海津城

六月二十日

 本多正信が帰っていくと、俺はすぐに春日信達を呼び出した。甲州征伐の折に配下にした武田家臣高坂昌信の嫡子である。高坂昌信が養子に入っていた香坂氏は川中島付近の領地を持つ国人衆であり、ちょうど北信濃衆が勝手に領地を広げている地域である。


「我らは信濃に兵を出す。とはいえ、北信濃衆は信長様亡きあとに勝手に領地を広げている。そこでそなたは香坂家や武田旧臣衆を率いて蜂起してもらいたい」

「こんなに早くに故郷の地を踏めるとは思いませんでした。是非ともお任せください」

 信達は喜びの声を上げる。

「とはいえ、最終的に信濃衆は従属させるつもりであるので、決定的な恨みは買わぬように」

「かしこまりました」


 信達が去っていくと今度は本庄秀綱を呼ぶ。

「上田長尾家が沼田城を狙っている。もし兵糧や武器に不足があるようなら支援するように。支援した分は後で俺の方から補填する」

「かしこまりました。しかし今沼田城は滝川殿のものではないでしょうか?」

「おそらく近いうちに北条家が奪い取る。そうだな、長尾家には北条家が沼田城を押さえて上野から信濃に進出した後が狙い目だとも教えてやろう」

「なるほど。長尾家と北条家を戦わせるのですね」


 秀綱は俺の意図を理解したようだった。徳川と結んだ以上、新発田・徳川対北条という構図になるだろう。史実では上杉家は早々に北条家と講和しているが、俺は織田家の旧領を北条家から守ったという建前を作るため、徳川家康が甲斐と信濃の半分以上を治めるまでは北条家と対峙するつもりだった。

 このとき徳川家康は明智征伐のために西へ向かっており、徳川の本隊はまだ甲信に向かっていない。北条五万の大軍と渡り合うのは骨が折れるので長尾家を使おうと考えていた。

 他にも、長尾家を探らせていた忍びを北条家に向け、また常陸の佐竹義重にも誼を通じる書状を出すなど、着々と北条包囲網を整えていく。


 翌日、十八日にすでに河尻秀隆が一揆に襲われて討死していたこと、神流川で滝川一益が負けたこと、小諸城に徳川の後押しを受けた依田信蕃が入ったことが知らされた。


 六月二十五日、領内で春日信達が扇動した一揆が蜂起した上に、北条の先遣隊が信濃に入ったことを受けて須田満親らが恭順を申し出て来た。北条家は現状信濃に進出しているとはいえ、元は関東の大名。上野との国境に近い佐久付近ならともかく、北信濃で何かあったときに援軍を出してくれるとは思えなかったのだろう。

「このようなことになるなら最初から欲を出さなければ良かったものを」

 とはいえ、それでも向こうから恭順を申し出て来たのはまだましだった。俺は春日山城の留守を五十公野信宗に任せると、五千の兵を率いて北信濃に出陣した。


 翌二十六日、俺が海津城に入ると須田満親・高梨政頼・村上国清・岩井信能らおなじみの面々と一揆を先導していた春日信達がはせ参じた。

 また、この時上野で滝川一益が去った後の沼田城をかすめ取った真田昌幸も使者を送って恭順を申し出ている。この後真田が北条や徳川を転々とすることを知っている俺からすれば許せない所業だが、どうすることも出来ない。せいぜい味方には数えないことぐらいである。


「この度は乱に乗じて過分の所領を要求してしまい申し訳ございません」

 信濃衆を代表して村上国清が頭を下げる。

「森長可殿のやり方に確かに問題があったので叛いたのは不問に致す。しかし所領については織田信忠様が決めたものに戻すように。その決定に従うのであれば一揆は俺が収めよう」

