予兆

 新潟に戻った俺は居城に帰る間もなく、待機していた忍びからの報告を受けることになった。渡海前に各地に派遣した忍びたちは早速報告をもたらすために新潟にて俺の帰港を待ち構えるように待機していた。


「まずは徳川家康の動きですが、武田の旧臣からの連絡によると依田信蕃殿を筆頭に名のある武将を多数領内に潜伏させているとのことで、今も河尻秀隆の残党狩りを恐れ徳川領に向かう者がちらほらいるとか」

 元は信濃衆だった依田信蕃も勝頼期にはかなり重要な家臣となっており、甲州征伐でも駿河にて最後まで抵抗を続けていたとされる。

「そのことを織田家は知っているのか?」

「おそらくですが知らないと思われます。特に依田殿は織田家でも討伐対象となっていると聞きます」

 武田の旧臣である故にその辺りの情報はスムーズに入ってくるのだろう。


「他に気になる動きは」

「信長が諏訪にいる折に信忠と甲斐で話し合いを持ったとのことです。もちろんそれ自体は自然なことですが、その間に一度家臣を誰も近づけず、二人で何事かを話したとのことです。服部半蔵直々に警戒にあたっており、さしもの我らも近づくことは出来ませんでした」

 忍びは少しだけ悔しそうに言う。とはいえ、服部半蔵直々に警備していたということはよほど重要な話があったとのことだろう。その情報だけでも価値はある。


「ちなみに四月に東海道を登って帰京する信長をもてなした後は、信長の招きで畿内見物に向かっているとのことです」

「なるほど。引き続きよろしく頼む」

「これは参考までにという話なのですが」

 そう前置きして忍びは口を開く。忍びから何かを質問してくるのは珍しい。


「徳川家康は何事かを企んでいるのでしょうか。もし武田の旧臣を匿っても、織田家がいる限り表で登用することは出来ぬはずです。しかしそれにしては京へ戻る信長を歓待しており、様子が見えません。もし何か情報があれば我らも事情を探るのに参考に致します」

 確かに武田の旧臣を匿うのは見方によっては織田家への背信行為である。もしかして家康は本能寺の変に関する何かの情報を手に入れているのかもしれない、という考えが頭をよぎるが確証はない。ただそうだとすれば登用出来ないはずの武田旧臣を集めているのも納得は出来る。

「分からぬ。俺も織田家の内情にはそこまで詳しくないから、引き続き頼む」

「かしこまりました」


 徳川領から来た忍びが退出し、次に現れたのは明智光秀を監視させていた者であった。

「明智光秀は信長とともに家康の歓待を受けて京都へ向かっていたのですが、そこで光秀の家臣と徳川の家臣が頻繁に会っていたようです」

「家康は信長の接待をしていたのだから当然ではないか?」

「そうかもしれません。また、光秀の家臣からは織田家に対する不満がいくつか漏れ聞こえております。あくまで光秀本人が語ったことではありませんが……」


 光秀家臣から聞いた話はいくつかある。

 一つ目は信長が朝廷から受けた三職推任を保留していること。三職推任というのは関白・摂政・征夷大将軍のいずれかに任命するという朝廷の申し出である。元々は武田征伐を理由に答えを保留したらしいが、その後も答えを出す気配がないため、朝廷との駆け引きに使っているのではないかという噂が流れていた。


 二つ目は四国征伐の件である。信長は三男信孝や丹羽長秀に四国の長宗我部征伐を命じていたが、元々明智光秀は長宗我部氏との繋がりが深く、織田家と長宗我部家の取次を務めていた。信長が京で三好三人衆らと対立していたころは三好氏の領地である四国を脅かす長宗我部氏と結ぶことに利益があったためだ。しかし三好氏の服属により状況は変わり、逆に長宗我部氏を征伐することとなったため光秀は面目を失ったとされる。


「ただ、光秀自身は信長にひたすら従順に従っているようです」

 このころ光秀は近江・丹波・山城などに広い領地を持ち、細川忠興・中川清秀・高山右近・筒井順慶らを与力とするなどの大勢力を持ち、信長にも重用されていた。光秀も不満よりも利の方が大きいと判断したとしてもおかしくない。

 今起ころうとしている何かが史実のものと同じなのかは不明だが、何かが起ころうとしているのは間違いないようだった。


 ちなみに秀吉は史実通りに備中高松城を水攻めにしており、柴田勝家はこのたびの上杉征伐後の恩賞分配などの内政を行っていた。織田家との使者が出入りしている様子はあるが、二人とも重臣であるためそれが怪しむべきものなのかまでは分からなかった。


「五月末には勝家の周辺に、京で変事が起こるという噂を流しておけ。内容は抽象的なもので構わぬ」

 あらかじめ勝家が京の状勢を警戒していれば、駆け付けるまでの時間はさらに短縮できるはずだ。山崎の戦いに間に合わなくても、越前から近江に南下して安土城を奪還するか坂本城を落とすなどの手柄を立てれば秀吉との発言権は拮抗するだろう。

 とはいえあまり具体的な噂を流してしまうと、噂を知りながら変を黙認したのかと悪評が立つ可能性があるため、噂は抽象的なものに留めた。


 最後に上杉家に派遣していた忍びからの報告もあった。

「上杉家の新体制は始まったものの、なかなか状況は厳しいようです。とりあえず有力武将を追い払うことには成功し、直江実頼(大国実頼)や泉沢久秀が協力して一時の仕置は成功しているようです。しかし領地が減ったにも関わらず織田家から大量の家臣が入ったため財政が厳しいようです。織田家の武将たちもこの状況では兵を減らすことが出来ず、維持費が持ち出しになっていて不満も出ているとか」

 織田家の武将たちもせっかく所領が増えたはずが、大兵力を常駐させなければならずそれ以上の赤字が出れば浮かばれないだろう。


「そのため、春日山城には五千ほど、坂戸城には三千ほどの兵力がいるとのことです。一方の斎藤朝信ら所領を減らされた武将たちは兵士たちを帰農させて表向きは農業に励んでいるとのこと」

 景勝時代も最後は五千ほどの兵力しか動かしていなかったのに合計八千の兵士を維持すれば赤字になるのは当然であった。

 これは本能寺の変が起これば上杉景長政権はあっさり崩壊するかもしれない、と思った。

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