清州会議Ⅰ

六月二十三日 近江佐和山城

 山崎の戦い後、明智光秀は落ち武者狩りに遭い討死、斎藤利三も捕えられて、さらに光秀の居城である丹波亀山城の落城と明智光慶の自刃などにより明智の残党狩りは一段落した。


 そのため、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀ら主だった家臣や織田信雄・信孝、さらに上杉景長や斎藤利治ら、さらに滝川一益の使者らが佐和山城に集まった。今後の織田家の後継者を決める会議に参加する人選や議題などを決める会議である。


 この時秀吉は信孝・長秀に池田恒興ら山崎の合戦で共に戦った武将たちを合わせて主導権を握ろうとしていた。しかし勝家軍に北陸から動かないであろう佐々成政や前田利家まで同行していたことや上杉景長らが予想外の早さで戻って来たことに困惑していた。


「今後のことは逆賊明智光秀を討ち取った者たちを中心に決めるべきであろう」

 冒頭、織田信孝が声を上げる。彼は異母兄である信雄を睨みつけると彼にあてつけるように言った。信雄は変の際に、明智秀満撤退後、勝家が消火した後の安土城に入ったぐらいでさしたる活躍をしていない。信忠亡き後、次男の信雄と三男の信孝が織田家の中心となることは明らかだったので二人は早くも対抗意識を燃やしていた。


「何を言う。それでは変の際にたまたま京の近くにいた者のみ発言権を得られるというのか? 遠方で敵と対峙するのも家臣の務めであろう」

 斎藤利治が異論を唱える。

「たまたま? 羽柴殿は光秀の乱を聞き、毛利を説き伏せて昼夜兼行で上洛したのだ。それをたまたまとは無礼ではないか」

 今度は丹羽長秀が色をなして反論する。


「確かにたまたまというのは言葉が悪かったかもしれぬ。しかし織田家の今後を決める会議である以上、ある程度以上の立場の者は皆参加すべきではないでしょうか」

 滝川一益の名代として先行して領地に戻っていた益重が述べる。

「そうだ、おぬしは滝川殿や斎藤殿を排斥しようというのか」

 それに乗じて信雄も信孝に反論する。信孝としても一益や利治の名を出されるとそれ以上言いづらい。


「しかしこれだけの人数で一度に話したところで結論は出ぬのでは?」

 秀吉はやんわりと口を挟む。

「では上様存命中の席次に乗っ取り、柴田殿、丹羽殿、羽柴殿、そして一益様で話し合うべきではないか」

 再び益重が口を開く。確かに信長存命中はこの四人に光秀を加えた五人が特に重臣として重用されていた。しかし益重の言葉に怒涛のごとく反論が押し寄せる。


「何!? それは一門のわしには出る資格なしということか!?」

 まずは信孝が食ってかかり、続いて、

「本来後継者である信忠様の家中からも代表者を出すべきだろう」

 と斎藤利治も口を挟む。とはいえ、信忠の主だった家臣は本能寺の変で討死しているのでそうなれば必然的に利治が選ばれることになるが。

「皆の者、ここはいったんお開きとしよう。一度、お互い頭を冷やそうではないか」

 たまりかねた勝家が割って入る。この惨状と筆頭家老の言葉に誰も反論できず、この場はお開きとなった。


「……という訳だ官兵衛、一体どうすればいいと思う」

 会議の場から戻った秀吉は軍師である黒田官兵衛を呼んで愚痴をこぼした。秀吉にしてみれば血のにじむような努力で中国大返しを成し遂げたのに、領地を捨てて逃げて来た者たちにあれこれ言われるのは不愉快で仕方なかったが、下手にそれを口にすることは出来ない。

 一方の官兵衛は話を聞くと冷徹な表情で言った。


「とりあえず結論から申し上げますと、滝川一益殿や斎藤利治殿については参加を認めぬ方がいいでしょう」

「それが出来るなら苦労せぬわ」

 秀吉は疲弊した表情でつぶやくが、官兵衛は真顔で続ける。

「というのも、上野信濃甲斐越後を我らの元に戻すことは難しいからです」

 すでに秀吉は徳川家康とやりとりをして、甲斐信濃の切り取りを認める代わりに清州会議の議論には口を出さないという密約をかわしている。もちろん上野や越後は取り戻せる余地はあるが、それだとなぜ甲斐信濃だけは家康のものとなるのかという話になってしまう。


「と言う訳でその結論に持っていくためには滝川殿や斎藤殿の参加を認める訳には行きません。ここは柴田殿に話を持っていって、会議に収集がつかないので主だった者だけで話したいと言うべきでしょう。幸い、信孝殿と信雄殿は会議に参加すると問題があることははっきりしたので、柴田殿も参加させないことを了承してもらえるものかと」

「なるほど、しかし柴田殿はそれを呑むだろうか?」

「そこは殿の腕次第でございます」

「簡単に言いおって……」

 秀吉は涼しい顔の軍師に腹を立てたが、官兵衛のおかげで出来事の整理がついたのは確かである。

「では早速柴田殿の元へ行ってくる」

「健闘を祈っております」


「柴田殿、それがしが参った用件は分かりますな?」

「うむ」

 秀吉の来訪に勝家は苦虫を噛み潰した表情で頷く。秀吉と違って律儀に織田家をまとめようと考えていた勝家はより苦悩していた。あの面々をここからまとめるのはなかなか難しい。

 特に領地は有限である。明智征伐に参加した自分や秀吉には恩賞があってしかるべきだが、織田家の領地全体でみれば甲斐信濃上野越後が減った計算になる。増えたのは光秀の旧領と信忠の旧領ぐらいだろうが、信忠の旧領を勝手に分配する訳にもいかない。


「思うにそれがしはこのまま話し合いを続けてもまとまらぬと思います」

「そうじゃのう」

 勝家が大真面目に悩んでいるのを見て秀吉は少し同情しつつも話を進める。

「やはり本会議では参加者を絞って話し合いをすべきでしょう。そしてその人選ですが、まず信雄様と信孝様が出席されると必ず揉めるものと思われますゆえ、事前に要望だけおうかがいしておく方がよいかと」

「確かに……」

 勝家は渋い顔で頷く。勝家としては信長の子を参加させないのは許されぬことであったが、どう考えてもあの二人が建設的な議論をするとは思えない。


「続いて参加者ですが、やはり明智征伐に参加した者で決めるべきでしょう」

「人数を絞るならその基準が妥当だろうな」

「と言う訳で柴田殿、それがし、丹羽殿、そして池田殿を加えて四名でいかがでしょう」

「何? 丹羽殿までは分かるが何故池田殿が」

 勝家の疑問はもっともで、先の三人に比べるとかなり席次は落ちる。

「池田殿は山崎の戦いで手柄を立てた故参加資格があると思われるが」

「それならわしも佐々殿を推薦する」

 佐々成政は本戦には間に合ってないが、遅れて現れて近江の明智方との戦いなどで活躍している。越中一国を任されており、少なくとも領地で言えば恒興よりも格が高い。

 さすがに池田恒興の参加は無理があったか、と思った秀吉はあっさり折れた。


「分かりました。では先の三名のみで行いましょう」

「それなら異存はない」

 秀吉としては最善ではなくなったものの、丹羽長秀はすでに取り込み済みである以上悪くはない結論だった。

 勝家としてもその三人であれば特に異論はない。家臣として領地を失って逃亡してくるのはやはり失態であった。

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