嵐の前の静寂

五月二十日 新発田城

 春日山城の惨劇は事態の衝撃度からすぐに越後中、さらには越後の動向を見守る諸国に拡散された。当然俺の元にもすぐに知らされた訳だが。

「謀叛ならばまだ勝機はあったものを」

 とはいえ謀叛では勝ったとしても信綱らを討ち取ることは出来ないかもしれない。秀広の冥福を祈りつつも、兼続を討ち損じたことを悔やんだ。


 しかしこれで後戻りは出来なくなった。兼続もこのような事態が起こった以上恩賞の変更などは行えないだろう。もしこれで変更するようなことがあれば今後何か不満があるたびに誰かが刺されるかもしれないからだ。顕元が切腹した時点で考え直せば良かったものを。


 俺は成政に向けて書いた文を送ると、すぐに周辺国衆に文を書いた。上杉家とは恩賞をめぐって対立するが、他の家には恨みがある訳ではないため中立を保って欲しいこと、しかしもし敵対するようであれば容赦なく攻め込むことを書き連ねた。俺が送りつけたのは本庄繁長・色部長実・中条景泰・鮎川盛長・黒川為実ら揚北衆である。


 さらに俺は蘆名家の金上盛備にも上杉家と対立するため、もし攻めてきたら助力して欲しい旨を書いて送った。また、毛利家にももし味方するようであればお家再興に力を貸す旨の文を書いた。


 軍事では新潟港周辺に築城を開始した。城と言っても実態は砦に近い。現在の新潟には攻められたときの防戦拠点のようなものがなく、簡素な館があるだけだったからだ。砦は港よりもさらに西側に築城した。上杉軍はおそらく西から攻めて来るため、こちらに築城すれば市街地での戦は避けられるためである。


 さて、そんな俺が不退転の思いで始めた反乱であったが、決断の重さの割に余りに何も起こらなかった。上杉家では直江家の跡目を兼続が継承するなど、事件の後処理に追われているのか俺は無視されていた。まあ上杉家に宣戦布告した訳でもなく、どこかに攻め込んだ訳でもないので仕方ないが。


 さらに揚北衆からも反応は全くなかった。これもある意味当然かもしれない。上杉家がどのくらい本気で新発田討伐を行うか次第で彼らの反応も変わるのだから。俺が弱小勢力であれば勝手に攻めて手柄にしてもいいが、国衆同士の戦いで滅ぼされるほど弱くはない。上杉家が本気で攻めて来るようなら協力し、内紛が続くようであればしれっと独立するぐらいのことは企んでいるのだろう。


 反応があったのは毛利家で、俺の元に数人の家臣が亡命(?)してきた。話を聞いてみると、残りは上野の北条高広の元に行ったり、そのまま帰農したりしたという。また、蘆名家の金上盛備からも反応があった。もし戦いになれば支援は行うとのことだった。


 予想に反して余りに何事もなかったので、俺は久しぶりに雪のところへ行くことにした。雪は五十公野領に住んでいるが、俺は新発田城に引っ越したので以前のように気軽に会いにいくことも出来なくなってしまった。上杉軍が動けば余計に会いに行くことも難しくなるだろうから、今のうちに会っておきたい。

 ちなみにコシヒカリの栽培などは相変わらず小路家に任せている。弟の領地に勝手に入っていくのも気が引けるが、まあ許してもらうしかない。


 俺がやってくると、季節はめぐってすっかり田植えの時期になっていた。この前収穫したばかりのような気もするのに早いものである。雪も家の者に混ざって田植えをしていたが、俺を見ると笑顔で手を振ってくる。

「重家様、お久しぶりです」

「おお、雪も相変わらず元気そうで何よりだな」

「新発田をお継ぎになられてからあまり来て下さらないので寂しいですよ」

 雪はわざとらしく頬を膨らませてみせる。それがまた可愛らしい。


「あ、そうそう、コシヒカリの件ですが一応この辺りからこの辺りまでの田に植えています」

 そう言って雪はコシヒカリの田まで案内してくれる。周囲では小路家の者や周りの農家が総出で田植えを行うのどかな風景が広がっている。まあ、例によって俺はコシヒカリの田とその他の田の区別はつかないが。

「最初は一袋だったのによくここまで増えたものだな」

 俺は田を見渡して感慨にふける。

「はい、今回の収穫がうまくいけば他の農家にも配ることも出来るでしょう。もしくは少量ですが他国に輸出することも」

「そうだな、それまでに港の方もどうにかしたいな」


「あ、港で思い出しましたが重家様、新潟の方にも女性がいると聞きましたが、本当ですか?」

 不意に雪がじとっとした目でこちらを見上げてくる。

「ち、違う、那由とはそんな関係じゃ……あ」

「やっぱりいるんじゃないですか。でも正直にお話してくださったので許してあげますよ」

「何で許されてるんだ?」

 ふふ、と俺たちは互いに声を合わせて笑う。が、俺はふと真顔になる。


「すまないな。実は本当に上杉との戦いが避けられなくなりそうだ。前々からそうなるかもしれないとは思っていたが、本当にそうなりそうだ」

「仕方ないですよそれは。謙信公ですら戦いをなくすことは出来ませんでしたし」

「悪いな。だが絶対にここまで上杉家の侵入を許すことはない。それは安心してくれ」

「本当に……大丈夫ですか?」

「ああ」

 俺は固く決意して雪の目を見つめる。やがて雪は少し顔を赤らめてこくりと頷いた。

「では私はいつも通りお仕事しますので、収穫を楽しみに待っていてくださいね」

「分かった」

 その日俺は五十公野に一泊してから新発田に戻った。

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