織田信忠

 三月一日、高遠城を落とした織田信忠の軍勢三万が諏訪に入った。俺たち前田軍団は諏訪大社の鎮火や上原城・高島城など周辺の諸城の回収、農民の鎮撫などに追われており、勝頼への追撃は信忠本隊の到着を待って行う形となる。単純な兵力で言えば合計は四万五千という大軍となった。


 信忠が現れると俺たちはすぐに信忠の本陣に集められた。信忠軍の将は滝川一益、河尻秀隆、森長可で俺たちの陣からは俺と前田利家の他、真田昌幸と村上国清が呼び出された。

 織田信忠は二十六歳という年齢に対しては落ち着いている印象だった。信長に似て痩身長躯で美形だった。しかし信長の見る者を威圧するような雰囲気とは違い、信忠はどちらかというと怜悧な印象を与えた。


「まずは皆の者、ご苦労であった。本来は木曽義昌も呼ぶところであるが、まだ木曽では戦も続いているため、そちらを優先した。諏訪大社が燃えているのは武田軍の仕業か?」

「おそらく逃亡の時間を稼ぐための放火でしょう。勝頼の指示とは思いたくないですが」

「それなら良いが、もしどさくさに紛れて放火を行う者がいれば厳重に処罰するように」


 諏訪は勝頼の縁のある地ではあるが、かつて信玄に攻め滅ぼされた地でもある。武田家に恨みを抱いている者がどさくさに紛れて報復を行ったとしても不思議ではなかった。

「他にも農民への乱暴や略奪などは厳重に禁ずる。特に利家の隊には他国衆が多いので気を付けるように」

「はい、一層注意いたします」


 そして信忠はこちらを見る。

「新発田殿はこれが初めてであるな。遠路はるばるご苦労であった」

「こちらこそ所領を認めていただきかたじけない」


 さらに信忠は真田昌幸の方を見る。

「聞くところによるとおぬしは真田本領の他に上野沼田の地も所望しているようだな」

「信忠様、真田殿は小諸城攻めにおいて先手を務め手柄を立てております。また、佐久の平定や諏訪侵攻の際も率先して道案内を務めております」

 この前は俺が利家に昌幸の弁護を行っていたが、今度は利家が信忠に必死でとりなしていた。


「武田征伐終了後、上野と佐久についてはこちらの滝川一益に任せようと思っている。一益に忠節を尽くすように。詳しいことは追って沙汰があるだろう」

 が、さすがに信忠はやすやすと言質を与えることはしなかった。昌幸もそれは予想していたのか、食い下がることなく平伏する。

「はい、ありがたき幸せにございます」

「武田滅亡後の国割なども考えているが、まずは皆の者目の前のことに集中するように。甲斐は武田の本領。油断すれば思わぬ反撃を受けることもあるだろう」


 その後俺たちは簡単な情報交換を行った。とはいえ、北信濃から佐久にかけてはほぼ平定され、南信濃は信忠が従えた。深志城がある松本の辺りも現在木曽義昌が向かっている。そのため、信濃にはすでに明確に敵対する者はいない。

 一方上野には内藤昌月らが残っているが、北条家への備えで動ける状態ではない。駿河には徳川家康と北条氏政が攻め込んでおり、残るはほぼ甲斐一国であった。

「翌日、この軍勢で新府城に総攻撃をかけるので準備しておくように」

 そして軍議は解散となった。が、俺が戻ろうとすると不意に信忠に声を掛けられる。


「新発田殿にはいくつか聞きたいことがある」

「聞きたいこと……ですか」

 甲州征伐については俺は従軍していただけである。それとも越後の戦況だろうか、などと思いながら俺は本陣に残る。

 が、信忠の口から出たのは思いもよらない話だった。

「新発田殿は領内で商業を興し新しい農具なども開発しているとか。是非その話を聞かせてもらいたいと思ってな」

「いや、信忠様にお話しするようなことは何も……」


「わしはまだ今年で二十六。だが父上は尾張・美濃の仕置や重要な戦での大将などをわしに任せてくれた。おかげで領国の支配や大軍を率いることについてはある程度経験を積ませてもらった。同年代でわし以上の経験を積んでいる武将はそういないと思っている」

 確かにこの年で二か国を治め、数万の軍勢を率いる将はそうそういないだろう。


「だが、戦国の世もあと数年で終わるだろう。武田上杉が滅びて北条が降れば残るは奥州の小大名ばかり。その後は新たな時代がやってくるだろう。これまで戦だけをしてきた者や刀槍や弓矢を作って生計を立てて来た者は大勢失業する。だから戦国の世が終わった後にはそのような者たちを救うだけの産業を興さなければならない」

 なるほど、伊達に織田家の後継者という訳ではないらしい。信忠も彼なりに乱世が終わった後のことを考えているらしかった。


「でしたらこれはあくまで俺のやり方ですが。商業を興す時に大事なのは我らは大まかな方向性だけを示して細かいことは商人に任せるということが大事です」

「だが、それでは古くからのしがらみなどが変わらないということではないか?」

「そうです。そのため、実際にいくつかの制度や手段は与えました。とはいえこれらも元々彼らが望んでいたことでもあるのです」

 そう言って俺は船や倉庫の話をする。


「とはいえ、古くからの商人は既得権益を守ることしか考えていないのではないか?」

「それは既得権益しか利益がないからです。例えばこれまでのように座を作り、狭い地域で商売を独占することで利益が一得られるとしましょう。しかし信忠様が大船建設の支援をすることで、畿内や蝦夷など様々な地域に交易に出られるようになり、そちらの方が利益を得られると分かれば彼らは自然とそちらに流れるでしょう」

 俺の言葉に信忠はふむふむと頷く。


「なるほど、後は任せておき、税だけとればいいということか」

「その通りです。結局、商業のことについて一番詳しいのは商人ですので。幸いこのたび織田家の領地は大きく広がろうとしています。例えば、旧武田領に畿内の産物を売るような仕組みを作ればいいのではないでしょうか」

「なるほど。確かに東国にはまだまだ物を売る余地がありそうだ。武田領の関所は廃止して、畿内から信濃以東に物を売りにいく商人には税を優遇してもいいかもしれぬな」

 早速信忠は今後の政策を考え始める。その打てば響くような反応に俺は感嘆するとともに少しだけ惜しくなる。


「悪いな、長く引き留めてしまって」

「いえ。ところで信忠様は『唐入り』についてはどう思いますか?」

 俺の言葉に信忠は一瞬眉を顰める。

「そんなことを言う者がいるとは聞いたことがないが、わしはそんなことをする気はない。安心されよ」

 そう言って信忠はこの話はこれで終わりだ、と言わんばかりに去っていった。常識的に考えて信長が後継者に唐入りのことを話していないとは思えない。

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