第62話 碑文の内容 12/5 (wed)
パーティ情報が明らかになってからの鳴瀬さんの翻訳作業には鬼気迫るものがあった。やはり新事実への好奇心が大きなモチベーションになっているのだろう。
しかも、自由裁量勤務が認められていたから、朝から晩までどころか、朝から朝まで、うちの事務所にこもって作業していた。
異界言語理解は、その名の通り異界の言葉で書かれた内容を理解するというスキルだった。
重要なポイントは、異界言語翻訳ではないってところだ。
存在しない概念や、異なる文化、ゲーム的な概念やルールを地球の言語で記すためには、それなりの知識や訓練が必要になるわけだ。
鳴瀬さんは、現在公開されている碑文を、凄い勢いで翻訳していた。何しろダンジョンに関する知識はすでに充分あるのだ。理解できない概念がとても少ない彼女の翻訳速度には、素晴らしいものがあった。
JDAに行かなくて良いのかと聞いたら、「先日四百億も稼いだじゃないですか。十年くらいさぼっても許されます!」なんて無茶苦茶を言っていた。
この人も段々三好とかに染まってきたんじゃと、少し心配したが、日々の報告は入れているようだった。
ま、今はこちらの作業が最優先事項ってことだろう。
実際公開することを考えれば、これはダンジョン管理課の業務と言ってもいい作業だ。大っぴらには出来ないけれど。
たった二日で、うちの事務所の一階にある十六畳の休憩室は、鳴瀬仮眠室になっていた。仕方がないので、三好が、少しいいソファベッドを搬入したようだ。
事務所内にあたるわけだが、「重要なものにはすべてパスが掛かってますから、スパイが一人で事務所にいても平気ですよ」と三好は笑っていた。もっとも、真に重要なものは、すべて一台のノートに突っ込まれていて、資料類もまとめて収納庫の中に仕舞われているに違いない。
何しろデタラメに放り込んでも、取り出すときはちゃんとリスト化されているのだ。便利この上なかった。
できあがった翻訳は、三好がサイトに登録していった。
ただし、碑文に使われている文字のフォントは存在しなかったので、資料として掲載可能な碑文写真と、碑文ID、それに翻訳文を並べたものになった。
当面は日本語だが、公開前に英訳しようと考えているそうだ。公開予定日は、先日モニカに教えたとおり、今年のクリスマスだ。
サンクスギビングには失敗したが、宗教行事にかこつけるのは、俺もダンジョンもおんなじだな。
翻訳が進むにつれて、発見されている碑文は、二種類の本の断片のように思われた。
片方は、The book of wanderers であり。その実態は、ダンジョンの解説書だった。そこには、ダンジョンシステムの説明を始めとして、ダンジョンの特徴やその驚くべき性質などが、断片的に記されていた。
同じ物事の内容が、碑文によって微妙に異なったりしているのは、整合性を取らずにそのまま翻訳した。そこから先をすりあわせるのは研究者の仕事だからだ。いくら写本扱いとは言え、碑文の製作者は、ちょっと凝りすぎじゃないだろうか。
The book of wanderers に属しそうにないと思われた碑文には、奇妙な歴史のようなものが刻まれていた。
「これって、例のフレーバーテキストみたいなもんなんですかね?」
三好が翻訳の一覧のうち、どう見てもダンジョンの解説書では「ない」ものを取り出して、意味のある順に並べようとして、挫折していた。
「もしかしたら、ダンジョンの先の世界の自己紹介なのかも知れないぞ?」
「それを知って貰いたいなら、こんな迂遠なことをしなくても、普通に本を差し出せばいいと思うんですけど……」
「徐々に碑文が集まっていくほうが、長く研究者や探索者の興味をひきつけられるだろ」
「それはそうですけど……まあ、その辺は考えるだけ無駄でしょうから、その他分類で、発見された順に並べておくことにします」
そう言うと、三好は、思考を切り替えるように、椅子から立ち上がって伸びをした。
「休憩するか」
「ですね」
三好がダイニングで、コーヒーの準備を始めた。
「そういや、先日TVのニュースで、例のトレーラーの事故をやってましたよ」
あのトレーラの運転手は、救急隊員によって救出されたが、そのときはすでに心臓麻痺で亡くなっていたそうだ。結局、あれは、運転中の突然死による事故として処理された。
「世界って、陰謀に満ちてるって気がしてきました……」
「平和にのんびり生きたいよな」
「ですねぇ……」
「平和にのんびり生きたい方にはお気の毒なんですが……ちょっと無理かも知れません」
話に割り込んだ鳴瀬さんが、控えめに差し出してきたのは、RU22-0012 の翻訳だった。
碑文IDは、発見した国+エリア - ID の形をしている。
つまり、これは、エリア22(モスクワのあるエリアだ)でロシアが発見した十二番目の碑文だった。
そこには、全探索者が、目の色を変えるかも知れない内容が書かれていた。
それはおそらく、ロシアが伏せたに違いない部分だった。
なぜなら、もしもこれが公開されていたとしたら、トップエクスプローラーの全員が代々木に集まることは無かったはずだからだ。
事実、世界二位のロシアのエクスプローラーは来日していない。
「ダンジョンの二十層~七十九層には、無限の鉱物資源が配置され、それ以降には……ね」
もっとも現時点では、大量に持ち出すこと自体が難しいだろうから、事実上産出量は制限されるだろうが、レアメタルや貴金属なら世界の趨勢をひっくり返しかねない。また、鉱物資源というからには、宝石も含まれる可能性があった。
「八十層以降には……まででとぎれていて、その先はこの碑文には書かれていないんですが」
「きっとミスリルだのオリハルコンだのがあるんでしょう」
俺はちゃかすように言ったが、可能性は高いと思っている。
ダンジョンは、より深部へと人類を誘っている。だからその先には探索するモチベーションを保たせるご褒美が用意されているはずだ。
「どのフロアで何が産出するのかは、ダンジョンによって異なるような記述があるんですが、五十層だけは明示されていて……金、だそうです」
世界中のダンジョンの五十層から金が産出する? しかも無尽蔵に?
