長実の決断
天正十年(1580年)七月十日 平林城
いずれ決めなければならないときも訪れると思うが、思いのほか早く訪れてしまったというのが色部長実の気持ちだった。
手元には上杉景勝と蘆名盛隆からの書状である。景勝からの書状には出陣中の新発田重家の背後を襲えば新発田領は切り取り放題であること、盛隆からの書状には手を結んで新発田家を攻めないかと書かれている。
長実の正直な気持ちとしては景勝にいい感情は抱いていないし、会津からちょっかいを出してくる蘆名もうっとおしい。かといって最近勢力を伸ばしている重家や繁長の下につくのも御免であった。
謙信が生きていたときは揚北衆は多少の差はあったが対等な上杉家臣団として扱われたたため、細かいことは考えなくてすんだ。しかし独立すれば重家や繁長とどちらが格上かを競わなければならなくなる。
蘆名盛隆の書状には家を継いだことに対する挨拶の他に、重家が蘆名家に従属していた本庄秀綱を調略したことを責める内容が書かれていた。この内容を見る限り、上杉と蘆名自体も近々直接手を結ぶか、すでに結んでいるのではないか。
「出来れば現状維持が一番いいのだが」
そんなことを考えていると一人の兵士が現れた。
「殿、中条殿がいらしております」
「そうか、通せ」
似たような書状はおそらく他の揚北衆にも届いているのだろう。繁長に届いているのかは不明だが。中条景泰からわざわざ会談の申し入れがあったとき、長実はすでに用件は見当がついていた。
「おや、色部殿の元にも同じ書状が届いていたのですね」
景泰は主要な揚北衆の中では一番若く、現在二十三歳。中条家の娘を娶っているが実子ではなく、上杉家の旗本吉江家からの養子である。それもあって揚北衆の中では比較的上杉寄りであった。
長実自身も二十八であり、年が近いと言えば近いとも言えた。ちなみに重家が三十四、繁長が四十近くであった。鮎川盛長も同じくらいだったような気がする。謙信の家臣として戦場を駆けたのが繁長らの世代で、色部家や中条家は一回り代替わりしてしまっている。重家は代替わりしたとはいえ、長敦の子ではなく弟であるため両世代の間ぐらいの年齢である。
「そうだ」
長実はそれだけ言って沈黙する。それを見て景泰は首をかしげる。
「その様子では色部殿はまだ決めかねているのでしょうか。意外です、私は景勝殿の下につくのはまだ構いませんが、本庄殿や新発田殿の下に収まるのは御免です」
景泰の言葉は長実にも痛いほど分かった。それは恩賞や待遇などの条件の問題ではない。今まで同格だった者たちの下につくのが嫌だという感情的な問題であった。
「特に色部殿は父上を本庄殿に討たれているではないですか」
本庄繁長の乱のおり、上杉方として参戦した色部勝長は討ち死にしている。長実としてもそのことを忘れた訳ではないが、勝敗は時の運という割り切りもある。
「それを言えばわしの正室は重家殿の妹だ」
「なるほど、それもありますね」
そう言われると景泰は納得した。
「ちなみにすでに鮎川殿は我らにつくとのことです」
「そうだろうな。あの方の本庄嫌いはすごい」
しかもことあるごとに敗れているというのが悲哀を誘う。もっとも前回の新発田の乱のときは長実も繁長に加勢して鮎川攻めをしたので長実は何も言えないが。
「黒川殿はおそらく本庄殿についていくでしょう」
黒川為実は繁長の娘婿にあたるうえ、父の清実は御館の乱では景虎に味方している。
現在睨み合っている新発田と上杉を差し引けば、揚北は本庄・黒川対蘆名・中条・鮎川という構図になっている。長実が上杉方につけば本庄繁長に対し優位に立ち、繁長を破った後に重家の領地を攻めることが出来るだろう。逆に繁長についても代替わりしたばかりの蘆名や負け続けの鮎川に負けるつもりはない。要するに長実がついた方が勝つと言っても過言ではなかった。
「わしはどちらにもつかぬ」
「え……気持ちは分かりますが、それは上杉に敵対するということになりますよ」
景泰は意外そうな表情になる。
「だろうな。だが今更どちらの下風にもつきたくない。もちろん、おぬしらと敵対したい訳でもないがな」
「そうですか。では戦場で出会わぬよう願っておきます」
そう言って景泰は帰っていった。しかし長実は思う。その気持ちでは危うい、と。父の勝長も繁長と戦うのは気が進まない、と漏らしていたがその日に命を落とした。となれば自分も覚悟を決めなければならないな、と長実は思った。
七月十二日
「殿、本庄殿が鮎川殿を攻撃、それに応じて中条殿や蘆名家の金上盛備殿が援軍を送ったとのことです」
ついに来たか。長実は決意した。独立するとしたら攻める候補はいくつかあるが、必須なのは攻めて勝てる相手であった。これには現在城を開けている新発田や今城を空けた中条、蘆名も入る。
しかし新発田が上杉に負けるのは長実にとっても良くない。蘆名を攻めるのは揚北衆に対して角は立たないが、山向こうの会津から蘆名本隊が出てくると面倒だし、蘆名に対して備えている安田長秀もそのうち蘆名に味方するだろう。
となれば残るは中条だけであった。
「ただちに出陣する! 目標は中条家の鳥坂城だ!」
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