第78話 花梨と売店

 俺が用を足して男子トイレから出ると、花梨はその横にある売店を眺めていた。



「お待たせ。なんか面白いものでもあったか?」

「見て下さい、先輩!」

 花梨が目を輝かせている視線の先には、面白いものが居た。

「……こいつ。ビーバーか?」

 そこに居たのは、げっ歯類のビーバーである。

 俺たちの最寄り駅の通りには確かヌートリアが居たな。

 なんだ、この辺一帯はげっ歯類に侵略されているのか。

「お! お二人さん、どうだい、見て行ってよ!」

 エプロンをして野球帽をかぶった店員さんが寄って来た。

 周りを見ると、俺たちしかいないから当然と言えば当然か。

「さあさあお客人、見たかい? こいつ可愛いだろう? 名前はね、ジャスティン!」


 ビーバーよ。

 お前、凄い名前背負わされてるなぁ。


「可愛いですね! ジャスティンくん! あー、先輩見ました!? 今、こっち向きました!!」

 ジャスティンくんは花梨の心を早々に射止めたらしい。

 なるほど、「絶対名前負けしないぜ」と言う強い意志の宿った瞳をしている。

「二人はカップルかい?」


「そうです!」

「違います!」


 なんで毬萌と言い、君らは嘘をつくのかね。

「違うんですか、先輩?」

「えっ」

「あたし、お試しですけど、恋人じゃなかったんですかー?」

「えっ」

 ジャスティン! ジャスティンビーバー、助けてー!!


「そんなむつまじいカップルには、こいつだ! どうだね、イカしてるだろう?」

 店員のおじさんが、ネックレスのようなものを出した。

 ような、と表現したのは、その造りが余りにも粗雑であるからに他ならない。

 安っぽい輪っかに、木くずみたいなものが据え付けられている。

「なんすか、それ」

「こいつは、ジャスティンくんの削った木だね! 丁寧に削ってあるから、なかなか見事だろう? ジャスティンくんは仕事が細かいんだ」


 木くずじゃねぇか!!


「さらにジャスティンくんは1日に一度しか木を削らないからね! しかもその時によって形が違う! 同じものはない、一点ものだよ! お値段500円!」


 木くずに500円! ぼったくりじゃねぇか!!


「どうだい、彼女! 彼氏にプレゼントしてもらいたいよな? 今日の記念に!」

 おじさん、相手が悪かったな。

 花梨はとても聡明な子だぞ。

 そんなものに釣られるか。


「先輩! 先輩! 今日の記念ですって! 知ってます? 女子は記念に弱いんですよ?」

 釣られたね。

「ほら、彼氏ぃ、彼女がこんないじらしい事言ってるよぉー?」

 おじさん、初対面でこんな事を思うのは不敬を承知で言うけども。


 その気色悪い裏声をやめてくれないかな。生理的にイライラするなぁ。


 さらに続く、おじさんの胡散臭いトーク。

 全ての施設が洗練されているように思えて疑わなかった花祭ファームランドであるが、こんな場末の露天商みたいなところもあるとは。

 やはり、どんな清流にも淀みはあるものだと納得。


 ふと、ビーバーに目をやる。

 猛烈な勢いで丸太をガリガリやっている彼と目が合い、ジャスティンくんは「いっけねぇ!」と言う顔をして、作業を止めた。

「あの、ジャスティンくん、今まさに木を削ってますけど」

「あちゃー! 今日はとびきりステキなカップルを前にして、張り切っちゃってるね! こんな日は滅多にないよ!」


 嘘つけ!!


 そもそも、そんな安っぽいもの、花梨の胸元にゃ似合わないだろうに。

「公平先輩? どこ見てるんですかー?」

「ち、違う! これは罠だ! 本当に今回は違う!!」

 確かに胸を見たけども! いやらしい目的ではなかったんだ!

 うん、こうやって言い訳すると、普段はいやらしい目的で見てるみたいだね!

 はは、日本語って難しいや!

「先輩! 今日を逃したらもう手に入らないんですよー!?」

 そう言って、俺の腕を引っ張る花梨。

 何やら幸せな感触が、俺から理性をこそぎ落としていくように思われた。


「……ひとつ下さい」

「はーい、彼氏さん、ステキなプレゼントお買い上げー!」

 何が悲しくてこんな木くずに500円も散財せねばならぬのか。

「やったー! ありがとうございます、公平先輩!」

 ああ、この笑顔のためなのね、と得心した。



「ふふふーん! どうですか、先輩!」

 あんな木くずでも、花梨が付けるとエスニックな首飾りに見えるから不思議。

「まあ、喜んでくれたなら良かったよ」

「喜びますよー! 先輩が買ってくれるものなら、何でも嬉しいです!」

「家があんなにお金持ちのお嬢さんなのにか?」

「あー、先輩、乙女の心が分かってないですねー。こういうのは、値打がどうこうって問題じゃないんですよー?」

「ははあ、そんなもんかね?」

「そうです! 誰に買ってもらったか。その一点で、モノの価値は変わるのです!」

「なるほど。勉強になるな。んで、そのネックレスに価値はあるのか?」

「もちろんです! プライスレスですよ!! 家に帰ったらパパに自慢しちゃいます!」


 えっ。あのお父さんに!?


「それはヤメといた方が良いんじゃねぇかな」

 主に俺の身の安全的な観点から。

「平気ですよー。パパ、先輩のこと気に入ってますから! 今朝も出がけに、次はいつ彼を連れてくるのかーって聞いてましたもん! 社交界のマナーを教えるって張り切ってました!!」

 あああああ、どうして俺がいない所で俺の社交界デビューが決まろうとしているのか。

「うん。そのうちお邪魔しますってお伝えしといて……」

「はーい! あたしもパパも、いつでも大歓迎ですよ!」


 再び芝そりに興じるキッズたちの歓声が聞こえる場所まで戻ってきた俺たち。

「そうだ! 特別に、合宿が終わるまで、好きに見ていいですよ?」

「ん? 何を?」

「あたしの胸です!」

「えっ!?」

「正確には、胸のネックレスですけど! あはは、先輩のエッチー!」

「……Oh」



 拝啓。ジャスティンくん。

 理由は内緒だけど、一応言っておくね。

 ありがとう。次に会う時まで壮健なれ。

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