「それが知られたら金が暴落しそうだな」
「先輩。ダンジョンから、何千トンもの質量を持ち出すのは大変だと思いますよ?」
現在金の年間産出量は三千トンくらいだ。ダンジョン内、しかも五十層という下層からそれを持ち出すのは確かに大変だろう。
「しかも、そう簡単には、手に入れられなさそうなんです」
そう言って鳴瀬さんが、翻訳文書をスクロールした。碑文には、その採掘方法も記されていたのだ。
「土に関わるモンスターが落とす、マイニングというオーブを使用することで、二十層以降のモンスターが鉱物資源をドロップするようになる、ねぇ……」
ドロップする鉱物資源は、原則一フロアで固定であり、モンスターの種類は関係がないらしい。
「マイニングは、現在の所、未知スキルですね」
「土に関わるモンスターか……マイニングの利用方法から考えて二十層までにいるのかな」
「代々木ですぐに思いつくのは、十三層のグレートデスマーナでしょうか」
「グレートデスマーナか、まあ、土には関係あるよな」
モグラだけど。
「ストレートに、ノームとか、ゲノーモスとか、グノームとか、グノーメとか、ついでにドワーフとか、そんなのがいればな……」
「あれ? 先輩。ゲノーモスは代々木にいたはずですよ」
俺の投げやりな台詞を聞いて、三好が言った。
「マジ?」
「たしか……」
「十八層です」と、鳴瀬さんが補足した。
「急峻な山岳層です。ゲノーモスは山岳の洞窟に住んでいるモンスターですが、十八層はほとんどが険しい山脈か、面倒な地下洞窟で、無限に広がっているように見える山裾も相まって、探索者に敬遠されています」
「そりゃ、ビンゴっぽいな」
「行きますか?」と三好が目を輝かせた。無限の鉱物資源だもんな。夢はある。
「いえ、ちょっと待って下さい。実は、もうひとつあるんです」
鳴瀬さんが再び気の毒そうに差し出してきた資料には、BF26-0003と書かれていた。
「BFって?」
「ブルキナファソです」
「なんだか強そうな恐竜の名前みたいですよね」
ブルキナファソは、西アフリカにある国で、北部に、数年前から続く干ばつで食糧危機に陥っているサヘル地域(サハラ砂漠の南の縁にある、乾燥地域のこと)を抱えている。
日本の援助も広がっていて、あのあたりでは比較的身近な国と言えるかも知れないそうだ。
その碑文は、ブルキナファソ北部ウダラン州(province)最大の街ゴロム・ゴロムの北東三十キロくらいの位置にある、ダーコアイとよばれる広大な池の南に出来た、通称ダーコアイダンジョンから収集されたらしい。
「よくそんな場所のダンジョンが見つかったもんだな」
「最初は、バードライフ・インターナショナルの会員が見つけたそうです」
「なにそれ?」
早速三好が検索した情報によると、バードライフ・インターナショナルは、鳥類保護を目的とした世界最大級の国際環境NGOらしい。
ダーコアイは、そのあたりの鳥類の宝庫で、様々な環境保護プログラムが二千年以降適用されているそうだ。
そして、その資料は、RU22-0012以上に衝撃的だった。
「食料?!」
「碑文を信じるなら、ダンジョンの浅層、二層~二十層には、先の鉱物資源と同様、食料が配置されているそうです」
もしもそれが碑文の間違いでなければ、サヘル地域の食糧危機が解決する可能性がある。それどころか、農業が難しい地域の貧困問題や、ひいては世界の人口問題すら解決する可能性があるかもしれない。
「人類全体にとってみれば、鉱物産出どころの騒ぎじゃないな」
「問題は、その条件なんですが……」
「どうせ、またハーベストとかいうオーブが必要なんじゃないですか?」と三好が冗談めかして言った。
しかし、翻訳の先に書いてある条件は違った。
「探索者の数?」
そう、食料ドロップのトリガは、探索者全体の数だったのだ。
「探索者の数が五億人を超えると、食料がドロップするようになるそうです」
ダンジョンの発生から三年経った現在、その探索者数は一億人弱だ。
一見ずっと先のように思えるが……
