宜しくお願い致します -ファナ-
さて、リディーシアお嬢様の部屋を出た私は、音を立てないよう静かに扉を閉めまして素早く脚を動かします。廊下を二度ほど折れ曲がった所で目当ての場所に辿り着きました。そして、それと共に余り見たくない顔も見えてきました。立ったまま寝てるとは器用な。そして無作法な。
侍女としてどころか人としてもアウトな存在を前にして、今すぐ引き返したくなってきました。用があるのが残念です。
仕方が無いのでなるべく足音を立てないように忍び寄ると、その後頭部を思いっきりひっ叩きます。
「ふわっ……!」
パシンッ!と良い音が響くと共に手の平に心地良い痺れが走りました。この機会に普段から溜め込んでいたストレスを発散出来て何よりです。
それを受けた方の少女はというと、言葉にならない声を漏らしながら閉ざしていた目を薄く開きました。それでもまだ寝ぼけ眼な様子。要らぬ所でその頑丈さを実感してしまいます。
「キニャ、目が覚めましたか」
「あれぇ〜、ファナだぁ。どうしたの〜?ふぁぁ……」
この期に及んでまだ
同じお嬢様方の側付きとして関わる機会も多い彼女ですが、正直に言って余り良い印象を持っていません。その癖向こうはそんなこと
……性格が余りにもかけ離れていて苦手というだけであって嫌いという訳では無いので、側付き同士の情報交換の一環として割り切っていますけど。
「リーネリーシェ様に用がありまして。貴女がここにいるということは、まだ中にいらっしゃいますか?」
「そっか~!丁度今日に向けて新調したカメラのお手入れ中だから、まだいるよ~」
「そうですか。では、失礼させて頂いても良いか聞いてきて貰えますか」
「はいは~い。ちょっと待ってね~!リーネリーシェ様、入りますよ〜!」
ノックもせず最低限の声だけ掛けるや否や、木製の
じっと直立姿勢で待っていた私の耳に、いたっ!という悲鳴が聞こえてきます。案の定、無作法を
それから数秒して、頭頂部を両手で抱えたキニャが戻ってきました。反省した様子は無いですが、心なしか
「入っていいって。酷いよね〜、ちょっとノックをサボった位であんなに思いっきり殴らなくても〜……」
「有難う御座います。そして、それはあなたが百パーセント悪いです。反省してください」
「え〜〜〜」
まるで、というよりどこから見ても叱られた子供にしか見えない少女を
「失礼します」
入ってすぐに丁重にお辞儀。あれと同レベルに見られるのは末代までの恥ですから、きっちりと。
背後で扉の閉まる音がしたのを確認してから、深く下げていた頭を持ち上げる。すると、如何にも重量感のある立派な執務机に向かって何か作業をしているリーネリーシェ様のお姿が目に入りました。
作業する手を止めないままリーネリーシェ様がポツリと呟かれました。
「キニャもお前の十分の一でいいから節度を持ってくれればいいんだがな」
「
それに、そういう彼女だからこそ、側付きに選ばれたのではないですか?
言外に持たせた含みを理解した上で、微かな苦笑を浮かべられたリーネリーシェ様。けれどそれも一瞬で、手元に向けていた視線をこちらに移されたその時には、その顔から一切の表情が抜け落ちていました。
「さて、ファナ。こんな時間に来るとは珍しいな。何の用だ?」
鋭い目付きに冷たい声色。慣れている私でも思わず身体が強張る威圧感。ですが、それを極力
「はい、本日はリーネリーシェ様に折り入ってお願いがあって参りました」
「ほう」
「恐れ入りますが、もう少々近付いても?」
首肯で許可を頂きましたので、間に佇む執務机を避ける為に大きく迂回しながら座ったままのリーネリーシェ様のお隣まで歩み寄りました。そして、そのお顔に気持ち口元を近付け、誰にも聞かれないように小さな声でその「お願い」を口にしました。しようとしました。
「リディーシアお嬢様が……」
「任せろ」
お願いのおの字すら口にしていませんが、そのお名前を出した時点で了承を頂きました。こうなることは
横目でちらりと机の上に目をやると、一寸の曇りなく輝いている丁寧に磨かれたカメラが見えました。キニャからその話が出た時点で、この話が八割方成功するだろうことは分かっていました。拍子抜けするほどに。
そしてリーネリーシェ様と言えば、何でも任せろ、と言わんばかりにキラキラ輝いた瞳でこちらを見つめていました。基本、こういう表情は他人に見せないお方なのですが。
他の者達を前にした時と比べると、普段から秘密の集会をしている私に対しては割と心を許して頂いているようです。勿論キニャ程では無いですが。まぁあんな集会を開いている時点で何を今更、と言われそうですけど。
「了承頂けましたし恐らくリーネリーシェ様のご都合とも合致しているかとは思いますが、改めて説明させて頂きますね」
「うむ」
珍しく年相応に感情の籠った瞳を浮かべられてこちらを喰いつくように見つめてくるリーネリーシェ様。そのご様子に内心だけで苦笑しながら、先の顛末を説明しました。勿論、内緒と仰せつかった部分に関しては当たり障りのない学業へのやる気などとボカした上で。
一通り話し終えた所、
「リーネリーシェ様、大丈夫ですか?」
「わたしの……妹が……尊い……ッ!」
鼻を手で覆い隠しながら、上の空でそんなことを申しております。侍女として何も見ておりませんと無関心を装いながら、鼻血を抑える為のハンカチだけ差し出しておきました。
「つまり、リディを陰から見守りつつ、もし危険が及ぶようであれば排除すればいいんだな?」
「はい、その通りで御座います」
「元々リディの撮影という大事で大事な用に多少のオプションが付いただけだし、キニャも連れて行く。何かあったとしても問題無いだろう。他でも無い、可愛い妹の尊い決意を無為にする訳にはいかん!」
「有難う御座います」
「何、これも姉の務め……。いや、姉の特権だからな!」
「宜しくお願い致します」
無事打ち合わせも終わりました所で、重ねてお礼を申し上げて退室しました。そして、開いた扉のすぐ傍に立っていたのは、うつらうつらと頭を揺らす侍女服を着た少女。
「……はぁ」
溜息をついて。それから、本日二度目の平手打ちをお見舞いしてやりました。
変な声をあげて目を覚ます少女を尻目にその場を後にしました。大分スッキリしたので、今日は気持ち良く仕事に
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