第48話 氷野さんと自転車 ところにより鬼瓦くん

 良く晴れた休みの日。

 俺は鬼瓦くんと一緒に岩志いわし川にやって来ていた。

 一級河川でもある岩志川。

 夏になると釣り人やバーベキューをする人などで賑わう。

 河川敷も大変広く、運動に精を出す人も散見される。

 それでは俺たちも運動に来たのかと言えば、少し違う。

 運動は運動でも、させる方なのだ。



「よーし、花子! 取って来い!!」

 鬼瓦くんが投げたフリスビーをダッシュで追いかけて華麗に空中で奪取だっしゅ

 花子の妙技に俺はうっとり。

 そして嬉しそうな顔をして、鬼瓦くんのところへと戻ってくる花子。


「偉いぞ、花子! 先輩の前でも上手にできたね!」

 花子は女の子の柴犬である。

 鬼瓦くんの愛犬であり、彼の実家である洋菓子屋の看板犬でもある。

 お店の前で愛想を振りまき、大層な人気を得ているとか。

 人気の秘密はもはや語るまでもない。


「わふっ! わんっ、わんっ!」

 花子が俺の足元にフリスビーを咥えてやって来た。

 つぶらな瞳が俺を刺す。

「先輩に遊んで欲しいみたいですよ!」

「お、おおっ! 花子、俺みてぇなモヤシでも遊んでくれるのか?」


 もうね、カワイイ。


 たまの休日になにを男二人で出掛けているのだ、この甲斐性なし?

 まあまあ、青筋立てるなよ、ヘイ、ゴッド。

 そりゃあ、花梨に予定は聞かれたし、毬萌からも今朝遊びに誘われた。

 けども、断った。

 俺は約束を守る男である。

 鬼瓦くんと一緒に花子を連れて河川敷へ行く事は、もう先週から決まっていたのだ。

 いかに可愛い後輩の花梨や、大切な幼馴染の毬萌であっても、急用でなければ先約を優先するのはすじであり、人として当然の事。

 たまには男だけで柴犬と遊ぶ休日があったって良いじゃないか。

 バカな柴犬も可愛いが、賢い柴犬だって可愛いぞ。



「よっしゃ、行くぞ花子! うらぁっ!!」

 俺の投げたフリスビーはかなり低い弾道を描き、「これは花子に悪い事をしたなあ」と思うものの、その地面スレスレの円盤を彼女は見事にスライディングキャッチ。

 俺の心もがっちりキャッチした瞬間であった。


「わふっ! わふっ!」

「おーおー、よしよしよーし!! お前は可愛いなぁ、おい!!」

「良かったね、花子。だから言っただろう? 桐島先輩は優しいって」

「わっふ! わんっ!」

「ああ、たまらんな、これは! な、なあ、鬼瓦くん、もう一回いいか!?」

「もちろんです! 花子、先輩がまた投げてくれるよ」

 そしてテンション爆上げでフリスビーをシュッとやったところ、見事に手元が狂い、何故か後方へ飛んでいく。

 更にあろうことか、自転車の練習をしていた人にぶつかってしまう。


「わっふ!」

「お、俺としたことが! なんて事を!!」

「先輩、謝りに行きましょう! 花子、待って! ステイ、ステイ!!」

 花子、俺、鬼瓦くんの順番で、自転車の人へジェットストリーム謝罪を仕掛ける。


「どうもすみませーん! 手が滑っちまって! お怪我はありませんか!?」

 まあ、フリスビーが車体にコツンとやっただけだから、にこやかに許してもらえるだろう。

 結構大きなシルエットに見えるが、自転車に乗れないと言う事は、年齢は中学生くらいか。


 ここで注意しなければならないのは、鬼瓦くんである。

 フリスビーを当ててしまって、更に悲鳴を……なんて事になったら申し訳なさすぎる。

 花子は利口な犬なので、鬼瓦くんの指示を聞いてステイ中。

 息を切らせながら追いつくと、件の女子が立っていた。

「いやぁ、本当に、どうも申し訳ねぇことで」


「き、桐島公平!? なんで、あんたがここにいるのよ!?」

「おわっ、氷野さん!?」

「花子ぉー。こっちにおいで。そこは危ないからね」


 鬼瓦くんが花子を抱いて緊急脱出ベイルアウト

 と、とりあえず、何か言わなければ。

「氷野さんって、自転車乗れないの?」


「さー、花子。あっちでお花摘もうねー」

 鬼瓦くんどこ行ったとキョロキョロするも、一瞬。

 何故ならば、俺の首が氷野さんによって締め上げられているからである。

「この事を誰かに言ってごらんなさい? ……殺すわよ」


 ひぃやぁぁぁぁぁぁっ!



