、そいつに頼んで流してもらったんです。おれっち不眠症だからって言って。でももらったのは、ハルシオンだけっすよ。毒薬なんて、そいつの勤めてる病院にもないっしょ」


「わからんぞ」


 今度はタマちゃんが言った。


「こっちの世界は管理が甘い。手ちがいに手ちがいが重なって、布袋並みのポイズンが病院に置かれてたのかもしれん。もし、阿部が毒を呑まされたんだとしたら、貴様しかやりそうなやつはいない。それが普段やり慣れた方法だからな」


「なに言ってんすか!」


 ソバカスが絶叫した。


「おれっちがいちばん仲が良かったんすよ! なんで阿部さんを殺すんすか」


「かわいさ余って憎さ百倍。仲がいいからこそ、ボタンのかけちがいで殺意も生まれるってもんだ。親が子を殺し、妻が夫を殺す。親友殺しなんて平凡パンチだ」


「オーナーは狂ってる」


 ついにソバカスは泣きだした。


「キチガイ。バカ。ちんば。乞食。玉袋筋太郎!」


 コンプラ違反の連続攻撃や。タマちゃんは、ぐっと踏みこたえると、


「そっちのタマちゃん呼ばわりだけは許さん。言い直せ」


「わかったよ、こんちくしょう。精神障害者。頭の不自由な人。足の不自由な人。ホームレス。知恵袋賢太郎!」


「なにが知恵袋だ、この東ブクロめ。そんな改名考えたやつはぶっ壊してやる」


 醜い悪口合戦に、わしもええかげんうんざりしてきた。


「なあ、タマちゃん。まだ独身の若者つかまえて、東ブクロ言うたらアカン。もう知恵袋でええやないか」


「しかし、いくらなんでも賢太郎は……」


 悔しそうに唇を噛んだ。するとソバカスが、


「いちばん怪しいのは、そこの二人じゃないか。あいつらを雇ったとたん、こんなことが起きたんだぞ!」


 と言って、わしらに指を突きつけた。全員こっちを向いた。わしもイッチも、とっさになんも言い返せんかった。


 もちろん、わしらは犯人やない。だから、そんな可能性を云々されても時間の無駄やとわかっとる。せやけど、「やってません」言うてもなんの証拠にもならん。


「ぼくはやってません」


 イッチがストレートに言うた。しらけたムードが漂う。


「あのな、イッチ」


 わしは考え考え言った。


「今まで平和やった職場に、わしらが来たとたん連続殺人事件が発生した。これは事実や。怪しい思われてもしゃーない。だからわしらには、無実を証明する義務がある」


「アリバイ、ってこと?」


「そのアリバイがないんや。変態オヤジの変死の第一発見者はわしらや。非力なわしらでも、二人がかりで押さえつけたら、洗濯機で人を溺れさすことも不可能やない」


「でもやってないじゃん」


「それにやな、朝のコーヒーに始まって、今日の食事の支度をしたのもわしらや。アホの口に入れるもんに、なんでも混ぜ放題やったわけや」


「……混ぜたの?」


「やっとらんわ! あんたがわし疑ってどないすんねん。困ったな。どう言ったら怪しゅうなくなる?」


「ぼくたちには動機がない」


「そんなもん、みんなかてない言うやろ。だいたい世の中の殺人かて、まともな動機なんてほとんどないがな。なんで人様殺してんねん、アホか、いうもんばっかや」


「太陽のせい、とかね」


「誘惑に負けてしまいましたとか、耳にタコができたからとかな。だからこの際、動機はどうでもええ。誰に機会があったかや」


「ぼくたちにはあった……ねえ、ユエナ。自分で自分の首絞めてない?」


「そやねん。なんかうまい弁明はないかな」


 わしは必死で考えた。わしとイッチが犯人じゃない証拠、みんなを納得さすような釈明を、どうにか捻りださんと――


 と、またしても、頭ん中に妙な考えが降りてきた。


 ここは夢や。現実とはちがう。なにがちがうかはわからん。でもなんとなく感じるのは、ここは現実より、どっか芝居っぽいちゅうことや。


 レイに眠らされて、目を醒ましたら別の世界にいた。まるで劇の中に突然放り込まれたみたいや。要するに、当たり前やがここには現実感がない。


 現実なら、殺人の被害者になることもあるやろう。冤罪で捕まることもあるやろう。自分には理不尽なことが起こらない、ちゅう保証はどこにもない世界やから。


 劇ならどうか。多少理不尽なことはあるかもしれんが、中途半端で意味ないことは起こらん気がする。もし、仮に、これがミステリー劇だとしたら、わしらが犯人っちゅうのはどっか納まりが悪い。わしらの役どころは、たぶんそこやない。


 もし、これが劇なら――


 あ、そうか。


 そういうことか。


 こいつは劇なんや!


 劇やったら、意味がある。


 わしは今、人生を生きとる。それは、わしにとって、自分を主人公にした劇を演じとるのとおんなじことや。


 なら、そいつをどういう劇にしたいか。主人公が途中で死ぬ? 殺人犯になる? そんなんアカン。もっとおもろい劇にすんで。


 意外な結末。驚愕のトリック。そういうもんはちっとも思いつかんけど、


《茫然の結末。爆笑のトリック》


 なら、わしにもなんとかできそうや。


 わしは、自分が主役の劇を生きとる。そうなら、もっともっと主人公を大切にせな。途中で死んだり、悪者になったりしたらイカン。そんな劇はつまらんし、意味がない。人生は、劇にしてこそ意味がある。


 もし、現実が、理不尽に殺されだり、冤罪があったりする世界でも、わしはそん中でもう一つの世界を生きる。そこではわしが主人公じゃ。負けへんで。ヤなこと全部ふっとばして、逆転して、意味ある劇にしたる。だからわしは、絶対犯人やない。イッチもそうや。わしの人生にとって大切だから、イッチも絶対犯人じゃないんじゃ!


