清州会議Ⅲ

「では新たな領地配分であるが……まずは甲斐・信濃・上野・越後の取り扱いだな。もっとも上野は近いうちに北条家の手に落ちるだろう。そして越後は主に新発田家が、甲斐信濃は徳川家が混乱を治めている。まずはこれをどうするかだ」


 丹羽長秀の言葉に羽柴秀吉と柴田勝家は目を見合わせる。

 徳川家康に甲斐信濃を認めることで会議の決定に従うよう取引していた秀吉と、自身の背後にあたる越後で余計な揉め事を起こしたくなかった勝家の思惑は一致した。

「北条家の脅威から甲斐信濃を守った徳川殿の働きはお見事です。これを取り上げて再配分するのは問題でしょう」

「うむ、領地の安定を守るのも役目」

 関係者がこの場にいなかったこともあって、この話は一瞬で決した。


「とはいえ、上野については織田家の体制が整い次第北条家より奪還することでどうだろう」

 長秀は一応一益に対しての配慮を見せる。秀吉と勝家もそれに対してはすぐに頷いた。とはいえ、織田家が一致して関東征伐を行うことが出来るのがいつになるのかは全く見通しが立っていないため、ほぼ空手形であった。


「次は信忠様の遺領である尾張・美濃についてだな。基本的には三法師様に譲られる形となるが、まだ幼少。誰か代わりに治める者が必要だろう。そこで尾張を信雄様、美濃を信孝様に治めていただくということでどうだろう」

「確かに信忠様の領地である以上織田一門の方に治めていただく方がいいな。しかし丹羽殿、美濃の上杉景長様や斎藤利治殿の領地はどうする」

「では景長様には東美濃の岩村城・苗木城などを認めて信孝様の領地はそれ以外ということにしよう」

 岩村城などの遠山氏は景長の母が嫁いだ家である。


「うむ。景長様、斎藤殿以外の尾張・美濃の国人衆はとりあえず信雄様と信孝様の指揮に従うということでよろしいでしょうか?」

 秀吉の言葉に二人も頷く。この辺りの話は落ち着くべきところに落ち着いたという感じで、特に大きく揉めることもなかった。


「ではいよいよ明智征伐の論功行賞と光秀の遺領についてだな」

 長秀が緊張した面持ちで言う。今までの話と違い、ここからの話は三者の利害関係が直接対立するため、場の空気も自然と張りつめていく。

「ではそれがしの案を話しましょう」

 口火を切ったのは秀吉だった。


「まず摂津は中川清秀殿・高山右近殿の領地を安堵、そして残った地を池田恒興殿に加増。そして山城・河内をそれがしの領地とし、丹波を養子の秀勝に与える。近江は佐和山城がある南半分を丹羽殿に、北半分を柴田殿に。そしてそれがしは長浜城他近江の領地を手放す。これでいかがだろう」

 秀勝は信長の四男で秀吉の養子に入った羽柴秀勝のことであり、実質秀吉は三か国の加増となる。とはいえ、石高の高い近江を手放しているので石高の差はそこまでない。

 が、この分配については石高以外の問題もあった。勝家はそれに気づいて口を開く。


「新しい織田家の政は三法師様がおわす清州を中心に行われるだろう。その際、北近江では三法師様の補佐をするのに不十分である」

「確かに。しかし、それは羽柴殿とて同じこと。そもそも清州では織田領の端に寄りすぎている」

「いっそ近江にお移りされては?」

 秀吉が提案する。それ自体は二人も賛成だったが、問題はそこから先であった。

「三法師様には安土を含む一郡を治めていただき、傅役として堀秀政殿についていただくというのはいかがでしょう」

「それは三法師様を信雄様・信孝様が後見するという話と変わって来るではないか!」

 勝家は思わず声を荒げる。堀秀政は秀吉の中国攻めに同行しており、勝家の中ではすでに秀吉派と目されていた。


「いかがだろう、では領地については近場である信孝様が統治を代行するということで」

「……分かった」

 長秀の言葉に秀吉は頷く。勝家としては秀吉派と目される信孝が三法師に近い位置につくのは面白くなかったが、美濃と近江が隣り合っているのはどうにもならない。それに信孝は美濃のうち東美濃を上杉景長に割譲している。それを考えても妥当であった。


「分かった。しかしこれでは丹羽殿の領地がほぼ現状維持となってしまう。いっそ丹波の東半分を丹羽殿の恩賞とし、近江は丹羽殿と三法師様の領地、さらに山岡殿や蒲生殿の地以外をわしが治める」

 丹波の東であれば長秀の元の領地である若狭とも地続きとなる。暗に自分の領地を減らされた秀吉だったが、元々提示した案はある程度妥協することも想定した自分に有利なものであった。そう考えると悪くはなかった。丹波の半分が丹羽長秀のものとなったが、長秀も今のところは味方である。


「せめて南近江、坂本城周辺は丹羽殿に渡すべきではないでしょうか?」

 秀吉は最後の抵抗を試みる。

「とはいえ、坂本城はわしが落とした。羽柴殿もご自身が制圧した山城・摂津・丹波に領地を得ている以上それは優先されるべきと思うが」

 が、勝家は頑として譲らなかった。長秀がそれに頷くのを見て秀吉もやむなく頷く。


「……分かりました」

 坂本城は近江の中でも京の入り口となる場所であり、秀吉としては多少嫌であった。しかし勝家の本領が北陸である以上、近江は孤立する。それに、三法師をめぐって信雄と信孝が対立する芽も残っている。後は勝家が冬になって領地へ帰った時に行動を起こすだけだ、と秀吉は言い聞かせる。


こうして決まった領地配分は以下の通りに決まった。()は旧領


柴田勝家 近江(長浜城・坂本城など)の大半、(北陸四国)

丹羽長秀 丹波半国、(近江佐和山城周辺、若狭)

羽柴秀吉 山城・河内・丹波半国、(播磨・但馬・備前・美作・因幡・淡路・備中半国)

池田恒興 摂津の一部

三法師  近江安土城周辺

織田信孝 美濃の大半、三法師領の代行、(伊勢の一部)

織田信雄 尾張、(伊勢の一部)

上杉景長 岩村城、苗木城周辺(また、斎藤利治は加治田城を安堵し、引き続き景長に仕える)

滝川一益 (伊勢の旧領を安堵)

中川清秀・高山右近 摂津にて加増

筒井順慶・細川忠興 中立を保ったため、それぞれ大和・丹後を安堵


※甲信越は現地に任せる


 こうして清州会議はいったん終了した。しかしこれは終わりではなく、今後の織田家内における権力闘争の始まりに過ぎなかった。

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