第37話 オリエンテーリングの朝

 そして迎えた月曜日の朝。



 俺たち生徒会が風紀委員と準備していた二大イベントの二つ目。

 オリエンテーリング開催の日である。

 俺は毬萌の家へと向かう。

 呼び鈴を押してからの間すら長く感じるのは、何故か。

 毬萌も本調子ではないが、実のところ俺も調子は今一つ。

 どうにも気分がスッキリしない。

 その原因が判然としないのだから、なお悪い。

 だが、俺の不調なんぞ、どうでも良い。

 毬萌は出てきてくれるだろうか。



「……おはよーっ。コウちゃん」



 控えめに見ても元気はなかったし、目元からは明らかな寝不足の気配がありありと放たれてはいたものの、毬萌だった。

 どこからどう見ても毬萌であった。

 ひとまず、顔が見られてホッとした。

「行くか、学校」

「……うんっ」


 いつもはラジオDJかと思うくらいお喋りな毬萌なのに、今日は言葉少なである。

 そういう日だってたまにはあるさと、俺は会話を切り出す。

「あー、今日はな、お前、無理しなくていいからな?」

「……うんっ」

「アレだよ、花梨が元々陣頭指揮執ってたわけだし、な? それに、風紀委員の連中もいるし、鬼瓦くんもいる。俺も……ああ、俺もいるから、お前は無理すんな」

「分かったよーっ。……ありがとね、コウちゃん」

「……おう! 気にすんな」

 気にしているのは自分じゃあないかと思うにつけ、やはり俺も完調には程遠い模様。


 他力本願は主義に反するが、今日は周りの力も当てにするべきか。

 そのあとも、俺のハツラツトークセッションは実らず。

 学校に到着してしまった。

 俺は、恐らく今日に限っては貴重である二人きりの時間を無為に浪費したらしかった。



「おはようございます! 公平先輩! 毬萌先輩!」

 かなり早く家を出たのに、既に花梨はジャージに着替えて臨戦態勢だった。

 彼女にとって高校生活初めての大イベントであり、運営責任者でもある今日に掛ける気合は並々ならぬ様子で、そんな姿を正直頼もしいと感じてしまう。


「おう、おはよう! やる気だなー、花梨」

「もちろんですよ! あたしが任せて頂いた企画ですもん! だから、今日先輩たちは楽をしていて良いですからね?」

 本当に、気遣いもできる聡明な女子である。

「そうだな。花梨先輩に任せて、楽させてもらうか!」

「あははっ、そうです! 今日はあたしが仕切っちゃいます!!」

 胸の前で手をギュッとすると、優しく笑う花梨。


「いたいた、神野くん!」

 生徒指導教諭の浅村先生がやって来た。

「今日のタイムスケジュールの確認なんだがな、ちょっと向こうで話せるかい?」

 俺と花梨がほとんど同時に「それなら自分が」と声を出すが、毬萌は首を振る。

「へーき、へーき! わたしは生徒会長だからねっ! 今日は裏方さんだけど、ちゃーんと働くよーっ! じゃあ、行ってくるねっ」


 ……本当に行ってしまった。

「あの、毬萌先輩、平気なんですか?」

 花梨は心配そうに俺を見る。

 ここで「実はヤバそうなんだよぉ」などと言うレベルには、まだ俺も落ちぶれちゃいない。

「ああ見えて、毬萌は責任感が強いから、大丈夫だ。なにより天才だからな。無理だと思ったら、俺たちに言ってくれるさ」

 少しばかり願望の込められた言葉だった。


 それから俺と花梨は飲食物の運搬の管理に繰り出して、気が付けば一般生徒たちが揃って登校する時間になっていた。

「みなざん、おばようございばず! ゔぁああぁぁん! 失敬。おばようございます! 本日は、生徒会主催のおりえんでーじんぐぉぉぉん!! 失敬、オリエンテーリング」

「誰ですか、鬼瓦くんに放送室任せた人は!!」

 お怒りの花梨さん。

「あ、あのぉ、彼が、僕が行くよって自分から……」

 近くにいた風紀委員の男子が報告してきた。

 鬼瓦くんも生徒会の危機に立ち上がったようだが、

「もぉー! 適材適所って言葉を知らないんですか、あの人は!」

