第210話 チョコレートと悪夢

「なあ、花梨! 花梨さん! お土産、お土産はどうなったの!?」

「もぉー。先輩ってば、がっつかないで下さいよー」

「だって、お前! ハワイだろう!? なんか、変なお面とかか!?」

「……コウちゃん、それ、貰って嬉しいかなぁ?」

 嬉しいに決まってるじゃねぇか!

 観光地の土産物なんて、いかに訳の分からん買い物ができるか、ギリギリを攻めるから楽しいのに、それが分からんとは、毬萌もまだまだ子供だな。

 俺、観光地の名前入り提灯、絶対買うよ?



「あー。ご期待に添えられないで申し訳ないんですけど、これです」

 花梨が差し出したのは、箱に入ったチョコレートだった。


「おう。なるほど。ハワイと言えば、マカダミアナッツだもんな!」

 それはそれで嬉しい。

 俺、ロッテのマカダミアナッツを頑張った自分へのご褒美に時々買うくらい好物だもの。

 本場のマカダミアナッツチョコって、きっと美味しいんでしょう?


「またまたごめんなさい、先輩。これ、ナッツのチョコじゃないんです」

「あー、そうなの? でもまあ、美味そうだぞ。食っても良いか?」

「はい! もちろんです!」

「いやー。ちょうど昼飯のあとのデザートが欲しかったんだよ。いただきます!」

 口に放り込むと、何やら複雑な味がした。

 俺の知らないチョコレートの味である。


「ただいま戻りました。おや、冴木さん。それ、ブルガリですか?」

「さすが鬼瓦くん。洋菓子屋さんだけあって、詳しいですねー」

「ほーん。なに、有名なの? うん、意外と美味いな。どれ、もう一つ」


「ええ。高級チョコレートです」

「マジか。悪いなあ、そんな気を遣わせちまって。もしかして、一つ100円とかしちゃう感じか? 結構あるみたいがら、もう一つ貰うぜ」

「こちらの商品だと、僕の記憶が確かなら、一つ1000円くらいだった気が」



 ——えっ?



「ま、またまた! 鬼瓦くん、さっきの仕返しか!? よせやい!」

「鬼瓦くん、惜しいですねー。正確には、一つ1700円くらいです!」



 俺がアホ面で口に放り込んだチョコ、一つ1700円!?

 それを3つも食ったから……ご、ごご5000円オーバー!?

 お、俺の1カ月の小遣いが、この一瞬で俺ごときの腹の中に!?



「花梨。俺ぁ、一体何をしたら許してもらえるだろうか……」

「えー? 何言ってるんですかー! いっぱいあるから、食べて下さいよー!!」



 食えるかい!!



 もうなんか、体が拒絶反応起こしてるのか、お腹痛くなってきたよ。

 昨日のうちの晩飯、3つで270円のちくわで作った磯部揚げだよ?

 胃が破裂するくらい磯部揚げ食っても、今のチョコ分ペイできないよ。


「んーっ! おいひーね、花梨ちゃん!!」

 俺、毬萌の何事にも動じない胆力、時々すごく輝いて見える。

 凄いなぁ、お前。

 そのチョコ1個持って回転寿司行ったら、豪遊できるんだよ?


「あーっ! 落ちちゃうっ!」

「ばっ! おまっ!! ばーっ!! ばぁぁぁぁっ!!」

 かつてバレーボールの試合でも見せた事のない、完璧な回転レシーブであった。


「おおー! 公平先輩、すごい!」

「ええ。素晴らしい反射速度でした! お見事です!!」

 ねえ、なんでみんなこのチョコの値段に動じていないのかな?

 あれかい? もしかして、君ら全員、上級国民とか言うヤツなのかい?


「にははーっ、ごめんね、コウちゃーん」

 おう。こいつはアホの子なだけだな!

 なんだか少しホッとするよ。ありがとう、アホな柴犬。



「さてと、それじゃあ、二学期のお仕事スタートだよー! あーむっ」

「ぐぅぅうぅっ。そりゃあ良いが、チョコ食いながら仕事すんなよぉぉぉっ」

「ほえ? なんでコウちゃん苦しそうなの?」


 目の前で1700円が瞬いては消えてを繰り返しているからだよ!!

 もうヤメろ! 俺の精神が摩耗し過ぎて粉になるわ!!

 頭がおかしくなる! 狂いそうだから、マジでもうヤメて!!

 もうホント、狂いそうだから!!


「えと、最初にあるのは、泳ぎ納め会、ですか?」

「それは僕も気になっていました。何をする行事なのでしょう?」

「んっとねー、プールの授業が終わるから、最後にちょっとした記録会をするんだよーっ! 各学年で最下位になったクラスは、プール掃除をするの! あーむっ」

「きぃえぇぇえぇっ! きょっちょれぇぇぇえぇっ!!」


「なるほどー。あたしたちは何かするんですか?」

「うん。運営と、デモンストレーションで何人かが泳ぐのが慣例だねーっ」

「ええー。あたし、お力になれそうにないです……」

「にははっ! 今年はわたしとコウちゃんが出るよーっ! ね、コウちゃん、良いでしょ? あーむっ」

「うぃえぇえぇぇぇっ! ちんちみぃぃぃぃぃいぃぃぃっ!!」


「次は写生大会でしょうか。これは、全学年で行うのですか?」

「そだねーっ! 市内の3か所から、好きな所を選んで絵を描くんだーっ! これは、引率として、わたしたちは手分けしないとだねっ! あーむっ」

「ひぃえぇぇえぇぇっ! みょおぉぉおぉぉおぉぉおぉっ!!」


「とりあえず、9月の二週目までの行事はこの二つなんですね!」

「九月は意外と行事が固まってるから、忙しいときと暇なときの差が大きいんだよっ! だから、空いた時間を有意義に使うように心がけようね! あーむっ」

「……………………モルスァ」



 その後簡単な書類整理をこなして、この日は解散となった。

 毬萌を家まで送り届けたあと、家に帰った俺は死体のように倒れこみ、そのまま翌日の朝まで眠り続けた。

 繰り返し、同じ悪夢を見て、何度もうなされながら。



 その夢の中では、何故か毬萌と夫婦になっていた。

 そして、毬萌は息をするように高級チョコレートを食べるのだ。

 俺はそれを泣きながらヤメてくれと懇願するのに、毬萌は止まらない。

 早朝、ようやく悪夢から目覚めた俺は、目じりに涙を溜めつつ思った。



 世の中に、これほどまでに苦いチョコレートは存在しないだろう、と。

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