嵐の前の静寂編
織田家の風雲Ⅰ
四月二十八日 二条城
勝家倒れるの報を聞いた俺はとるものもとらず上洛した。知らせを聞いて駆け付けた者の中では俺が一番遠地だったため、俺が向かったころにはすでに役者がそろっていた。
佐久間盛政・前田利家・佐々成政の勝家家臣たち。
滝川一益・細川忠興・筒井定次(父順慶の病死により跡を継いでいた)・池田恒興・丹羽長秀ら旧織田家臣。
水面下では全く和解していない織田信雄・信孝の二人。
敗北から四国攻め・紀州攻めで再び勢いを盛り返しつつある羽柴秀吉と、東で不気味に力を蓄えている徳川家康。
ちなみに毛利家からは見舞兼情報収集役として小早川隆景も上洛していたが、さすがにこの場にはいない。
勝家が軍事力でどうにか押さえつけていた武将たちは、今まさに鎖から解き放たれる寸前の猛獣のように牙を研いでいた。
「新発田殿が来られたか。主だった面々はこれで揃ったようだ。聞いているとは思うが、とりあえず勝家殿は命に別状はない」
俺が部屋に入ると家康が説明してくれる。それを聞いてとりあえずほっとするが、部屋に渦巻いている異様な空気を感じ取るとそうも言っていられない。
素直に勝家の心配をしているのは最初の三人ぐらいで残りは今後の情勢でいかに主導権を握るか、もしくは勝ち馬に乗るかということに思考を割いているようであった。
「それで今後の織田家はどうなっていくのか」
「とりあえず事実を述べるならば、勝家殿は具体的な名前を出して誰かに任せるとは言わなかった。ただ皆で協力して織田家を助けて欲しい、と」
迂闊に名前を出せば妙な亀裂が生まれかねないという配慮だろう。しかし誰の名前も挙げなかったことで逆に誰もが好機ありと思い込んでいるようにも見える。
もっとも、勝家が何と言おうと力ある者が勢力を伸ばす結果になるのは必定だろうが。
「しかし現実問題として三法師様はまだ幼いし、勝家殿も到底政務が出来る状況ではない。ここは代わりに三法師様を補佐する者が必要だろう」
そう言ったのは信雄である。言っていることは正論だったが、その表情からは自らがそれに適任であるという主張がはっきりと見てとれた。
「信雄様の言う通りだ。勝家殿が復帰するまでの間、暫定で信雄様に三法師様を補佐していただくのはどうか」
そう言ったのは少し意外なことに家康だった。
「それはいかがなものか。勝家殿が皆でと言った以上、我ら織田家臣による合議で補佐すべきだろう」
そう言ったのは丹羽長秀であった。が、そんな長秀も体調が悪いのか表情は蒼白である。おそらくではあるが相当無理をしてきているのではないか。
俺はそれを聞いて何となく構図を察した。織田家臣ではない家康はこのままでは織田家の合議に加わることが出来ない。
そこで親交のある信雄を三法師の補佐に押し立てようとしており、対する長秀は織田家中の問題に家康を入れたくはないのだろう。勝家を除けば現在の織田家に家康に抵抗出来る勢力を持っている者はいないため、どうしても警戒が先に立っているようだ。
「そうだ、信雄殿が単独で補佐するというのは勝家殿の言葉にも反している」
信孝も口を開くが、それを聞いた信雄は冷ややかに口を開く。
「信孝殿は織田家のことよりも前にご自身の領地は大丈夫なのか」
佐和山の戦い後、信孝は前田利家の兵を借りて森長可を従わせ、織田勝長の所領を没収し、斎藤利治を隠居させて息子利堯に跡を継がせた。また、稲葉・氏家といった元美濃三人衆を追放している。しかし長可や利堯は一時的に信孝に従っているだけだし、長らく統治してきた領主が追い出された西美濃の統治も不安定であった。
さらに忍びにもたらされた話によると確証はないが、稲葉良通・氏家行広は信雄が匿っているという。
そんな訳で信孝は長い期間美濃を空ける事は出来ない状況であり、信雄の言葉に唇を噛みしめる。
「先ほどから聞いていれば、おのおの方は勝家様はいないものとして話を進めているようであるが、勝家様には嫡子勝敏様がいる。勝家様の病中は勝敏様が政務を代行し、それを我ら柴田家臣が補佐するのが筋だろう」
これまで黙っていた佐々成政が口を開き、隣にいる盛政も頷く。そして成政は俺の方にも目を向けてきた。俺も一応一門格であるため頷きはする。
もっとも現実問題としてそれは難しいだろうが。
「それは違うのではないか。筆頭家老というものは世襲されるものではない。何の実績もない勝敏殿に任せられるものではない」
そう言ったのは意外なことに滝川一益であった。
だが、確かに勝家が倒れた後に織田家臣による合議となればそこで筆頭となるのは一益である。成政や盛政はあくまで勝家の寄騎であり、織田家全体でみた席次はそこまで高くない。一益は織田家の合議を通して自身が織田家を牛耳ろうとしているのかもしれないが、その表情は読めなかった。
その後も議論が進んでいったが、長秀や一益らが唱える織田家臣の合議に賛同したのは池田恒興・細川忠興らであった。また、秀吉も野心を警戒されることを恐れてかはっきりとは口にしなかったが、遠回しに彼らの案に賛同していた。要は合議になったときその輪に入れそうな者たちが賛同したものと思われる。
一方信雄を支持したのは家康ぐらいであり、この日の話し合いでは合議派が優勢だった。
ちなみにこの時筒井定次は終始無言であった。筒井家は山崎の戦いでは有名な洞が峠を決め込み、佐和山の戦いにも参戦しなかったため大和一国を有しているのに存在感が希薄という微妙な立場であった。どちらに味方しても立場が良くなることはないと見た彼は沈黙を選んだのだろう。
その夜、家康から信雄による三法師後見案に賛同するよう書状を持った使者が訪れた。俺としては家康とも成政たちともどちらとも親交があるため、どちらにつくとも言いづらかった。
「そもそも勝家殿の病状が回復に向かうのか次第で反応は変わるのだが……」
俺は京の情勢を探っていた望月千代女を勝家の医師の元に送り込んだが、医師本人ですら今後の病気の進行までは分からなかったため、何も分からなかった。柴田勝家の寿命という史実の知識が及ばない問題に直面した俺は悩んでいた。
が、事態は思わぬところで進行した。勝家ではなく丹羽長秀の病状が悪化し、倒れたのである。
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