第80話 氷野さんと包丁

「じゃあ、みんな! バーベキューの準備をしよーっ!」

 毬萌隊長の号令である。



「買い物班の三人は少し休んでもらうか」

「そだねー」

「あら、私は平気よ? 荷物もほとんど鬼瓦武三が運んでしまったし、実質スーパーで品定めくらいしかしていないもの」

「そう? じゃあ、マルちゃんはコウちゃんと一緒にお野菜を任せても良いかな?」


「ゔぁああっ」


 氷野さんが心の底から「いらん事言うんじゃなかった」と言う表情をしたのち、鬼瓦くんみたいな声を出した。

 しかし、大好きな毬萌の采配に異議を唱えるのは良しとしなかった模様。

 下唇を噛み締めながら、「わ、わがっだわ」と了承。


「わたしはお肉とお魚を調理場で切って来るよっ!」

「はなはだしく不安なのだが」

「失礼だなぁー! 切るくらいできるもんっ!」

「じゃあ、あたしも一緒に行きます! 毬萌先輩、二人で公平先輩をびっくりさせましょう!」

 こう言っちゃ申し訳ないが、花梨もそんなに料理のレベル高くないよな。

 前に作ってくれた弁当、三時間かけたとか言っていた記憶がある。

「鬼瓦くん、すまんが」

「分かりました。僕もあちらへ加わりますね」

 相変わらず、察しが良くて助かる。

 鬼神しっかり。

「真奈ちゃんと心菜ちゃんは、器具の準備をしてくれるかな? もうほとんど出来てると思うから、のんびりやって良いよ! 困ったらコウちゃんに聞いてねっ」

「は、はい!」

「真奈姉さま、一緒に頑張るです!」

「う、うん。がんばろう、ね!」



 肉や魚介類の痛みやすいものをクーラーボックスに入れて、調理場へ向かったのが毬萌と花梨と鬼瓦くん。

 少し離れたところで、シートを敷いたり、網を洗ったりしているのが勅使河原さんと心菜ちゃん。

「可愛い、冠、だね! 誰に作ってもらった、の?」

「公平兄さまです! 兄さま、色々できてすごいのです!!」

「ふふっ、すごく、心菜ちゃんに似合って、るよ!」

「わぁーい! あとで真奈姉さまにも貸してあげるのです!!」

「い、良い、の? ふふ、心菜ちゃん、優しい、ね!」

 柔らかな陽光のごとき、ほんわかコンビ。

 見ているだけで心が清められていくようである。

 もしかすると、あそこは天界かな。



「ちょっと! 手を動かしなさいよ! グズね!!」

「あっ、氷野さん、トウモロコシは皮剥いてから洗わねぇと」

「はあ!? し、知ってたわよ! 偉そうに指摘しないで!!」

「ゔあぁぁあっ」

「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ! さらにもう一発!!」

「ちょ、やめ、ゔぁぁぁぁっ」


 そしてこちらが地獄の一丁目。

 トウモロコシのついでに俺の両目に向けて的確に水をぶっかける氷野さん。

「あ、氷野さん。玉ねぎ、ちょっと剥き過ぎだ。なくなっちまう」

「皮剥けって言ったり剥くなって言ったり、どっちなのよ!!」

「ゔぁぁああっ」

 えー、こちら地獄の一丁目。

 報告は、氷野さんが思った以上に料理スキルのない事実。

 これは大人しくしてもらっておいた方が良さそうである。オーバー。



「じゃあ、俺が野菜切るから、氷野さんはそいつを皿に……って、氷野さん!」

 俺としたことが。

 危なっかしい手つきで玉ねぎを切ろうとしている彼女が視界に入った時には手遅れであり、変に気を遣って対応が行き届かなかった事を後悔した。

「痛っ!」


 後悔はしたが、反省は後回しである。


「見せて! あー、こりゃあいけねぇ」

「なっ、なによ、触んないでよ!」

 氷野さんが人差し指を包丁で切ってしまった。

「いいから、見せて! そのあと原付でいてもらって構わねぇから!」

「へ、平気よ、別に! って、何してんのよ、あんた!!」

「止血だよ。あー、俺のシャツなんかで申し訳ねぇけど、我慢してくれ」

「バカじゃないの!? シャツ汚れるじゃない!!」

「何言ってんだ。女子の指に傷でも残っちゃいけねぇ。このまま押さえてて」

 そして俺はシャツを脱ぐ。

 貧相な細腕がこんにちは。

 日差しが強いので手加減してねと太陽にウインク。


「しゃがんで、心臓よりも高い位置で押さえとくと良いらしい。痛くない?」

「……ホント、バカじゃない? あんた、人が良すぎ」

「普通だよ。誰だってこれくらいするさ」

「ふんっ。言われた通りにしとくから、野菜切りなさいよ」

 確かに、作業を進めないと、そろそろ調理場の連中も帰ってくる頃か。

 俺は手早く野菜をトントンと切っていく。

 言っておくが、俺はそこそこ料理のできる男である。

 母親がズボラなので、休日の昼飯なんかはほぼ自分で用意しているためである。

 さほど量もなかったので、10分と少しで切り終える事ができた。

 さて、氷野さんの傷の塩梅あんばいはどうか。


「ちょっと見せてくれる? あー、良かった、傷は深くない。血も止まったね」

「……そうね」

 ご機嫌はよろしくないが、まあそれはいつもの事だから。

「あとはこいつを貼れば完璧。デデーン。キズパワーパッド! これが効くんだ」

「なんでそんなもの持ってるのよ」

「毬萌あたりが怪我するといけねぇと思って。いや、役に立って良かったよ」


 こうして氷野さんの手当ても終わり、野菜も切った。

「……1回しか言わないわよ」

「おう?」



「……その、ありがと。今回ばかりは、ホントに助かったわ」



 ——なんということでしょう。


 氷野さんが、俺にお礼を!?


「……手、出しなさいよ」

 なんだ、そういうオチか。

 ビックリしたよ。これなら普段通りだ。

「はい」

 コロリと一粒、固形物。


 ……ブレスケアじゃ、ねぇ!?



 ……ミンティア、だと。

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