「もしもこの情報が公になったら、人口爆発で将来の食糧需要に悩んでいる国が、国家の事業として探索者を登録させかねません」
CNはその筆頭だ。
食料の確保は指導部の最優先課題だろう。国民に強制登録させてもおかしくなかった。
「アジア・アフリカ地域だけで、母数は五十億以上だからな、五億人くらい一瞬で届くかもしれん」
「だけど、先輩。飢餓地域はそれで良いかもしれませんが、そうでない地域は、生産者や流通の混乱を招きませんか?」
現在の地球に飢餓地域がある一因に、生産食料の偏在があることは明らかだ。
もっとも、流通や価格等を考えればやむを得ないことではあるのだけれど。
「食料は売っても大した金額にならないから、ほとんどが飢餓地域の自家消費みたいなものだろう。そうでない地域は積極的にそれを狩るメリットがないんじゃないか?」
しかし三好は首を振った。
「先輩。ダンジョン産の食材で能力の向上が見られる話、しませんでしたっけ?」
おお! そういえば。
「ダンジョン産の作物で、もし本当に能力が向上したりしたら、飢餓地域以外の地域でも大量に狩られはじめますよ。なにしろ二層で得られるんですから」
「うーん。それって、高付加価値食品として、既存の食品と棲み分けないかな?」
もちろん産出量によるとは思うが、ダンジョンの広さは、世界の広さに比べれば微々たるものだ。いくらなんでも、人類全体で消費されている食料の大部分を置き換えるような量の食料が産出するとは思えない。
既存の食品が売れなくなって値を下げると言うより、ダンジョン産の作物が、高付加価値食品として、現在の食品とは別の市場になりそうな気がする。
もしかしたらそのせいで、飢餓地域からダンジョン食材の輸出が行われてしまうかも知れないが、それは通常の食料とバーターされることを祈ろう。
「はー……こういうの見てると、来年から世界は大きく変わりそうな気がしますね」
「いまなら先物を売りまくって大もうけできるかも知れないぞ?」
冗談めかしてそう言ったが、実態はどうあれ、この情報のインパクトは大きい。
穀物系先物の価格は、一時的には安値を付けるはずだ。
冷静になれば、それに大きな影響を与えるほどの産出量が、いきなりダンジョンから得られるはずがない。言ってみればそれは、探索者の家の庭に、家族が食べるための畑が作られた程度の意味しかないからだろうからだ。少なくとも最初のうちは。
「取引履歴を調べられたら、世界中から糾弾されそうだから、やめときます」
そりゃそうか。
インサイダーとは言えない気がするが、Dパワーズが関与しているリークスのせいで相場が動いたとき、三好の名前でそれをやってたら、間違いなく糾弾されるだろう。
「これって今すぐ公開……しても信じて貰えませんよね」
鳴瀬さんの気持ちはよくわかる。けれども碑文情報の公開は現在とてもデリケートな問題で、最初に得る信用がとても重要だ。
「残念ながら。パーティ情報をテコにして、少なくとも世界中で追試して貰える程度の信用を得てからでないと、無視されて終わりですね」
鳴瀬さんは、仕方なさそうに頷いた。
「しかしあれだな。そのうち、『スネッフェルス山の頂にある火口の中を降りていけば、地球の中心にたどり着くことができる』なんて書いてある碑文が見つかりそうな勢いだな」(*1)
あまりに様々なことが掘り起こされる碑文情報を見渡して、俺は冗談交じりにそう言った。
「エリア28のスナイフェルスヨークトルには、実際にダンジョンがありますよ。確か観光用に公開されていたはずです」
「リアル地底旅行かよ」
きっと産出する鉱物は、水晶やダイヤモンドに違いない。
ダンジョン設計者のあまりの周到さに、俺は舌を巻いたのだった。
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*1) Voyage au centre de la terre / Jules Gabriel Verne
倉薗紀彦さんの漫画も面白いですよ。
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