第2話 夢ん中へ行きまっせ

 おもろいことになりそうや。


 幾野セリイちゅうのは、スズメみたいな女や。そこらになんぼでもおって、誰も気にせえへん。なに食って生きてんのかもしらん地味な鳥や。


 対する玉城レイは、クジャクや。われこそ鳥の中の鳥っちゅう顔して生きとる。まあ、クジャクはきれいかもしれへんけど、ホンマは凶暴やで。性格も悪いしな!


 クジャクはイッチが好き。イッチはスズメが好き。ほんでもって、クジャクはスズメのことが元から嫌いや。この火種には、ぜひとも薪をくべてやらなあかん。


「わしの見るところ」


 放課後、一ノ瀬イッチに言うたった。


「セリイの失踪には、レイが一枚噛んどる。あの女、怪しげな術使いよるからな」


「術?」


「秘密のツボがあるんじゃ。寝かせる言うて、そいつ押したんやな。したら消えてもうた」


「……そんなこと、ある?」


「わしに訊かんと、本人に訊いたれ! 二人っきりで、秘密の話したいんですけどー言うねん。そしたらあの女、うん聞く聞くー言うで」


「どうかなあ……さっき、ものすごいにらまれたけど」


「なんや、知っとったんか。あれこそ証拠や。乙女心の裏返しやな。わし、ホームズの生まれ変わりでんねん。名探偵の言うこと信じたらよろし。早よ行け!」


 わしは帰るフリして、ドアの隙間からこっそり見とった。イッチはしばらくおろおろしとったが、そのうちレイが一人になると、


「あのー、ちょっと……」


 わし、地獄耳やから、あんなすかしっ屁みたいな声でもちゃーんと聴こえる。


「えっ、あたし?」


 ビンゴや。あのクジャク、羽広げて今にも飛びそうな顔しよったで。


「二人っきりで、秘密の話をしたいんですが」


「ふた……ちょ、ちょ待ち」


 レイのやつ、頭おかしくなりよったんか、突然うろうろしだすと、教室に残ってたやつらの尻を浣腸よろしく突いてまわった。


 するとみんな、オカマのコソ泥みたいなかっこして帰ってもうた。


「便所……じゃなくって、トイレに行きたくなるツボを押したの。テヘッ。さあ、これで二人っきりよ」


「すごいですね。術、使えるんだ」


「やだもー、イッチくん、術なんかじゃないわよー。ただのモミ」


「そのモミを、幾野さんにも使った?」


「……幾野?」


「ほら、急にいなくなったじゃん。カバン置いて。だから、トイレに行きたくなるツボが効きすぎて、まだ止まらないんじゃないかって――」


「なんやわれ」


 ん? なにやら急に、雲行きが怪しゅうなったで。


「あのスケがどないした言うねん。わしと話がしたいんちがうか」


「だからその、幾野さんのことを……」


「その名前をわしの前で出すな! むっちゃ嫌いやねん。あのあばずれ、わしのこと、シカトしよったからの」


「だってそれは、サイレントだから」


「わしにゃ通用せん! なんやコラ、あの極道の肩持つんかい」


「それは、クラスメートだからさ。消えたら気になるじゃん」


「じゃん? われ、ええ根性しとるの」


 クジャクの本性モロ出しや。太いタマやで、正味。


「冥土の土産に聞かせたるわい。あん極道は、この世から消したんや。あいつに気ィあんやったら、われもあっちへ送ったるで」


「え、マジ?」


「当たり前じゃい。こいつはホラちゃうで。あれが口利かんのは、この世のなんもかもが嫌んなったからじゃ。そやろ? だったら、消したるのが親切やないかい」


「――殺ったの?」


「ドアホ! わしは手は汚さん。ツボは万能ちゅうこと、われ知らんのけ」


「ツボ?」


「そや。人間は、頭の先から尻の穴までツボだらけや。それを、どの順番で、どんくらいの強さ、角度で押すか、その組み合わせは無限や。せやから、引き起こせる現象も無限なんじゃ。記憶をなくすことも、半身不随にすることも、一年じゅうハッピーなピーポーにすることも、煙みたく消すこともできる。わしの親父はそれを研究開発したから、マスター呼ばれてんねん。マスターいうんは、世界に三人とおらん」


