睨み合い

八月五日 藤倉山付近本庄繁長本陣

「これは厄介なことになったな。山を避けようにも周辺山だらけ」

 鮎川盛長がため息をつく。話を聞く限りどこも俺の軍と同じように、緒戦は優勢だったものの、山の中で逆襲を喰らったということだった。

「とはいえ勝てぬ相手でないことは分かった。地形をつぶさに調べ上げ、伏兵を警戒しながら戦えばそのうち勝てるだろう」

 繁長はあくまで強気である。すると為実がすっと手を挙げる。

「わしに案がある。聞けば大宝寺付近にいる天童家や鮭延家は伊達家と親しいとのこと。わしから伊達殿に、彼らに背後を突くよう頼んでみよう」

「また伊達か?」

 大葉沢会談を思い出したのか繁長が顔をしかめる。

「とはいえ、この山の中で五千対五千の兵力で戦ってもいつまでも決着は着かぬでしょう」


「それは困る」

 思わず俺の素の感想が口をついてしまった。あまり長い間領地を離れていては、上杉が好機とばかりに狙ってくるかもしれない。それに水原城や木場城といった新領地の手入れもしたかった。

「わしは伊達家に使者を送ってみよう。地形を調べるのはその間にでも出来る」

「新発田殿はどう思う?」

 俺の「困る」という発言を受けて繁長がこちらを向く。俺もまた伊達家が首を突っ込んでくるのは嫌だが、ここで長対陣をするよりはましか。

「出羽であればある程度伊達家が首を突っ込んできてもいいだろう。やむをえまい」

 今回の介入への恩返しは出羽の中で行うことにして、揚北には首を突っ込ませない。そうしよう。

「仕方ないか」

 繁長はちらりと盛長を見るが、特に反論はないようだった。

「では伊達家への交渉は承った」

「では黒川殿の交渉を、地形や敵情を調べつつ待つことにしよう」

 最後に繁長が議論をまとめ、今後の方針が決まった。


 そもそも現在の出羽の状勢はどうなっているのか。まず、海沿いの尾浦城を本拠とする大宝寺義氏が庄内平野や沿岸部を中心に勢力を確立している。だが、度重なる軍事行動による重税などで支持はされていない。

 続いて、内陸部に最上家がいる。しかし度重なる内乱によって現在最上一族は分裂しており、大まかに「最上八楯」と呼ばれる同盟軍と、最上義光を当主とする最上本家が対立している。どちらかというと「最上八楯」が北方で大宝寺氏との境界におり、最上本家がいる山形城がその南方にあった。さらにその南方に伊達家の勢力が少し食い込んでいた。


 現在の最上当主は義光で、その妹義姫は伊達輝宗の正妻(伊達政宗の母でもある)だが、内乱などの事情で輝宗は最上八楯との繋がりの方が大きかった。そのため、輝宗の口利き次第では「最上八楯」の者たちが大宝寺の背後を突いてくれる可能性はあった。

 ちなみに最上義光は去年、天童頼貞を攻めたものの八楯の援軍で失敗している。後に「羽州の狐」などと恐れられる義光も今は小勢力に過ぎなかった。


 さて、そんな方針が決まった後俺は仕方がないので周辺の地形を調べてはいたものの、基本的にはのどかに日々を過ごしていた。領地からも毎日のように異変がないか報告をもらっているが、今のところ大きな問題はないようである。そこで俺はあることを思い出して矢五郎を呼び出す。

「矢五郎、頼みがあるんだが、那由を連れて来てくれないか?」

「なぜ今ですか?」

「いや、たまたま出陣の時は都合が合わなくてな。ただ、酒田を目指すならやはり詳しい者がいた方がいいだろう」

 長距離を移動させるのは悪いとは思うが、酒田の商人らと話すときにやはり商人の事情に詳しい者がいた方がいい。

「はい、分かりました」


 そんなこともありつつ一週間ほど過ぎたある日のこと。

「殿、何やら大宝寺軍の方が騒がしいようですが」

 と猿橋刑部が報告に来る。周辺の地形を調査するとどうしても大宝寺軍に近寄らなければならず、その際は嫌でも大宝寺軍の動向が耳に入る。

「最上が動いたか、東禅寺が動いたか……」

 そこへ本庄繁長の陣からも使者がやってくる。

「新発田殿、鮭延秀綱殿が兵を動かしているとのことです。もし大宝寺軍が兵を退くようであれば追い撃ちをかけようとのことです」

 鮭延秀綱は最上八楯の大宝寺領寄りに位置する人物である。そうか、黒川為実の交渉はうまくいって、それで大宝寺軍が撤退しようとしているのか。

「分かった」


 が、そこへさらに別の使者が駆け込んでくる。

「殿、ただ今領内より、上杉軍三千が木場城へ向かっているとのことです!」

「何だと」

 考えてみれば俺たちが最上に交渉するのと同じように、大宝寺とて景勝と交渉しても何も不思議ではない。


「殿、ただ今戻りました」

 そこへ那由を連れた矢五郎が戻ってくる。この短時間ですごい人数がやってくるな。

「全く、必要なら呼んでくれれば船で酒田まで行ったのに」

 慣れない長距離移動で那由は疲れているようであった。

「悪い悪い、しかしまさか上杉がこうも早く引き返してくるとはな」

「へ?」

 俺の言葉を聞いて矢五郎はぽかんとする。

「上杉軍は今も越中ですよ?」

「今上杉が我が領に向かっていると……おい、先ほどの兵を捕えよ!」

 言いながら俺も疑問を覚え、呼びつける。すぐに先ほど報告に来た使者が連れて来られる。

「誰かこの者と知り合いの者はいるか!」

 次々に俺の本陣に武将や侍大将級の者が連れて来られるが、誰一人としてこの者を知っている者がいない。俺は背筋が凍り付いた。危うく偽の情報を真に受けて兵を引き返すところだった。

「大宝寺の間者か。斬れ。そしてただちに追撃の準備をせよ!」

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