第551話 心菜ちゃんと姉さまの帰還

 心菜ちゃんの家庭教師になってから、秋が来て冬が来て、春になった。

 俺は大学三年生に、心菜ちゃんは高校三年生にレベルアップ。


 ここで大切なことは、俺は普通にしていただけで勝手に数字が増えただけなのに対して、心菜ちゃんは本当にレベルアップしている点である。

 間違っても俺の生ぬるい大学生活と心菜ちゃんのハイスクールライフを同列に語ってはならない。


 今日はまず、その辺りの話から始めようと思う。



 心菜ちゃんは、水泳部に所属している。

 記憶力の良いゴッドならば覚えているかもしれないが、かなり昔、心菜ちゃんがまだ中学生の頃には水泳の記録会を見学しに行った事もある。


 その当時でも部内で一番速かった彼女。

 なんと、今では県内で五指に入る実力者となっていた。

 俺も水泳は、水泳だけは人並み以上にこなせる自負があるけども、俺の変態潜水泳法と、心菜ちゃんのガチの自由形を一緒にするのは水泳への冒涜である。


 家庭教師を拝命してから約半年。

 心菜ちゃんは平日、休日問わず、ほとんど毎日、部活を頑張った後に勉強をする。

 時には疲れからウトウトする事もあるけども、勉強にも直向きな心菜ちゃん。


 そんな彼女を見ていると、俺も全力で力になってやりたいと思うのは道理。

 「心菜ちゃんと恋人になって、ウキウキJKデートだぁ、うふふ」などと宣う恥知らずな心はとうに捨て去った。



 今では、ウルトラソウルをキメるのだって2日に1度という自制心を身につけた。



 とにかく、心菜ちゃんの安らぎに俺がなれると言うのならば、この身を、この心を、いくらでも天使に捧げよう。

 彼女が大人になるその日まで。


 そんな訳で、春休みの今も、心菜ちゃんは夕方まで部活。

 俺の出動はだいたい午後5時頃になる。


 と言うか、実は毎日4時前から氷野家のマンションの前にある公園にて連絡が来るのを待機している。

 少しでも長く心菜ちゃんと一緒にいるためにはこれがベター。


 大丈夫。

 俺ぁブランコ漕いでたら1時間なんてすぐだから。


「……だーれだ」

「おう」


 そんな俺の背後から、突然目隠しをしてくるいたずらっ子が1人。

 やれやれ。大人っぽくなったと思っても、この辺は幼いままだなと後ろを向くと。



「……なにしてんのよ。公平」

「やっぱり! おかしいと思ったんだよ! だって背中に何も当たんねぇんだもん! いや、心菜ちゃんなら柔らかい感触があるはずなのに、なんか、カサッて音がしただけだったからさ! なんだ、やっぱり氷野さんか! いや、騙されなかったぜ! だって、カサッて音しかしねぇんだもん! 布の音しかしなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」



 今のは俺が悪かった。かもしれない。

 ブランコから蹴り落されるなんて、もう二十歳越えた人間のやる事じゃないよ。


「ひでぇや、お姉さま」

「や・め・ろ! 気色の悪い呼び方をすんな! あんたね、ご近所で噂になってんのよ! 夕方になるとブランコを独りで漕いでる細い男がいるって!! ちょっとした都市伝説みたいになってんの!!」


 なんてこった。

 俺が妖怪エノキブランコになっていたなんて。


「そう言えば氷野さん。シンシア女子大から帰省してんだ?」

「ええ。去年は帰ってこられなかったから。今後はちょくちょく帰ってくる予定よ。私、警察官の採用試験はこっちで受けるから」


 氷野さんは名門女子大学で警察官僚目指して勉強中。

 なんとなく、ほんわかぱっぱと毎日過ごしていた俺とは大違い。


「ところであんた。心菜に妙な事してないでしょうね? 高校生なんだからね、あの子!」

「俺のジェントルマンっぷりを忘れちゃったの? 紳士の皮を被ったジェントルマンとは俺の事じゃん」


「うん。まあ、あんたが心菜相手に間違いを犯すヤツだとは思ってないけど。あの子、今大事な時期なんだから、しっかり支えてやってよ。実に不本意だけど、一番近くで支えてもらいたい人はあんただって言うんだから。……腹立つわね!」


