はちみつの午後

みなづきあまね

はちみつの午後

2月にしては暖かい陽気だ。昼の日差しが後ろの窓から差し、背中にぽかぽかとした暖かさが嬉しい。お弁当を食べながら、近くに座る同僚たちとくだらない話に花を咲かせていた。週末を迎え、周りは疲れからなのか静かなのに、私たちのグループだけは、生き生きと話しているという不思議な昼だった。


お弁当を食べ終わり、歯磨きをしに席を立った。今日はまだ一度も彼と話していない。少し気がかりだった。理由は1つ。昨日彼はここ最近の疲れが祟り、眼精疲労と喉の痛みを感じ始めたと呻いていたからだった。


遅く帰宅して適当なものを夕飯として食べ、目薬やアイマスクで気分を紛らわし、温かいお風呂につかることが唯一の慰めらしい。喉もこれ以上酷くならないよう、はちみつ入りののど飴を買ったと言っていた。インフルエンザも流行る季節。これ以上彼の体調が悪くならないか心配だった。


歯磨きを終え、自席に戻った。しばらくすると同じように昼食を終えた人たちが活動し始めた。その喧騒の中、彼も席を立ち、あちらこちらへと歩いて用事を済ませている姿が横目で見えた。私もパソコンを開き、仕事の続きに取り掛かろうとした。


その時、彼が私の所へやってきた。


「あれ、隣の人、今日来てませんでしたっけ?」


彼は私の隣に座っているはずの上司の不在を訝しげに聞いた。今日は休みである。


「休みですよ。もしかして、幻覚でも見たんじゃ?あまりにも疲れてるから。」


私はそうやって少し笑った。


「いたような気がしてた・・・そうか。」


彼はそうつぶやくと、一度私に背を向けて、立ち去ろうとした。私もこれ以上会話が続くことはないと思い、パソコンに目を戻した矢先、「ちなみに」という彼の声が聞こえ、もう一度彼の正面がこちらを向いたのが分かった。


「体調は悪化してます。」


立ったまま彼は私を見下ろし、そう言った。私は「え、なんで?」と不安と驚きの声を発した。


「喉が痛いのと?」

「だるい」

「そりゃそうでしょうね・・・疲れが溜まっているんだから。やっぱりインフルエンザ?」

「いや、それはないと思いますけど。」

「休み取れないんですか?」

「取ろうと思ったけど、今日も外せない仕事があるから来ました。」

「午後は?」

「先輩と仕事変わったので。」


私は彼のその言葉を聞くなり、眉間に皺を寄せ、納得できないという顔をした。


「じゃあ明日は?」

「明日も外せない。まあ、明日の午後、早退かな。」

「早退しましょう。本当、ずっと休みがないんですから。休んでください?」


私は彼の目をじっと見て訴えた。

「お大事に。」


私の見舞いの言葉を聞くと、彼は自席に戻っていった。


周りを気にせず、そこそこの大きさの声で話してしまったことが少し恥ずかしかった。彼が疲れていることは周知の事実だが、体調がここまで悪いことは、たまたま昨日私が話された以外は、どうやら知られていないようだった。


もっと何かしてあげたい。差し入れでも買おうか?しかし、グループが同じわけでもなく、飛び切り仲が良いわけでもなく、彼女でもない。私は思いとどまり、別の方法を思案した。結果、彼に渡す書類もあることだし、その付箋に一言添えることに決めた。


「のど飴舐めて、アイマスクして、肉でも食べて、早く寝てください!」


書類に関する用件の下に小さくそう書くと、付箋を書類に貼り、ファイルに挟んでそれを彼の机に置いた。周りの同僚に見られないかドキドキしながらも、キーボードの上にそっと。


翌日、彼は予定通り昼過ぎに帰ることにしたようだった。見た目はいつも通りだったが、帰ることは決めたということは、よっぽど酷いに違いない。私は、手元に置いてあったスマホを取り上げると、彼がスマホをいじるタイミングを待っていたが、待ちきれずにメッセージを送った。


「早退することにしましたか?」


しかし、しばらく既読はつかなかった。ちょうど自分がいる角度からだと、彼がスマホをいじっているのかが分からなかった。もしいじっているのに既読にならないのであれば、本当に送信を取り消したかった。しかも、この後すぐ離席する仕事があり、私は彼の表情を横目で確認しながら、外へ出た。ポケットにスマホを忍ばせて。


10分後、彼から返事が来ていた。


「早退することにしました。昨夜から熱が出て、薬を飲んでいればまあなんとか。でも、薬が切れると熱が出てる感じがするので。」


私は彼の迷惑になるのも嫌で、


「悪化したって言っていたので、つい心配で。明日も無理なさらず。」


とだけ返事をした。しかし、予想に反して彼は何度か長い報告をよこした。私は少し勝負に出たい気持ちになった。


「もしインフルエンザだったら、1週間もいないなんて・・・寂しい」


そう送ると同時に既読がついた。私は構えていた指を素早く動かした。


「って後輩君が言いますよ。」


まさか自分が寂しいと思っているなんて言えない。


「今、寂しいって思われてるってことかなと思ったので、その後輩君がいますよって言おうと思っていた矢先でした・・・」


彼の返事に私はくすっと笑い、


「先手を打たせていただきました。」


と打ち込んだ。ああ、結局冗談にしちゃった。でも本当は寂しくてたまらない。ああお願い、神様。彼のいない生活なんて白黒の世界。はちみつのようにキラキラしていて、蜂のように鮮やかな世界に戻して。

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