 と、放送器具とすら見つめ合うと素直にお喋りできない鬼瓦くんに怒りの矛先を向けた。


「あたし、ちょっと行ってきます! 先輩、ここ、少しの間お任せしますね!」

「あー、おう。あのな、鬼瓦くんだって」

「分かってます! ちょっとしか叱りませんから! ……ふふふっ」

 鬼瓦くん、無茶しやがって。

 十数分後にしょんぼり瓦くんがやって来たので、俺は彼にマウンテンデューを振る舞い、頑張りを労った。



「ちょっとあんた! 冷蔵庫に入れる物はもっと詰めなさい! 全部入らないじゃない!」

「そっちのあんた! それどこ持って行くのよ!? 二度手間でしょう!」

「どうなってるの、ここは! 責任者はどこのバカかしら!?」


 わたくしめでございます。

 恐る恐る手を挙げると、つかつかと距離を縮めた氷野さんに襟首掴まれる。


 先日遊園地でヤンキーに同じ事をやられたが、こっちの方が二百倍怖い。

「腑抜けているんじゃないの!? シャキッとしなさい、桐島公平!」

「も、申し訳ない。すぐ俺も手伝いを」

「あーあー! いいわよ、あんたは! そんな細腕じゃ、もの運べないでしょ!」


 誰かー。大至急、オブラート持って来てー。

 一枚や二枚じゃ足りないから、箱で持って来てー。


「なんだ、イイのがいるじゃない! 鬼瓦武三! あんた、運搬の責任者やりなさい!」

「ゔぁい! ゔぁかりばじだ!!」

「お、おい、大丈夫か? 無理なら言ってくれよ?」

 これ以上退場者が出ると、本格的に困るのだが。

 しかし、氷野さんの荒々しすぎる檄が、鬼瓦くんに火をつけた。


「みなさん、持てるだけの量を抱えたら、仮置き場の体育館へお願いします! 怪我をするといけないので、持てない分はこちらに! 僕が全部持ちます!!」

 ヤルキ瓦くんは、50キロはありそうなジュースの束を肩に抱えて、悠然と歩いて行った。

 ヤダ、カッコいい。

 後輩たちが精一杯頑張っている。

 ならば、俺だって負けていられないではないか。


「手の空いてるヤツはこっち来てくれ! 案内板を渡すから、指示する場所に行って、ガムテープで固定! 剥がれた板で怪我人が出ちゃいけねぇから、厳重にな!」

「はい!」

「分かりました!」

「副会長、こっちも持って行っていいですか?」

 風紀委員たちの士気も高く、指示が実に伸びやかな放物線を描く。

「おう、頼む!」

「最初からちゃんとやりなさいよ! あんたなんて、その器用貧乏がなくなったら何も残らないんだから!」

 氷野さんなりのフォローだろうか。

 今はありがたく受け取っておこう。


「ほら、手、出しなさいよ」

 えっ、もしかして、握手だろうか!?

 「この世から一人消すなら迷わずあんたね」と、本気の顔で言っていた、あの氷野さんが、俺に手を出せと言っている!!

 そうだ、この世に溶けない氷などないのだ!!

 

 差し出した手には、コロリと一粒、固形物。



 ……ブレスケアじゃねぇか。



 俺は、そう言えば永久凍土なんてものもあったわね、と空を見上げた。



 バタバタしてしまったが、どうにか準備も完了。

 時刻もピッタリ予定通り。

 放送室のマイクに向かって、花梨が宣誓する。

「お待たせいたしました! 9時半ちょうどから、生徒会主催、オリエンテーリングを開始いたします!」

 堂々としたものだ。

 初めて彼女を見た、入学式の事を思い出す。

 あの時は講壇の隙間からしか見る事が叶わなかったが、どんなシチュエーションで聞いても、彼女の声は凛としている。

「あたしたち、生徒会役員と風紀委員が、責任持って皆さんをおもてなしします!」



 不安は諸々あるものの、である。

 ——さあ、いよいよ。

「ぜひ、楽しんでください! 生徒会書記、冴木花梨でした!!」


 祭の始まりだ。

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