「すごいんだね」


「おう。われも、幾野がどうとかぬかさんかったら、わしと結婚するツボ押したってもよかったんや。ホンマやで」


「それはいいけど……この世から消えたら、どこに行くの?」


「そんなもん、夢ん中に決まっとるがな」


「夢? 夜見る、あの?」


「夜でも昼でもええ。あん夢が、もう一つの世なんよ」


「へえー、知らなかった」


「勉強なったろ?」


「それで、幾野さんは、いつ夢から帰ってくるの?」


「はあ? 日帰り温泉旅行ちゃうで。そんなもん、行ったきりやがな」


「というと?」


「片道切符の旅や。夢から帰ってきたやつなんぞおらん」


「そうなの?」


「考えてみい。日本だけでも、毎年八万なんぼが行方不明になんねんで。そのうちどうしても見つからんのが、だいたい千人くらいおる。その何割かはあっちに行ったんや。せやけど、夢から帰ってきた体験談なんか、一個も聞いたことないやろ? ジャングルから帰ってきたおっさんはいるけど」


「じゃあ、幾野さんも?」


「おんなじや。でも、ちーともかわいそうなことあらへん。落ちこぼれには、あっちのほうがええんよ。わしは行ったことないから知らんけど、たぶんそうや。この世にいるなら死んだほうがマシいうやつ、なんぼでもおるやろ。あれもそんな感じやった。せやからわし、おまえホンマはこの世から消えたいんちがうかって訊いたんや。したら黙ってうなずきよった。なら消したるわい言うて、秘密のツボ押した。あいつ消えたとき、まわりに人おったけど、だーれも気ィつかんかったで。気にしとんのわれだけや」


 イッチのやつ、しばらく難しい顔して黙っとった。


 と、いきなり決心したいう感じで、


「――ぼくも、消せる?」


 レイがポカンとした。わしも危なく、なんでやねんって言いそうなったわ。


「なんでじゃ」


「ぼくも実は、この世に違和感があるんだ。もしかしたら、そっちこそ、ぼくの生きる場所なのかも」


「イワカンってなんじゃい。アラカンの弟か」


「人生は一度きり。きみと会ったのもなにかの縁。そうだ、ぼくはぼくらしく生きるために、夢の国へ行く」


「デズニーみたいに言うてからに……わし知らんで」


「幾野さんだけミッキーたちと遊んでるなんてズルい! ぼくも行くう」


「ほなら坐り。グッバイ、イッチ。後悔すなよ」


「待った!」


 これ言ったんわしや。ドア、パーン開けたら、二人ともぎょっと振り向きよった。


「ユエナかい。ひょっとしてわれ、盗み聞きしとったんか」


「おう。いやー、まぐれ当たりちゅうもんがあるんやな。セリイが消えたん、やっぱしあんたの仕業やったんか。せやけど、むちゃくちゃおもろそやないかい。わしも送れや」


「気安う言うな。二人やったら、なんや駆け落ちかいうて、警察もまじめに調べんけど、三人消えたらさすがに騒ぎになんで」


「黙っとけばええんじゃ。サツも夢まで調べに来んやろ」


「親父にはバレバレや。わし、怒られてまう」


「済んだことごちゃごちゃ言うなって、ピシっと言ったれ。思春期の娘が親父に負けてどうする」


「それもそやな。ほな坐り」


 イッチと並んで椅子に坐った。


「はいリラックスー、深呼吸してー」


 イッチが目を閉じて、床屋に来たみたいに椅子に寝そべった。消される気マンマンや。


 レイはイッチの正面に立って、両手でイッチの両手を持ち、ゆっくりと指先を揉みはじめた。それだけで、イッチの口がパカンと開いた。


 続いてまぶたにそっと触れる。深い呼吸の音が聴こえてくる。指先が首すじを撫でる。イッチの手がピクピク震える。


 レイがイッチの足元にしゃがみ込んだ。サンダルをずらして、足首のまわりをじっくりと揉む。そのうちイッチが、やたらと大きいイビキをかきだした。


「ユエナ、次はあんたや」


 おんなじことを、レイがわしにやった。やっぱし気持ちええ。さすがプロや。せやけどわし、どないして消えるかどうしても知りたかったから、必死で起きとった。だからレイにくるぶしとか踵を揉まれたときも、意識が遠のきながら、なんとか嘘のイビキでごまかしたった。


「こんでええ。ほんじゃま、お二人さん、さ・よ・お・な・ら。プー」


 レイの熱い手のひらが、わしのどてっ腹の真ん中に置かれた。反対の手はイッチの腹に当てとんのを、薄目で確認した。


 と。


 イッチの身体が、急に透けたようになった。なんやあいつ、前から存在が薄い薄いと思っとったけど、ホンマに薄うなったでと、薄ぼんやりした頭で考えたとき――


 わしの意識も消えた。

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