「痛い! ちょっと氷野さん! 攻撃なら尻蹴ってよ! 首筋にチョップじゃ愛を感じないよ!」

「そんな気色悪いもんないわよ!!」


「はわ! 兄さま、お待たせなのです! ……あれ? 姉さま?」


 氷野さんにボコられていたら、心菜ちゃんがお帰りになられた。


「おう! おかえり、心菜ちゃん!」

「むすーっ。兄さま、姉さまと楽しそうだったのです」


「おう。氷野さんとは久しぶりだったからね。ちょいと話が弾んじまったよ」

「兄さまは心菜の兄さまなのです! むすーっ!!」



「あ、あれ? 心菜ちゃん? もしかして、ヤキモチ焼いてる?」

「焼いてないのです! 兄さまなんて知らないのです!!」


 あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!


 生まれて初めて女の子にヤキモチ焼かれたかもしれん、俺。

 その相手が心菜ちゃんだとか、こりゃあもうウルトラソウルだよ。

 なんて可愛いんだろう。許されるなら抱きしめたい。


 でもそれは許されないから、とりあえず体が反応してしまった。


「げっ。なんであんた、泣いてんのよ?」

「いやぁ。なんつーか、世界って今日も最高だなって思ってさ。ごめんな、心菜ちゃん。俺ぁ今日も心菜ちゃんの事しか考えてないよ? ほら、心菜ちゃん用に今日は問題集を作って来たんだ! 暇に任せて!!」


「……兄さま、心菜が一番ですか?」

「もちろんさ! こんな凹凸のない姉さまなんかに心を奪われる俺じゃないよ!! もう、心菜ちゃんってば、心配性なんだからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」


「私、あんたと義理でも家族になるの、ものすごく嫌だわ」

「ひでぇ事するなぁ、氷野さん。心菜ちゃんはこんな風になっちゃダメだよ?」


 ちなみに、蹴られたと言う描写を一切していないにもかかわらず、「あ、今こいつ蹴られたな」と察したゴッドは、多分とてもステキなゴッド。

 セクシーと言ってもいい。さあ、俺と握手しよう。


 ウルトラソウルと蹴られた時の歓喜の声は、微妙に長さが違うからね!!



「ただいま」

「ただいまです!」

「お邪魔します」


 氷野家に3人で帰還。

 それでも玄関で渋滞しない広さが凄い。

 さすが、高級マンション。


「む。桐島くん。来たか。では食事にしよう」

「うっす。ご馳走になります!」


「ちょっと待って。なんで公平、ナチュラルにうちの食卓に座ってんの?」

「ああ、心菜ちゃんは部活で疲れてるでしょ? だから、先にご飯食べてから勉強することにしてるんだよ」


「いや、そうじゃなくて。なんであんたまで普通にご飯食べてるの?」

「いつの間にかそれが自然になっちまったんだよね。お母さんのご飯美味いし!」

「あら。桐島くんはすぐにそうやっておだてるのだから、油断ができないわ。はい、お茶碗」


「うっす。すみません」

「なんでマイはしとマイ茶碗があるの!? ああっ! なんか椅子も増えてる!!」


「丸子は気付いていなかったか。桐島くん用に買ったのだ」

「兄さまは心菜の隣が定位置なのです!」

「今日は桐島くんの好きな、さわらの西京焼きよ」


「えっ!? 母さん!? 和食作るの苦手だったじゃない!?」

「桐島くんの好みに合わせていたら、得意になってしまったのよ」

「お母さんのぬか漬けは絶品だよ、氷野さん!!」



「あんた。私がいない間に、うちを侵略してるわよね?」

「そんな、人聞きの悪い。俺ぁただ、心菜ちゃんの家庭教師をしているだけだよ」



「兄さま、兄さま! 将来は心菜もお漬物したいです! 何のお漬物が好きですか?」

「心菜ちゃんの漬けてくれたものなら、鉛筆でも消しゴムでも食うよ、俺ぁ!」


「ははは。桐島くんは良い旦那になるな」

「ふふふ。桐島くんは良い旦那さんになるわね」



 楽しい氷野家の団らん。

 ちなみにこの後、何故か氷野さんに「私が家にいる間は、これ以上の侵略行為を許さないからね!!」と指さして宣言された。


 ケロロ軍曹とイカ娘、どっちでツッコミしようかと考えたけど、心菜ちゃんの勉強の時間が減ってしまうので、氷野さんはリビングに置いて来た。

 ハッキリ言って環境の変化についてこれそうもない。

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