【恋愛】「縋る」「クッキー」「置き去り」

『放課後、北校舎の裏側に来て』


 授業中、ノートの隅っこに書かれた文字を見て心臓が跳ねた。 

 先生が黒板の方を向いている間に差し入れられたそれを返し、隣の席を見やる。

 メモを書いた張本人である紀本きもと君は、シャーペンをくるくる回しながら頬杖をついていた。

 私の視線に気づいているはずなのに、決して合わせようとはしない。

 それは照れ隠し? それとも人としての義理?

 呼び出す目的はわかっているから、どんな答えが返ってくるのか不安で仕方ない。

 おかげで授業の内容が全く頭に入ってこず、夕方まで悶々とする羽目になった。



 人気のない放課後の校舎裏。

 一ヶ月前、同じ場所で紀本君にチョコレートを渡した。

 受け取ってはくれたものの、「ありがとな」としか言われず、結局今日までその真意が聞けずにいた。

 そんな曖昧な状態もこれで終わりだ。

 痛いほどうるさく鳴る胸を押さえ、鞄を片手に現れた紀本君と対峙する。

「紀本君、話って……?」

 本当は黙って待とうと思ったのに、緊張のあまり自分から口火を切ってしまった。

 でも、それでようやく体勢が整ったのか、紀本君はぽりぽりと頭を掻きながら話し出した。


「先月、久坂くさかがくれたチョコレート、うまかった」

「ほんと? よ、よかった……」

 何せ初めての手作りだったのだ。湯煎って何?から始まり、型に流し、固めて、まともな形にできるまでそれは悪戦苦闘した。

 一応味見したらまずくはなかったので大丈夫だろうと思っていたけれど、こうして本人から感想をもらえて文字通り救われた。

「それでなんだけどさ……」

 紀本君は鞄からごそごそと何かを取り出した。

「これ、お返し」

「え……、えっ!?」

 告白の返事が返ってくるのだとばかり思い込んでいて、物としてのお返しを想定していなかった。

 しかも、どう見てもラッピングが店仕様じゃない。

 シンプルな袋にシンプルなワイヤー。その中に詰め込まれた、プレーンのクッキー。

 私が渡したチョコレートより断然見た目が整っていて、口の中でさくさくと広がる食感までリアルに想像できた。

 これはもう思いきって確かめるしかない。

「もしかして、これ、手作り?」

「……っ!」

 訊ねた瞬間、頬を赤くした紀本君は、声にならない声を上げると脱兎のごとく駈け出した。

「ちょっと、紀本君!?」

 図星だからって話の途中でいきなり逃げる!?

 呆気に取られている間に置き去りにされた私は、はっと我に返ると猛然と追いかけ始めた。

 ここまできて蛇の生殺し状態は遠慮したい。それなら潔く白黒つけてほしい。

 その思いで一心に走り続け、なぜか屋上に逃げ込んだ紀本君に追い縋った。


 再び誰もいない場所へ移動した私達。

 お互いの荒い息が、さっきまでの張りつめた雰囲気をどこか間抜けな空気に変える。

「紀本君、ひどいっ……。何で、逃げるの……!」

「わ、悪い……。でも、男がクッキー、作ったなんて、改めて考えると恥ずすぎる……っ」

「何で!? 私は嬉しかったのに!寧ろ私のチョコより綺麗にできてて弟子入りしたいぐらいなのに!」

「で、弟子入り……くっ」

 勢い余って突拍子のないことを口走る私に、紀本君はたまりかねたように吹き出した。

「ははっ、久坂はやっぱり面白いな」

「そ……そうかな? 女なのに、今までお菓子すらまともに作ったことない私の方が恥ずかしいよ……」

「それでも一生懸命作ってくれたんだろ」

 男とか女とか関係なかったわ、と吹っ切れたように表情を和らげた。

「そんな久坂だから、喋ってると楽しいし、チョコもらえて嬉しかったんだ」

 思いもよらない言葉をかけられ、静まったはずの鼓動が再び騒ぎ始める。

「なあ、久坂」

「な……なに?」

 赤くなった顔をそのままに、けれど私から瞳を逸らさず紀本君が提案する。


「今度、一緒にお菓子作らないか? その……つき合う記念に、さ」


 嬉しさのあまりへたり込んだ私を見て、紀本君は悪戯が成功したかのように笑った。

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