海津城対陣

 清州会議の決定はすぐに織田家関係者と有力大名へと届いた。当然割をくった者からは反発があった。信雄と信孝もせめて自分を単独で三法師の後見役にして欲しいとか、斎藤利治は越後の返却を、滝川一益は替地の要求をしたが通らなかった。力を失った者の要求が通らないのは残念ながら戦国の習いだった。


七月十六日 海津城

 依田信蕃を敗走させた北条の大軍四万は満を持して海津城になだれ込んできた。また、一部の軍勢は諏訪方面にも向かっているという。


 海津城をぐるりと遠巻きに囲む北条の大軍は本丸から眺めると壮観だった。春日山城を囲む織田軍ですらその数が三万だった。さすが関東の過半を治める大大名だけはある。かつて信玄と謙信が争った八幡原にその両軍の合計よりも多い北条軍がひしめいているのは時代の流れを感じずにはいられない。


 こちらの兵力は越後から連れて来た兵五千に村上国清らの一千、春日信達が集めた武田旧臣を合わせて七千ほど。春日山城には五十公野信宗率いる軍勢が控えてはいるが、情勢が不安定な越後を空けることは出来ない。


 この時俺は徳川家康と使者をやりとりして、北条が海津城を囲んでいる隙に背後をついて欲しいと要請している。家康は九日には甲府に入って仕置を行うとともに、酒井忠次に北条方についた諏訪頼忠の諏訪高島城を攻めさせている。また、依田信蕃も東信濃の武田旧臣と連絡をとり、北条家の兵站を脅かしているという。


 本当は勝家にも越後を安堵されたことへのお礼と今後の相談がてら会いにいきたかったのだが、この様子では当分この地を動くことは出来ないだろう。


「しかし北条は攻めてきませんね」

 そんなことを考えていると曽根昌世が物足りなさそうに言った。彼としては新発田家に仕えて初めての大戦で、相手は武田勝頼と敵対していた北条家ということでやる気に満ちているようだった。が、北条軍は城を遠巻きに囲むだけで今のところ攻めてくる様子はない。


「この城を力攻めにするのが愚かなことは分かるのだろう。ただ、兵糧攻めにすれば先に四万の大軍を擁する向こうが音を上げるとは思うが」

 何か策があるのだろうと思ったが、その答えはすぐに分かった。

 一人の忍びが蒼い顔をして報告に現れる。見ると右手には包帯を巻きつけ、顔には小さな生傷がある。また、服もところどころ切れていた。


「申し上げます、真田の忍びが城内に忍びこもうとしているところを発見しました! 捕えようとしたのですが、討ち取ってしまいました」

「やはり真田か……」

 おそらく真田は城内にいる信濃衆もしくは武田旧臣に調略をかけようとしているのだろう。北条の大軍を見て動揺した彼らが調略を受けて裏切らないという保証はない。相手が真田であればなおさらだ。

「ご苦労だった。今後も警戒を頼む。合わせて再び城内に敵の使者と無断で会わぬように触れを出す」

 俺は使番を呼び出すと改めてその触を周知させる。とはいえ、今回の戦いは両軍ともに信濃衆と武田旧臣を抱えての戦となっている。こちらに従っている振りをして真田に通じている者がいても分かりようがない。力で押さえつけるのは一時しのぎに過ぎない。


「何かこちらが有利になる要素があればいいのだが……」

 こちらに有利な状況になれば何もせずとも裏切りは起こらなくなるだろう。しかし史実の上杉景勝は新発田の乱を越後に抱え、さらに佐々成政とも敵対したままこんな籠城をしていたのだからすごい。もっとも、その状況を作ってしまったことが問題と言うことも出来るが。


七月十七日

「重家様、本庄秀綱様からの使者が来ております!」

「何だ」

 秀綱は上田長尾家の支援をしつつ、俺が信濃に出陣している間に越後に攻めてこないかを監視していた。北条家の包囲を農民に扮してかいくぐって来た使者が息を切らして報告に現れる。

「申し上げます、去る十五日未明、甘粕景持・吉江景資・藤田信吉ら長尾家の軍勢が沼田城に奇襲をかけ、奪取しました」

「おお、よくやった

 この時沼田城は滝川一益から真田昌幸が掠め取った後、北条家の手に落ちていた。北条家にしてみれば俺と織田に負けてぼろぼろの上田長尾家がこんなに迅速に行動してくるとは思わなかったのだろう。

