大葉沢城の戦い・鳥坂城の戦い

 新発田重家の留守中に上杉や蘆名が揚北衆を取り込もうとしている気配を察した繁長は先手をとるべくすぐに兵を動かした。大宝寺家に援軍を要請しつつ、二千の兵を率いて鮎川盛長の大葉沢城を囲んだのである。

 色部・中条あたりはどちらに転ぶか分からなかったが、鮎川盛長だけは敵対するという確信があったのである。どの道敵対するなら相手が仲間を集める前に先手を打った方がいい。盛長の方もそのつもりだったのだろう、繁長が出陣するとすぐに一千ほどの兵と物資を集めて固く城門を閉ざした。これが七月十一日のことである。


 翌十二日、繁長に味方する黒川為実が一千の兵とともに合流、そして盛長の救援に金上盛備ら蘆名勢一千、中条景泰ら一千の兵も現れてにわかに戦場は混雑し始めた。


 十三日、色部長実が中条家の鳥坂城を囲んだとの知らせがもたらされた。景泰は長実と話した時の様子を思い出して後悔した。「敵対したい訳ではない」という長実の言葉は意志ではなくただの感想だったのである。内心動揺するものの、今戦場を離脱すれば本庄軍の追撃に遭うかもしれない。幸い戦場にいる兵力は鮎川盛長を加えればほぼ同数。何とか繁長を破って戻るしかない。景泰はひたすらに居城の無事を祈った。


 十四日、繁長が待ちに待った大宝寺家からの援軍が戦場に到着した。阿部良輝率いるたった五百の兵だが、そもそも繁長を良く思っていない大宝寺家を脅したりすかしたりして何とか出させた援軍であった。もし兵を出さなければ義勝を通じて反対した者の所領を減らし、兵を出せば前回の大宝寺出兵で鮎川盛長が手に入れた出羽の所領を返すとも言った。わずかばかりの兵を出した大宝寺に領地を渡すのは業腹だったが、大宝寺の所領は自分の所領と同じと繁長は懸命に自分に言い聞かせた。

 最悪繁長が動けぬうちにクーデターが起こる可能性すらあったが、結局大宝寺当主にふさわしい人物がいないこともあって援軍という結果になったようだった。


 膠着していた戦場に援軍が現れたことは一つの転機になった。繁長は大葉沢城を黒川為実と阿部良輝に任せると、蘆名・中条連合軍に攻撃することを決めた。

「ここでこ奴らを破り、大葉沢城を落とせば我らは上杉に並ぶ勢力になる! 出羽の最上や会津の蘆名を攻めて奥羽に覇を唱えることも夢ではない! そうなれば恩賞は思いのままだ!」

 繁長は兵士相手に大見栄をきった。

「おおおおっ!」

 兵士たちから歓声が上がる。大宝寺家を完全に本庄家のものと数えれば繁長の言葉もあながち嘘とは言えなかった。


「突撃!」


 繁長の覇気が乗り移ったのか、本庄軍は熱にうかされたような勢いで中条・蘆名連合軍に攻めかかった。

 中条景泰も上杉家名門吉江家の血を引き、揚北の精鋭を率いる名将ではあったが、いかんせん居城が包囲されているという事実が士気を下げた。目の前に本庄軍と戦いつつも心のどこかで地元のことが気になり、集中しきれなかった。


「耐えろ! ここで敵を破って城に帰るのだ!」

 景泰は必死に叱咤するが、隣にいるのがこれまで敵だった蘆名家で連携がとれなかったことも災いした。金上盛備も歴戦の将ではあったがこの士気の差では戦えぬと見て無理せず後退しようとした。景泰はあくまでその場に踏みとどまろうとした結果、徐々に両軍の距離は離れ、気づいた時にはお互い孤立していた。


「くそ、やはり蘆名は頼りにならぬか」

 吐き捨てた景泰は残った兵をまとめて包囲を突破した。繁長も逃げる者を無理に追う意味は感じなかったのか、景泰が戦場を離脱すると今度は戦場を離れようとする蘆名軍を追撃した。支えきれぬと見た蘆名軍も戦場を離脱した。


「ふん、即席の連合軍など他愛もない」

 繁長は勝利するとその余韻に浸る間もなく盛長に使者を送った。頼みの蘆名家は撤退し、中条家は城を囲まれてそれどころではない。城を明け渡して降るのならば大葉沢城以外の領地は安堵すると持ち掛けた。


「中条と蘆名が負けただけでわしが負けた訳ではない。このような勧告をしてくるのは城攻めの自信がない証だ」

 盛長は使者を追い返すと改めて城門を閉ざした。繁長は試しに攻撃してみたものの、兵士たちにも盛長の敵愾心が乗り移ったのかのように激しく抵抗し、落ちる気配はなかった。蘆名よりも中条よりも鮎川の戦意が一番高かった。


 しかも援軍にやってきた阿部良輝は「出羽の鮎川領を接収する」と戦場を離脱していった。

「とはいえ長期戦を見据えればそれもやむをえないことか。長きに渡る因縁だ、じっくり決着をつけてやる」

 こうして繁長も持久戦の構えに移行し、大葉沢城の戦いが決着を見るのはもう少し後のことになる。


 そのころ、鳥坂城を攻めた色部軍は怒涛の勢いで進撃していた。長実には一つの危機感があった。ここで城の一つや二つとっておかないと今後繁長や重家の下風に立たされるのではないかというものである。

 繁長は謙信時代からの歴戦の将だし武勇にも優れている。重家も御館の乱のときから頭角を表している。年齢が若い以上貫禄で劣るのは仕方ないが、せめて領地の広さでは拮抗しておきたかった。そのためには中条家の領地を奪い、繁長が大葉沢城を攻めあぐねているのであればその隙にさらに領地を拡大しなければ、という焦燥があった。


 幸い、長実が到着したときには鳥坂城の城兵は狼狽していた。景泰が長実への警戒をそこまで促していなかったためである。長実の急な侵攻に慌てて防御を試みたものの、そもそも主力は景泰が率いていたこともあり衆寡敵せず。一日の奮戦の末落城した。

 敗戦の末城に戻った景泰はそれを見て絶望して安田城の安田長秀を頼った。

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