 俺は自転車を支えて走る。

「ちょっと、ちゃんと持ってるんでしょうね!? 手を離したら殺すわよ!?」

 どうしてこうなった。

 楽しい花子との時間を返してくれ。


「ここで死ぬか、私を自転車に乗れるようにするか、選びなさい!」

 こんな理不尽な二択を迫られたことが、かつてあっただろうか。


「あっ! なんだか安定してきたわ! ねぇ、もしかして、私乗れてる!?」

「はひぃ、はあ、はふぅ、へえ」

「なんでまだ後ろ持ってんのよ! こういうのは、折を見て離すのがマナーでしょう!? あんた、バカなの!?」

「あひゅん」

「ちょっと、急に離すな! きゃああっ!」

 氷野さんが盛大にこけたが、怪我はなかったので安心されると良い。

 ちなみに、先んじてすっころんだ俺は膝を強打したよ。



「ひ、氷野先輩、どうぞ。フルーツティーです……」

 鞄の中から水筒を出して、温かい紅茶を差し出す鬼瓦くん。

「……ありがと。甘いわね」

「はい」


「なんか喋りなさいよ、桐島公平!!」

 最近では、彼女の理不尽に慣れ始めている自分が何より恐ろしい。

「どうして急に自転車に乗ろうと? 別に困ることもないんじゃ?」

「……誘われたのよ」

「おう、何に?」

「毬萌によ! 一緒にサイクリングに行こうって誘われたの! だったら、自転車に乗れなきゃダメでしょ!?」


 この人、意外と健気なんだよなぁ。

 しかも、結構助けられてもいるしなぁ。


「分かった! 俺ぁ手伝うよ! 氷野さん、今日中に自転車をマスターしよう!」

「ほ、本当に!? ……あっ。ま、まあ、あんたがやりたいって言うなら止めないわ」

 これ、ツンデレかな?

 デレてる? 相当判定微妙じゃない?

「ほら、これ食べなさいよ!」


 ……ブレスケアじゃねぇか。



 そして、地獄の特訓が始まった。

「良いわね? 私がって言ったら離しなさいよ! きゃあっ、バカ、今のは合図じゃないわよ!!」

 5メートルは進んだ。


「待って、まだよ! もう少しでコツが掴めそうだから! ねえ、聞いてるの? って、なんであんたそこで倒れてんのよ!? きゃあああっ」

 15メートルは進んだ。


「あっ、良い感じかも! はいっ、離して良いわよ! ちょっと、離しなさいよ!!」

 俺はとっくに後方で死体になっております。

 鬼瓦くん、あとよろしく。

「氷野先輩! のれでいば……ゔぁぁぁぁ! 失敬。今、乗れておられます!」

「えっ、嘘!? だってこんなにスムーズに……! 私、乗れてる!!」

「完璧ですよ! そのままUターンしてみましょう!!」

「オッケー! あははっ、なんだ、簡単じゃない! あっ、桐島公平、危ないわよ」

 えっ、ちょっと、待っ——。



「あんたたちも、たまには役に立つじゃない! 褒めてあげるわ!」

「あああっ! きりじば先輩! お気を確かに!!」

 氷野さんの自転車がナチュラルに俺を轢いたが、奇跡的に無傷であった。


「まあ、一応助けてもらったみたいだし? 礼は言っておくわ。その、ありがと、桐島公平」

 これはデレてる?

 微妙だけどデレのラインちょっとだけ超えてない?


「それで、サイクリングはいつ行くの?」

「明日よ!!」

「ゔぁああぁっ!! せ、先輩、これを!」

「ん? ああああっ」

「何よ、うるさいヤツらね!」

 鬼瓦くんが俺を見る。

 分かった、俺が言うのね。


「氷野さん。……明日の天気予報、降水確率90%なんだけど」

「……えっ?」



 ほら、急にデレたりするから、雨が降るんだよ。

 その後、氷野さんは俺に散々八つ当たりをしたのち、普通に自転車に乗り、帰って行った。

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