 それでも長尾家が迅速に動いたのは俺が秀綱に支援させたからというのもあるが、長尾家には大量の上杉家臣が集まっており、彼らを養うためには速やかに領地を拡大しないといけないという事情もあったからだ。


「よし、城内へこのことを触れて回れ! 長尾家の大軍が上野に侵入したと。さらに徳川や佐竹も間もなく北条の背後を突くだろうと」

 もっとも佐竹家からは色よい返事は来ているものの、実際に兵が動いたという報は入っていない。しかしこの知らせが入って城内の士気は上がった。やはり籠城は援軍あって成り立つものである。

 その一方、北条側も背後が騒がしくなって痺れを切らしたのか、周辺で土砂を集めているという報が入って来た。


七月二十日

 今まで動かなかった北条家がついに動き出した。四万の軍勢が一斉に前進すると大きな波が押し寄せてくるようで威圧感がある。北条軍は兵を進めると水堀に阻まれるようにそこで軍勢を止める。


「撃て!」


 城内から鉄砲が斉射される。しかしそこは相手も想定済みなのか、すぐに竹束を重ねたものを先鋒に押し出して防御する。そのため、相手の損害はあまり出なかった。

 代わって敵の盾の後ろに弓兵が出てくる。そして一斉に城内に向けて矢を放った。それを見て兵士たちは一斉に城壁の下に身を潜める。距離があることもあり、敵の矢が城兵に当たることはほぼなかった。


「重家様、矢には内応を促す文が結び付けられております」

 使者が血相を変えて報告に現れる。それで満足したのか敵の弓兵は下がっていくと、今度は駆り出された周辺住民が現れ、堀に土砂をながしこんでいく。内応を促す書状を送り、数による物量作戦で心を揺さぶる。単純ではあるがこのような場面でもっとも効果的な方法であった。


「鉄砲で威嚇せよ! 当てる必要はない!」

 下知を出すとすぐに鉄砲の音が響き渡る。敵に駆り出された住民はたちまち脅えて盾の後ろへと下がっていく。だが、盾の後ろからでも少しずつ堀に土が注ぎ込まれていく。すぐに埋まるほどの量ではないが、城兵はじわじわと真綿で首を締めあげられているような感覚に染まっていくだろう。


「よし、昌世を呼べ」

「何でしょうか」

 険しい顔をした昌世が現れる。彼の持ち場は北条一門の氏邦の攻撃を受けていた。やはり彼の兵も動揺しているのだろう。

「このままでは味方の士気に響く。討って出て敵に一撃与えてすぐに戻ってくることは出来るか」

「はい、かしこまってございます」

「打撃を与えることよりは士気を奮い立たせることが目的だ。深追いはするな」

 俺は「信玄の目」とも評され、三増峠の戦い(武田信玄が小田原城を攻めた後に北条家の追撃を受けた戦い)では戦死した浅利信種に代わり一軍を率いたこともある彼に期待していた。


 すぐに昌世の持ち場から城門が開き、騎馬を中心とした一団が討って出る。まさかこの兵力差で討って出るとは思わなかったのか、対応が遅れる。前列の兵は慌てて土を捨てて鉄砲を手に取るが、間に合わずに昌世の襲撃を受ける。

 北条軍が慌てて槍や刀を握った時にはすでに昌世は城内に兵を返していた。その鮮やかな手腕に思わず感嘆してしまう。それを見た城内の兵士たちも歓声を上げた。


七月二十五日

 その後も数日間、北条家は攻撃をかけてきた。しかしこちらの士気が保たれていたこと、北条側もこちらが討って出ることを警戒したため城攻めが鈍くなったこともあり膠着状態となっていた。

 一度だけ水堀に大量の木材を放り込み、一か所だけ道を作っての力攻めも行われたが、鉄砲の集中砲火により退けることが出来た。


 そんな膠着状態に音を上げたのか、ついに北条軍から白旗を掲げた使者が歩いて来るのが見えた。すぐに見張りが報告に現れる。

「北条家から板部岡江雪斎という者が参っております」

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