「わかったで、イッチ。わしらは犯人やない」


 みんな不思議そうな顔をして、わしを見つめた。わしの声に、深い確信がこもっとったからやろう。


「よう聞いてくれ。わしらは主人公じゃ。だから途中で殺されることもないし、ましてや犯人やない。この殺人事件の謎を解く側なんや」


 見事にキョトンの空気が生まれた。わしは焦らずに続けた。


「そらな、主人公が実は犯人でした、いうミステリーもないわけやないで。しかし、そいつはアンフェアや。マッサージ館の殺人っちゅう、本格っぽいタイトルで、アンフェアはまずいやろ。島田潔と江南なんちゃらは絶対犯人やない。そやろ?」


「ごめん、ユエナ。やっぱりなに言ってるかわからない」


「じゃあ訊くがな、イッチはおのれの人生を、どう思ってんねん」


「……?」


「自分が主人公ちゃうんか」


「……人生を、ドラマと考えたらってこと?」


「そうや」


「そうだね。主人公かもしれない」


「せやったら、途中で退場したらアカン。とことん劇を生きるんじゃ。なにがなんでもハッピーエンドを目指したれ」


「それが、ぼくたちが犯人じゃないっていう証拠?」


「おう」


「むちゃくちゃ弱くない?」


「信じきるんじゃ。主人公は死なんし、卑劣な犯人にもならん。事件を通じて成長し、ラストには希望を見出す、ってな。せやなかったら、ここへ来た意味がない」


「いくら信じたって、いつかは死ぬでしょ」


「その弱気がイカンのじゃ。わたし、なんだか死なないような気がするんですよーって、阿部知代も言うてたやろ」


「それは宇野千代でしょ。とっくに死んだけど」


「揚げ足とんな! あっこまで生きたら大勝利や。とにかく気合じゃ。気合じゃ気合じゃ気合じゃ気合じゃ気合じゃ気合じゃ気合じゃ気合じゃ気合じゃあー、ゴース」


「うるさいな! さっきから、なにゴチャゴチャ言ってんだよ!」


 ソバカスが、ザコキャラのくせにマジギレしてわめいた。


「なにが主人公だよ。そんだったら、おれっちだって主人公じゃん。そう言い張ったら、犯人じゃないって認めてくれんのかよ」


「兄さんは、どんなタイトルのドラマを生きてんねん」


「タイトル? そうだなあ……永作くんのちょい悪伝説、かな」


「犯人っぽいな。後半の舞台は刑務所がお似合いや」


「ふざけんなよ! もう前半で入っちまったよ」


「兄さんも、一発逆転目指したらええねん。わしは主人公やってとことん信じたれ」


「うーん、おれっちは、どうせなら悪のヒーローになりたいなあ。完全犯罪やって、最後まで捕まらないの」


「やっぱしあんたは最有力容疑者や。でも待てよ、そんなミステリーちっともおもろないなあ。誰が犯人やったら意外でおもろいか……」


 古参兵、タマちゃん、サンマルチノと、順繰りに顔を見た。タマちゃんとサンマルチノには、変態オヤジの殺人に関してはアリバイがある。そこが逆に怪しい。いちばん意外でアリバイのあるやつが、この場合は正解――


 ん?


 おかしい。どこにもマッカーサーがおらん。


「戦争好きの姉さん、どこ行った?」


 みんなも気づかんかったらしく、まわりをきょろきょろと見た。


「トイレにでも行ったかな。そのうち帰ってくるだろう」


 古参兵が言うと、サンマルチノが首を振り、


「ちがうわ。わたしと一緒に二階へ行ったあと、降りてきてないのよ。まだ山岸さんのそばにいるのかも」


「だとしたら遅すぎる。花畑、見に行ってこい」


 タマちゃんがそう言ったとき、わしの脳裡に、マッカーサーがランボーみたいに、サバイバルナイフを持って待ち伏せしとる絵が浮かんだ。


 そうや。腹減ったとか言って、夜中に食堂に忍び込んでたマッカーサーこそ、いっちゃん怪しい。そこそこ意外性もある。


「一人で行くのは危ない。行くならみんなで行こ」


 わしの提案で、みんなで一列になって階段を昇った。先頭は古参兵で、最後尾にはピーピー鳴きながらとおるちゃんがついた。


「電気点けろ。サイコが隠れてる可能性もあるからな」


 タマちゃんの命令で、古参兵が廊下の灯りを点け、洗濯室を覗いた。変態オヤジの死体があるだけで、マッカーサーはいない。


「クミちゃん」


 呼びながら、サンマルチノがトイレを見た。が、ここにもおらん。


「食堂で、パン食ってないかな」


 わしが言うと、タマちゃんが食堂のドアを開けた。ここの灯りは最初から点いとる。


「あっ!」


 サンマルチノが叫んだ。その瞬間、わしにも見えた――マッカーサーが、冷蔵庫のそばにうつ伏せに倒れとるのが。


 真っ先に駈け寄ったサンマルチノが、マッカーサーの身体を揺すった。しかし反応はない。仰向けにする。顔が見える。サンマルチノが悲鳴をあげた。


 マッカーサーの顔は、土色に変色し、すっかり干からびていた。

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