「我らの出すぎた行動に関わらず、所領を安堵していただきありがとうございます」

 そう言って頭を下げる彼らも春日信達が起こした一揆の裏に俺がいることを薄々察してはいるのだろう。とはいえ、彼らも一度敵対している以上お互い様である。

 所領を与え過ぎれば自立される危険性があるし、いたずらに奪ってしまえば敵に通じる可能性がある。よその地に攻め入るとごたごたが多すぎて頭を抱えそうだった。


 さらにこの時、武田信玄に滅ぼされた信濃守護小笠原長時の弟貞種が深志城奪還のため支援を申し出て来た。深志城は現在木曽義昌が治めていたが、木曽家も森長可や滝川一益が所領を通過して美濃に帰っていくなどてんやわんやで旗幟は不明だった。

 とりあえず領地が近い村上国清に支援するよう命じた。


 すでにこの時北条側も信濃での動きを活発化させており、武田旧臣の内藤昌月が高遠城を攻めて落としている。また、諏訪頼忠も北条家に与するとして諏訪高島城を占領している。徳川軍は甲斐をほぼ占領し、南信濃の小笠原信嶺らを従えている。


「重家様、北条の本隊が佐久に入るまでに佐久を押さえてはいかがですか?」

 武田旧臣の曽根昌世が提案する。佐久から南下すれば甲斐にいたるため、彼は故郷の甲斐に近づきたいという思いがあるのかもしれない。

「それに真田昌幸殿とは武田時代、共に戦って面識があります。真田殿と重家様が手を組めば佐久を押さえることも不可能ではないでしょう」

「しかし小諸城の依田信蕃は徳川方だ。それにそなたは真田昌幸が信用出来るか」

「それは……」


 昌世の目が泳ぐ。仮に未来の歴史を知らなかったとしても、すでに昌幸は滝川一益に味方する振りをしておきながら、一益が上野を去った瞬間に沼田城を奪還するという所業をやってのけている。越後で新発田軍のみを率いての戦なら多少の無理は利くが、信濃の地で信濃衆や武田旧臣など完全には信用しきれない者たちを率いての戦いでは無理は出来ない。

 昌幸の裏切りにあって大敗すれば信濃衆がまた裏切る可能性もあった。そして信濃衆が裏切ると今度は上田長尾や上杉旧臣まで連鎖的に裏切る可能性すらある。


 いっそ信濃進出を諦めて越後を固めるという選択すらあったが、北条が北信濃を奪い、越後を脅かすという状況もそれはそれで嫌なので、最低限北信濃までは固めるつもりだった。

「その間に海津城の守りをさらに固める。我らは北条の軍勢を海津城で食い止めつつ、全軍を率いて攻めてこればその隙に長尾勢に沼田城を突かせ、徳川殿にも救援を依頼する」

「なるほど、かしこまりました」

「また、真田からの使者とは勝手に会わぬように」

「は、はい」

 昌世は少し困惑したが、思うところがあるのだろう、反論はしなかった。念のため、俺は信濃衆や春日信達にも同じ命令を通達した。


 海津城は後に松代城と改名して現代まで残っている。現代に残る松代城には周辺の川の水を引き入れた水堀が残っている。空掘と違って単なる力押しでは渡ることの出来ない水堀は防御性能が格段に変わるため、連れて来た軍勢と信濃衆に動員させた人夫により水堀を掘らせた。

 また、千曲川はしばしば氾濫を起こすため、戦時以外は水量を減らせるよう、川との境にはいつでも川の水をせき止められるように土嚢などを設置した。


 粗削りではあったが水堀があらかた完成したのが七月に入ってから。完成した堀に水を流し込むと、城は水に浮かぶ島のような美しい光景になった。


「この城であれば信玄公や謙信公も落とすことは出来まい」

 信濃衆もそれを見て感嘆の声を上げる。

 実際の防御性能を上げることが第一の目的ではあるが、あえて大工事を行うことで俺がこの地を捨てないという意志を示し、信濃衆の謀叛を防ぐという目的もあった。


 その間に北条家は真田から沼田城を再奪還すると、七月九日には昌幸を屈服させている。そして満を持して昌幸を先鋒として佐久に攻め入ると、依田信蕃の小諸城を囲んで信蕃を敗走させている。これが城の工事が終わった十二日のことだった。


 その報を聞いた俺は長尾家に使者を送り、沼田城攻撃の兵を挙げるよう伝えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る