織田家の風雲Ⅱ

 五月の初日、丹羽長秀が京都の屋敷にて倒れた。これまで相当無理して会議に参加していたのだろう、意識を失って朦朧としているとのことだった。

 まだ五十過ぎの長秀だったが、確か史実でもそろそろ寿命を迎える頃合いだった。佐和山の戦いで秀吉方について影響力を弱めていたとはいえ、織田家の家老の一人であった長秀の病は再び波紋をもたらした。


 とはいえ、そんな長秀の病状ですら残った者にとっては政局の種に過ぎない。

 翌日には、滝川一益が柴田家臣団や細川忠興を招いて会談を催したという知らせが入った。佐々成政あたりにどのような話が行われたのか聞こうかと考えていると、さらにその翌日、何と俺もその会合に呼ばれた。


 そんな訳で五月三日、俺は滝川一益の京屋敷に向かった。そこにいたのは佐久間盛政・佐々成政・前田利家に忠興、そして羽柴秀吉だった。俺が聞いた話では昨日の話には秀吉は臨席していなかったから今日改めて呼ばれたのだろう。


 一同が集まると滝川一益が口火を切る。勝家と長秀が倒れた以上、この面子の中では一益がもっとも席次が高い。


「まず新発田殿と羽柴殿にお話ししたいのは昨日改めて話し合った結果、やはり勝家殿の病状が安定するまでは織田家臣で三法師様を補佐していくべきではないかという結論になった」


 一益の言葉に成政らも反対しなかった。勝家の寄騎であった成政らも共に織田家臣として合議に参加することで一益の案に取り込んだのだろう。成政らも長秀が倒れた以上、それで自分たちが影響力を確保できると判断したのかもしれない。


「なるほど、それは素晴らしい案ですな」


 秀吉は一益の言葉に大げさに頷く。それを見て俺はおっ、と思った。秀吉と一益は清州会議以来犬猿の仲だと思っていたが、今は少なくとも表面上は良好な関係らしい。秀吉が野心を隠すためにそういう演技をしている可能性はあるが。

 俺は成政に目をやるが、成政も頷いている。昨日の話し合いで勝家系の武将と合意をまとめてそれから秀吉と俺を呼んだということだろう。


「そこでわしとしては我らに羽柴殿を加えた六人で今後の体制を決めていただきたいと思う。また、新発田殿は勝家殿の一門でもある。勝家殿は現在山城・近江・摂津・丹波・河内・紀伊と畿内全域に渡って領地を保持している。畿内の地は治めるのも苦労が多く、元服したばかりの勝敏殿には荷が重いだろう。そこで勝敏殿の補佐をお願いしたい」


 何で呼ばれたのかと思ったが、そう来たか。確かに徳川家康ですらこの合議に入っていないのに俺が入るのはおかしい。そこで勝敏の補佐という直接織田家の中枢には関係ない位置に回されたのだろう。

 とはいえ勝敏を補佐する形ではあるが、畿内の領地を治めることが出来れば何かがあった時は政局に関わることが出来る。奥州の情勢が不穏なのは気になるが、どの道勝家の病状が判明するまでは京都から離れられない。


「とりあえず雪が降るまでは承ろう。それまでには勝家様も回復されるはずだ」


 さすがにそれまでに回復しなければもうだめだろう、とは言わなかったが。

 俺の言葉に一益は満足そうに頷く。


 しかしもしこのまま勝家が病没すれば勝敏はどうなるのだろうか。畿内の広大な領地を維持し続けることは不可能だろう。しかし本領である越前はすでに佐々成政に与えられている。没後は織田家の主権だけでなく畿内の領地も争奪対象となるだろう。


「そう言えば細川殿とお目にかかるのは初めてだな」


 ふと俺はこの中で唯一忠興と親交が全くないことに気づいて声をかける。

 細川忠興はこの時二十過ぎの若者である。幕府家臣で教養人としても有名であった父の細川藤孝(幽斎)は光秀とも親しかったため本能寺の際に隠居し、後を継いだ。その後は秀吉に味方していたものの、光秀方についた丹後の一色氏の平定などを行っていたため、比較的中立に近い立場にいた。しかし他の顔ぶれに比べると多少部外者感がある。


「お初にお目にかかりますが、今後ともよろしくお願いいたす」


 若いながらも射るような鋭さの視線が印象的だった。


「細川殿は丹後平定という功を挙げ、今や一国の太守でもある。また、家は朝廷との繋がりも深いため、わしがこの面々に加えたのだ」


 俺の疑問を察したのか、一益が説明する。要するに重要な勢力だから一益が親密になろうとして誘ったのだろう。


「なるほど。俺も忠興殿の武勇はかねがね聞いている」


 ちなみに、このころはまだ妻の姿を見た庭師の首を刎ねたりはしていなかったはずだ。


「それでは今後何かあればこの面々で話し合っていこうと思う」


 そう言って一益は場をまとめた。

 とりあえず合議の体制は決めたものの、この面々で話し合わなければならないことがある訳ではない。九州や毛利の件は勝家の病気中に決めるには大きすぎる問題だ。

 小早川隆景もそんな織田家の足元を見ているのだろう、ついこの間まで臣従するよう責められていたというのに悠々と伏見城に滞在していた。


 俺は会合が終わると一応徳川家康宛に報告の書状を送った。今回はこのような結論になったが勝家にもしものことがあれば徳川家を無視する訳にはいかないだろうし、その際は協力するという内容である。


 家康も服部半蔵らの忍びを周辺にばらまいて情報収集に余念がなかった。また、佐々成政や佐久間盛政らと会談を重ねていた。もっとも、話す内容はお互いの戦歴や領国統治のことなど政局には関係のないことが多かったが。


 また信孝は美濃への帰還を余儀なくされ、信雄も織田家臣たちと接触を重ねようとしていた。しかし一益らは必ずしも信雄を歓迎しなかったため、途中から信雄は毛受勝照ら勝家家臣らとの会合を増やした。


 一益も盛んに自身の勢力を拡大すべく畿内の中小領主と会っていた。



 俺はその後二条城に入り、勝敏と会った。元服したばかりの勝敏の才気は不明だったが、少なくとも現時点で勝家の跡を継ぐのに十分な器量とは言えなかった。


 そんな訳でしばらくは勝敏の領地運営を補佐していた。毛受勝照や拝郷家嘉、山路正国といった元々の勝家家臣たちも広大な領国の統治に追いついておらず、普通なら嫌がられるかと思ったがむしろ歓迎された。

 もっとも、俺に回ってきたのは一番困難な紀伊の統治であったが。しかし織田家臣である彼らに比べると俺は土着の国衆の心理はよく分かる。そのため、彼らの事情や手の内について助言できることも多かった。


 こうしてそれぞれがそれぞれの思惑の元動く中、五月十日に勝家が意識を取り戻したという報が入った。そして勝家は在京諸将を一斉に二条城に集めたのである。

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