第280話 毬萌と公平(ヒモ)の借金返済

 昨夜の出来事である。


「なんだい、あんた! 小遣いなら旅行の前にあげただろう!?」

「いや、まあ、そうなんだけども。ちょっと事情があって」

「はあ!? あんた、一万円を全部使っちまったのかい!?」

 母さんによる証人喚問を受けているのは俺。

 小遣いの前借りを要求すると、大概こうなる。


「……おう。うん、マジでのっぴきならねぇ事情がさ」

「なんだい、その事情ってのは。母さんを納得させてみな!」


「……賽銭さいせんに」

「はあ!? 聞こえないよ! もっと大きな声で言い訳しな!!」


「神社の賽銭にしたんだよ!」

「はぁぁぁあぁぁぁあ!? 一万円札を!? お賽銭箱に入れたのかい!?」

「……まあ、その、勢いもあって。いや、でもね、有意義な使い方を」

「どこの神社だい!? ちょっと母さん、行って頭下げて、返してもらってくるから!!」



「ヤメて! バチが当たっちゃう!!」



「なんだい、母さんが神仏の罰なんて恐れてると思ってるのかい!? 安心しな! 母さんが怖いのは、父さんの無限の愛と、バカ息子の将来だけだよ!!」

「違ぇよ! 母さんばばあ!! 俺と毬萌にバチが当たるって言ってんの!」


「まあまあ。母さんも公平もそう熱くならないで。父さんと一緒に発泡酒飲んで落ち着こう。ほら、公平も、薄いカルピス淹れたから」

 ここで裁判官の父さんが一時休廷を申し出る。

 メンマ作る会社で働きながら、メンマに携わらせてもらえなくなったと悲しい顔で呟いていた我が父だが、家庭内での発言力はピラミッドの頂点。

 理由は、母さんが父さんと恋愛結婚をした事にある。

 未だに母さんは父さんにベタ惚れであるからして、とどのつまり父さんの言う事は我が家の正義ジャスティス


「すると、アレかい? 公平は、毬萌ちゃんとの縁を神頼みするのに、一万円札をお賽銭箱に投げ入れたって言うのか。ははあ、大した事をするなぁ」

「なんつーか、その場のノリみてぇなとこもあったけど」

「いやいや、男は勢いも大事だからね。どうだい、母さん。そう言う事なら、公平にお小遣いを前借りさせてあげようじゃないか」

「と、父さん!」


「そうね! あらヤダ、この子ったら、見かけによらずロマンチックなんだから! 誰に似たのかしらねぇ! 竹野内豊かしら!」

「俺のどこに竹野内豊の遺伝子が混じってるんだよ」

「あらまあ、間違えちゃったわ! お父さん! よく似てるものねぇ!」



 似てねぇよ! 少なくとも、竹野内豊はハゲてねぇもん!

 とは言え、小遣いを前借りする手前、声には出せない。



「大事に使うんだぞ? なんてったって、父さんの会社、倒産しそうだからね! 父さんだけに! あっはっは! 母さん、発泡酒もう一本良いかな? 今日も奇麗だよ」

「まあ! お父さんったら、正直! 母さんエビスビール出しちゃう!」

 サラッとうちの命運が怪しい発言があったけども、聞かなかった事にする。

 浮気されても知らなけりゃ悲しくならないってバックナンバーも歌ってた。


「じゃあ、俺ぁちょっと毬萌の家行ってくるから」

「あらそう。ああ、じゃあついでにゴミ出しといてくれるかい?」

「おう。分かったよ。ってぇ、おい! これ俺の植えたばっかのヒヤシンス!!」

「ああ、それねぇ。母さんうっかりひっくり返しちゃってね。そのまま二日忘れてたら、萎れてきてたから捨てといてあげたよ!」



 全部母さんばばあのせいじゃねぇか! ちくしょう、もうヤダこの家!!



 俺は、涙をこらえながら自転車にまたがった。


 毬萌の家の呼び鈴を鳴らすと、おばさんが出迎えてくれる。

「あら、コウちゃん。いらっしゃい。上がってちょうだい。メロンソーダが冷えてるけど、温かい飲み物の方が良いかしらね?」

 俺はおばさんの温かさに感涙寸前である。

 そしてそのありがたい気遣いを、丁重にお断りした。

 うっすいカルピスなんて飲むんじゃなかった。ちくしょう。


「毬萌ー。入って良いかー?」

「あっ、コウちゃん? 良いよーっ! 入って、入ってー!!」

 毬萌は中学の体操服でベッドに寝っ転がってじゃがりこを食っていた。


「お前、この季節その恰好だと寒いだろ? 風邪ひくぞ?」

「へーき、へーき! お布団グルグルってするから、あったかいよ?」

「そうか。まあ、お前が風邪引かねぇなら、それで良いんだが」

「にへへーっ。心配してくれて、ありがと、コウちゃんっ!」

「ばっ! 心配とかしてねぇし!? 別に全然してねぇし!?」

 毬萌は「にひひっ」と笑って、新しいじゃがりこの封を開ける。


「毬萌、晩飯食ってねぇの?」

「ほえ? 食べたよー?」

「……それで、なにゆえじゃがりこ二箱も食っとるんだ。太るぞ」

「太らないもーん!」

 お前、そのセリフ絶対に花梨の前で言うなよ。


「それにね、こっちはチーズ味! そっちはサラダ味! 別腹なのだっ!」

「そうかよ」

「ねね、サラダ味のサラダって、何のことか知ってる?」

「ん? いや。でもまあ、普通に野菜のサラダなんじゃねぇの?」

「ぶぶーっ! 違いますっ! んっとね、サ・ラダって言う人が、江戸時代後期に平戸ひらどに来てね、揚げ物を作ったの! でぇ、その人の名前が由来なんだよっ!」

「ははあ。知らんかった」



「嘘だよっ!」

「なんで嘘つくんだよっ!!」



 信じたじゃん! 天才は違うなぁって思ったじゃん! 


「ホントはサラダ油で揚げた塩味って言うのが起源なのっ!」

「ちくしょう。みんなして俺の事バカにしやがって」

「ほえ? どしたの、コウちゃん?」


 そうだった。

 俺はここに毬萌の嘘トリビアを聴かされるために来た訳ではない。

 なんか今晩は辛酸しんさん舐めっぱなしだが、ここは筋を通すところである。


「土産買う時に借りた金、返しに来たんだよ。……サンキューな」

「なんだぁー。別に、今度でいいのにっ!」

「いや、こういうのはキッチリしとかないとだな」

「にははっ、コウちゃんのそーゆうとこ、好きー!」

「う、うるせぇ! こんなもん、当たり前の事だろうが!」


「んーん。そうでもないんだよ? 知ってる? 友人同士の金銭の貸し借りでそれがうやむやになる割合って、六割を超えるんだよ?」

「マジか。世の中って世知辛ぇなぁ」



「嘘だよっ!」

「だからなんで嘘つくんだよっ!!」



「もう俺ぁ帰るからな! お前、腹出して寝て風邪ひくなよ!」

「はぁーい。コウちゃん、おやすみーっ」

 階段を降りると、おじさんと鉢合わせた。


「やあ、コウちゃん来てたのかい」

「うっす。もうおいとまします。……あの、そいつぁ?」


「ああ、毬萌が買ってきた千枚漬けをぬかに漬けるとどうなるのかと思ってね!」



 おじさん、多分それ、普通に悪くなると思います。



 そんなこんなで、なんだかひどく疲れた、夜のお話。

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